仏教と西洋哲学
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仏教と西洋哲学(ぶっきょうとせいようてつがく)について記述する。仏教思想と西洋哲学にはいくつかの類似点がある。
古代ギリシャの哲学者ピュロンは、アレクサンダー大王軍によるインド征服(紀元前327〜325年)に同行し、そこで学んだことをもとにピュロン主義の哲学を確立した[1]。クリストファー・ベックウィズは、ピュロンの教説のなかに、仏教の三相からの翻案[2]があるという。
近代のヨーロッパにおいては、アルトゥル・ショーペンハウアーやフリードリヒ・ニーチェといった少数の哲学者が仏教思想に取り組んだ。同様に、仏教徒を多く有するアジア諸国においても、仏教哲学に西洋思想の知見を取り入れようとする試みが見られた。仏教モダニズムの台頭はその一例である。
第二次世界大戦後、仏教が西洋に広まるのにともない、東洋と西洋の哲学を比較し、異文化横断的に考察する学術的関心が高まった。こうした研究の多くは現在、Philosophy East and Westなどの学術雑誌に掲載されている。また日本では、中村元らによって設立された比較思想学会などでこうした研究が行われている。
エドワード・コンゼによれば、ピュロン主義は仏教哲学、特にインドの中観派と類似点がある[3]。ピュロン主義が目指すアタラクシア(心が乱されていない状態)は、涅槃にも似た救済論的目標である。ピュロン主義者は、アタラクシアに到達する方法として、ドグマ(自明ではない事柄に対する信念)についての判断を保留すること(エポケー)を提唱した。これは、ブッダが仏教の実践の道を伝えるためには不要であるとみなした特定の形而上学的な質問に対して、回答を拒否したことや、龍樹による「一切の見解(drsti)の放棄」に類似している。
Adrian Kuzminskiは、この二つの思想体系のあいだに直接的な影響があったと主張している。Kuzminskiは著書Pyrrhonism: How the Ancient Greeks Reinvented Buddhismにおいて、「その起源は、ピュロンがアレクサンダー大王とともに旅したインドで出会った賢者たちとの接触に遡ると考えるのが妥当であろう」と述べている[4]。Kuzminskiによれば、どちらの哲学も、静寂に到達するための戦略として、人の感覚的印象の背後にある究極の形而上学的実在に関するあらゆるドグマ的な主張に同意することに反対している。また、他の哲学に対して論理的反論を行うことで、その矛盾を暴こうとする点も共通するという[4]。
ヒュームと無我(非我)
スコットランドの哲学者デイヴィッド・ヒュームは次のように述べている。
私自身と呼ぶものに最も奥深く入り込んでも、私が出会うのは、いつも、熱さや冷たさ、明るさや暗さ、愛や憎しみ、快や苦といった、ある特殊な知覚である。どんなときでも、知覚なしに私自身をとらえることはけっしてできず、また、知覚以外のなにかに気づくことはけっしてあり得ない。[5]
ヒュームによれば、我々が自己(self)と特定できる恒常的に安定したものは何もなく、ただ異なった経験の流れがあるだけである。これらすべての経験を結びつける実在する何かが存在するという我々の見解は、ヒュームに言わせれば単なる想像上のものに過ぎない。自己とは、経験の流れ全体に帰せられるフィクションなのである[6]。
快や苦、悲しみや喜び、いろいろな情念や感覚がつぎつぎに継起し、けっしてすべてが同時に存在することはない。だから、これらの印象のどれかに、あるいはなんらかのほかの印象に自己の観念が起因することはあり得ず、したがって、そのような観念は何もないのである。 ……私は次のように確信してもよかろうと思う。すなわち、人間とは、思いもつかぬ速さでつぎつぎと継起し、たえず変化し、動き続けるさまざまな知覚の束あるいは集合にほかならぬ、ということである。[5]
この人格の同一性に関する「知覚の束」理論は、仏教の無我(非我)の概念ときわめて類似している。無我の概念は、単一の自我はフィクションであり、五蘊の集合以外には何も存在しないと主張する[6][7]。ヒュームも仏教哲学も、人格の同一性を世俗的・慣習的な方法で語ること自体はまったく問題ないと認めつつ、究極的にはそのようなものは存在しないと考えている[6]。ヒューム研究者のアリソン・ゴプニックは、ヒュームがフランス滞在中(『人間本性論』の執筆時期と重なる時期)に、ラ・フレーシュ王立学院の、旅行経験豊富なイエズス会宣教師を通じて仏教哲学に触れる機会があった可能性を指摘している[7]。 イギリスの哲学者デレク・パーフィットは、著書『理由と人格』のなかで、人格の同一性に関する還元主義的かつデフレーション的な理論を主張した。パーフィットによれば、因果的に連結した精神的・身体的出来事の流れ以外に、「私たちの脳や身体とは区別された、独立して存在する実体」は存在しない。パーフィットは「ブッダならば同意しただろう」と結論づけている[8]。またパーフィットはこの見解が解放的であり、共感の増大につながると論じている。
