伏見町 (大阪市)

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伏見町
芝川ビルディング
伏見町の位置(大阪市内)
伏見町
伏見町
伏見町の位置
伏見町の位置(大阪府内)
伏見町
伏見町
伏見町 (大阪府)
北緯34度41分20.92秒 東経135度30分9.68秒 / 北緯34.6891444度 東経135.5026889度 / 34.6891444; 135.5026889
日本の旗 日本
都道府県 大阪府
市町村 大阪市
中央区
面積
  合計 0.05125512 km2
人口
2019年(平成31年)3月31日現在)[2]
  合計 397人
  密度 7,700人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
541-0044[3]
市外局番 06(大阪MA[4]
ナンバープレート なにわ
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伏見町(ふしみまち)は、大阪府大阪市中央区町名。現行行政地名は伏見町一丁目から伏見町四丁目。

船場のうち北から4番目の町で、東・北・北西は高麗橋、南西・南は道修町とそれぞれ接する。東端は一丁目筋、西端は渡辺筋となっており、船場のうち町の東西