真理は気の滅入るものだろうか? そう考える人がいるかもしれない。しかし私はそれが解放と慰めをもたらすものだと思う。私の存在がそのようなさらなる事実であると信じていた時、私は自分自身の中に閉じ込められているように思われた。私の生はガラスのトンネルのようだった。私はそれを通って毎年一層早く動いていき、その端には闇があった。私が見解を変えた時、私のガラスのトンネルの壁は消滅した。私は今や開かれた空気の中に生きている。私の生と他の人々の生との間にはまだ相違があるが、その相違は小さくなった。他の人々は近くなった。私は自分自身の生の残りを気にかけることが少なくなり、他の人々の生を気にかけることが多くなった。[9]
『ザ・ニューヨーカー』誌のLarissa MacFarquharによれば、『理由と人格』の文はチベット仏教寺院で学ばれ、詠唱されてきたという。
固定的な自己という見解を批判した他の西洋の哲学者には、ダニエル・デネット(“The Self as a Center of Narrative Gravity”など)とトーマス・メッツィンガー(“The Ego Tunnel”)などがいる。
観念論

観念論とは、現実、あるいは我々が知り得る現実が、根本的に精神的か、精神的に構築されたか、それ以外の非物質的なあり方であると主張する哲学のグループである。世親や玄奘の著作で説かれる唯識思想の唯心論[10]のような一部の仏教思想の見解は、観念論的傾向を持つと解釈されてきた。形而上学的観念論は、中国唯識(法相宗)の正統的な立場であった[11]。仏教哲学者の世親によれば、「識の変容は分別である。それによって分別されたものは存在しない。ゆえに万物は表象のみである」と述べている。これはジョージ・バークリーやイマヌエル・カントの観念論哲学と比較されてきた。カントの範疇論もまた、私たちの精神的現実を条件づける瑜伽行派の業のヴァーサナー(習気)の概念と比較されてきた[12]。
仏教とドイツ観念論
イマヌエル・カントの超越論的観念論は、T. R. V. ムルティなどの学者によって、中観派など、インド哲学のアプローチと比較されてきた[13]。両者とも、経験の世界は、ある意味で、私たちの感覚や精神的能力によって作り出されたものにすぎないと主張している。カントと中観派にとって、我々は「物自体」に直接アクセスすることはできない。なぜなら、それらは常に我々の心の「解釈の枠組み」によって濾過されているからである[14]。したがって、両者の世界観においては、究極の現実は存在するものの、理性ではそれに到達できないと主張している。エドワード・コンゼのような仏教学者もまた、カントの二律背反とブッダの無記との間に類似点を見出しており、それは「両者とも世界が有限か無限かといった問題に関心を寄せている点、そして両者とも未解決のまま残されている点」にあるとしている[15]。
アルトゥル・ショーペンハウアーはインドの宗教書に影響を受け、後に仏教を「あらゆる宗教の中で最も優れたもの」であると主張した[16]。「苦しみこそが人生の直接かつ即時の目的である」[17]というショーペンハウアーの見解、およびそれが「絶え間ない意志と努力」によって駆動されるという考えは、ブッダの四諦説と類似している。ショーペンハウアーは、意志を放棄する方法として、インドの沙門が行っていた聖なる苦行生活を推奨した[18]。単一の世界の本質(意志)が、自身を個々の事物(個体化の原理)の多様性として顕現させるという彼の見解は、唯識思想で展開された仏教の三身説と比較されてきた[19]。最後に、他者の苦しみに対する普遍的な慈悲に基づくショーペンハウアーの倫理は、仏教の「カルナー(慈悲)」の倫理と比較することができる[20]。
ニーチェ

フリードリヒ・ニーチェは仏教を称賛し、「仏教はすでに――そしてこれがキリスト教との根本的な違いである――道徳的概念による自己欺瞞を乗り越えている。私の言葉で言えば、それは善悪の彼岸に立っているのだ」[21]と述べている。彼はさらに次のように述べている。「仏教は、歴史上見出される唯一の真に肯定されるべき宗教であり、これはその(厳格な現象主義である)認識論にも当てはまる。仏教は罪との闘争について語るのではなく、現実に屈服しつつ苦しみとの闘いについて語るのだ」[21]。ニーチェは(そしてブッダも)、万物が変化し、生成し続けることを認め、両者とも、神のようなものや絶対的な存在に基づかない倫理を構築しようとした[22]。ニーチェは、ブッダが自らと同じことを企図する者であると見ていた。彼は1883年に「私はヨーロッパのブッダになり得る」と述べている。「もっとも率直に言えば、私はインドのブッダの対極に位置する存在になるだろうが」とも述べている[23]。
一方ニーチェは、仏教の目標である涅槃について、生命を否定するニヒリズムの一形態であると見なし、それとは正反対のもの、すなわち生命肯定と運命愛を提唱した。Benjamin A. Elmanによれば、ニーチェが仏教を悲観的かつ生命否定的なものと解釈したのは、おそらくはショーペンハウアーによる東洋哲学理解に影響を受けたためであり、したがって「彼は、ショーペンハウアーを精読したことに基づいて、仏教に対する反応を示す傾向にあった」[24]という。このため、ニーチェは仏教を「無」やニヒリズムを提唱するものとして誤解していたが、それらはすべて、ブッダや龍樹らが、空性についての精緻な理解によってものであるとElmanは述べている[24]。
Antoine Panaïotiは、その著書Nietzsche and Buddhist Philosophyの中で、ニーチェとブッダの思想はいずれもニヒリズムの問題と格闘することから始まり、ニヒリズムの危機がもたらす苦しみや不安に対処するための治療的な視座を展開していると論じている。ニーチェの思想と仏教には相違がいくつかあり、それがニーチェが自身を「アンチ–ブッダ」と見なした理由でもあるが、Panaïotiは、両思想体系が「大いなる健康」へと至る道という点で類似していることを強調している。「大いなる健康」とは、生成を繰り返す無常なる世界をありのままに受け入れることで、それに対処することを可能にするものである[25]。究極的に両者の世界観では、Panaïotiが「大いなる健康の完全主義(great health perfectionism)」と呼ぶものを理想としており、それは人間から不健康な傾向を取り除き、卓越した自己啓発の状態に到達することを目指すものである。
Robert G. Morrisonは、ニーチェの「自己超克」(Selbstüberwindung)と仏教の「心の発達」(citta-bhāvanā)との比較をはじめとした綿密な文献比較を通じて、ニーチェとパーリ仏教の「皮肉な親和性」について論じている[26]。また、Morrisonは、仏教の渇愛という概念と、ニーチェの「力への意志」とのあいだに親和性を見出しているほか、人格を様々な心身的な力の流れとして捉える両者の理解にも共通点を見出している[27]。ニーチェのエゴ(自我)を流動的なものと捉える見解と、仏教の「無我」概念との類似性については、Benjamin A. Elmanも指摘している[24]。
David Loyはまた、「存在するもの背後に付加され、発明され、投影されたもの」(『力への意志』481頁)というニーチェの主体観と、(「物事の性質とは、他の「物事」に対する影響であり……『物自体』など存在しない」『力への意志』557頁)という実体理解を引用し、これらは仏教の唯名論的見解と類似しているという。しかしLoyは、ニーチェによる英雄的で貴族的な価値観の提唱や「力への意志」の肯定が、彼が奴隷道徳と呼ぶものと同様に、主体の無常性から生じる「欠如感」に対する反応に他ならない、ということをニーチェが理解できていなかったと考えている。
また日本では、西谷啓治のThe Self Overcoming Nihilism (Albany, N.Y., 1990)や、阿部正雄によるニーチェに関する論考など、ニーチェと仏教に関する比較研究も行われている。バートランド・ラッセルは『西洋哲学史』において、ニーチェをブッダに対比させ、最終的にニーチェが暴力、エリート主義、そして慈悲深い愛への憎悪を助長しているとして批判した。
現象学と実存主義

ドイツの仏教僧Nyanaponika Theraは、仏教のアビダンマの哲学は現象学に「間違いなく属する」し、仏教用語の「ダンマ」は「現象」と訳すことができると述べている[28]。同様に、アレクサンデル・ピアティゴルスキーも、初期仏教のアビダンマ哲学を「現象学的アプローチ」であると見ている[29]。
Dan Lusthausによれば、仏教は「一種の現象学であり、唯識はなおさらである」[30]という。一部の学者は、唯識の哲学に対する観念論的な解釈を退け、かわりに主観的な視点から意識のプロセスを研究する西洋の現象学という枠組みを通じてこれを解釈している[31]。
Christian Coseruは、その単著 Perceiving reality(実在の知覚)において、ダルマキールティ、シャーンタラクシタ、カマラシーラといった仏教哲学者たちが、「エドムント・フッサールやモーリス・メルロ=ポンティ以来の伝統に立つ現象学者たちと共通の基盤を共有している」と論じている。ここで言う「共通の基盤」とは、意識の志向性という概念である[32]。Coseruは、意識の対象としての側面(grāhyākāra)と主観としての側面(grāhakākāra)という概念を、フッサールのノエシス(Noesis)・ノエマ(Noema)という概念と比較している。
このほか、西洋の現象学や実存主義の影響を受けた現代の仏教思想家には、Ñāṇavīra Thera、Nanamoli Bhikkhu、R. G. de S. Wettimuny、Samanera Bodhesako、Ninoslav Ñāṇamoliらがいる。
フッサール

現象学の創始者であるエドムント・フッサールは、カール・オイゲン・ノイマンによるドイツ語訳の仏教経典を読んでいるあいだ、「ページから目が離せなかった」と記している[33][34]。フッサールは、自身が理解したブッダの方法論は、自身の方法論とよく似ていると考えていた。フッサールの首席助手であり、フッサールが最も信頼する解釈者と見なしていたオイゲン・フィンクは、「仏教における自己修養の様々な段階は、本質的に現象学的還元の段階であった」[35]と述べている。仏典を読んだ後、フッサールは「ゴータマ・ブッダの説法について」(Über die Reden Gotamo Buddhos)と題する短編エッセイを執筆し、その中で次のように述べている。
仏教聖典の徹底的な言語学的分析は、私たちに、ヨーロッパ的な観察のしかたとは正反対の世界の見方に親しむための絶好の機会を与えてくれる。そして、その視点に自らを置き、そのダイナミックな帰結を、経験と理解を通じて真に包括的に把握することを可能にする。搾取され頽廃した自らの文化が崩壊しつつあるこの時代に生き、霊的な純粋さや真理がどこにあるかを探し、世界を喜びとともに掌握する力がいかに現れるのかを見極めようとする私たち、あるいはすべての者にとって、このような見方は大いなる冒険を意味する。仏教が――純粋で本来的な源泉から私たちに語りかける限りにおいて――霊的な浄化と究極の完成を目指す、きわめて高次の宗教倫理的修練であり、活力に満ち比類なく成長した精神状態という内的成果を志向し、それに捧げられたものであることは、本書に没頭する読者にはほどなく明らかとなるであろう。仏教は、我がヨーロッパ文化における哲学・宗教精神の最も高次の形態と比肩しうるものである。今や、対比によって再生され強化された、この(私たちにとって)まったく新しいインドの霊的修練を活用することが、私たちの課題なのである。
Fred J HannaとLau Kwok Yingはともに、フッサールが仏教を「超越論的」と呼ぶとき、仏教を自身の超越論的現象学と同等のものとして位置づけていると指摘する[34]。また、フッサールが仏教を「大いなる冒険」と呼んだことは重要である。なぜなら、彼は自身の哲学についても同様に、現実の見方を変え、個人の変容をももたらす方法論として言及していたからである。フッサールは未発表の原稿「ソクラテス-ブッダ」においても仏教哲学について論じており、その中で仏教的な哲学的態度と西洋の伝統を比較している。フッサールは、「汝自身を知れ」という格言の下で生きられるソクラテスの善き人生に、仏教哲学との類似性を見出し、両者が、科学の有する純粋に理論的な態度と、日常生活の実践的な態度を組み合わせた、第三の態度を共有していると論じている。そして、この第三の態度は「普遍的な科学的理性を通じて人類を成長させることを目的とする実践」に基づいているという[34]。
フッサールはまた、仏教における経験の分析と、彼自身のエポケーという方法とのあいだに類似性を見出した。エポケーとは、「外部」世界に関する形而上学的仮定や前提(フッサールが「自然的態度」と呼んだもの)についての判断を一時的に保留することである。しかしフッサールは、仏教が依然として宗教的・倫理的な体系のうちにとどまっているため、あらゆる知識を統合し得る統一された科学へと発展しておらず、したがって完全な超越論的現象学として成立し得ないとも考えていた。
Aaron Prosserによれば、「シッダールタ・ガウタマとエドムント・フッサールの現象学的研究は、意識の根本的かつ不変の構造に関して、まったく同じ結論に達している。すなわち、対象指向的意識は、超越論的で相関的な志向性の構造を有しており、これがすべての対象指向的経験にとって――基本的かつ不可欠な意味において――根本的なものであるということである」という。
ハイデガー
Reinhard MayとGraham Parkesによれば、マルティン・ハイデッガーは禅や道教の文献から影響を受けた可能性があるという[36][37]。ハイデガーの哲学用語のうち、脱-根底/虚無(ab-grund)や無(das-Nichits)、Daseinなどは、空などの類似の概念を表す仏教用語との関連で考察されてきた[38][39]。ハイデガーは「脱-根底/虚無(ab-grund)として、存在は同時に無(das-Nichits)であるとともに根拠でもある」[40]と述べている。ハイデガーの『言語についての対話』には、日本人の友人(手塚富雄)が「私たちにとって、空虚というのは、「存在」という語で言わんとしていらっしゃるものに対する最高の名称ですから……」と述べている箇所がある[41][42]。ハイデガーの形而上学批判は、禅のラジカルな反形而上学的態度とも比較されてきた[42]。William Barrettは、ハイデガーの哲学は禅仏教に類似しており、ハイデガー自身も鈴木大拙の著作を読んだ後にこれを認めていたと述べている[42]。
実存主義
ジャン=ポール・サルトルは、意識は本質や固定された特性を欠き、この事実に気づくことが強い実存的不安や吐き気を引き起こすと信じていた。サルトルは、否定する能力によって定義されるものとして意識を見ていた。これは、意識が何かを認識するたびに、自らが意図された対象ではないことを自覚するためである。すべての即自存在――すなわち、対象の世界全体――が意識の外にあるために、意識は無なのである[43]。さらにサルトルにとって、即自存在もまた単なる表象に過ぎず、本質を持たない[44]。自己を無とし、現実を内在的な本質を欠くものと捉えるこの観念は、仏教の空や無我の概念と比較されてきた[45][46]。仏教徒がヒンドゥー教のアートマン(我)の概念を拒絶したのと同様に、サルトルもフッサールの超越論的自我の概念を拒絶した。
メルロ=ポンティの現象学は、自己や身体、世界(「生活世界」)の相互の結びつきを重視するという点で、禅仏教や中観派と類似していると言われる。道元や湛然の仏教が示す身心の統一と、メルロ=ポンティの意識の身体性に関する見解は、一致しているように思われる。両者とも、意識は本質的に身体や外界と結びついており、生活世界は身体を通じて動的に経験されるものであり、デカルトのコギトのような独立した存在を否定している。
ドイツの実存主義者カール・ヤスパースも、著書『偉大な哲学者たち』(1975年)の中で、ブッダの哲学について論じている。彼は、西洋のキリスト教徒はブッダから学ぶべきだと提言し、ブッダのコスモポリタニズムや、仏教の柔軟性、そして比較的教条的ではない世界観を称賛した[47]。
京都学派
仏教とプロセス哲学
アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドのプロセス哲学は、仏教哲学といくつかの共通点を持っている[49]。ホワイトヘッドは、現実を絶え間なく変化し続ける無常なるプロセスとして捉え、物体に実体があることを否定し、常に変化し続ける「生起(occasion)」であると見なした。これは、仏教の無常や空の概念と類似している[50]。また、ホワイトヘッドは、これらの各プロセスが決して独立したものではなく、すべての先行する生起と相互に関連し依存していると考えた。彼が「創造性(creativity)」と呼んだこのような現実の特徴は、すべての事象が様々な過去の原因によって条件づけられているとする縁起説と比較されてきた[49][50]。仏教と同様にホワイトヘッドも、私たちの世界に対する理解は、絶えず変化するプロセスを固定された実体を持つものとして捉える「誤った具体性の誤謬(fallacy of misplaced concreteness)」に陥っているため、常に誤っているとの見解を持っていた[50]。仏教の教えによれば、苦しみやストレスは世界の真の性質に対する無知から生じるという。同様にホワイトヘッドは、世界がこの変化のプロセスにおいて「恐怖に苛まれている」と主張した。「時間的世界における究極の悪は……過去が消え去ること、すなわち時間が「絶え間ない消滅」であるという事実に存する」(『過程と実在』p. 340)。この意味で、ホワイトヘッドの「悪」の概念は、変化によって引き起こされる苦しみである仏教の「壊苦(viparinama-dukkha)」に類似している[49]。また、神に関するホワイトヘッドの見解は、大乗仏教の三身説や菩薩と類似している[49]。
汎心論とは、心や魂が万物の普遍的な特質であるとする見解である。これは、ペルシャのゾロアスター教にまで遡る西洋哲学に一般的にみられる見解であり、ギリシャのソクラテス以前の哲学者やプラトンにも見いだすことができる。D. S. Clarkeによれば、汎神論や汎経験主義な側面は、華厳宗や天台宗の仏性に関する教義に見出すことができ、そこでは仏性が蓮の花や山といった無生物にも属するとされている。
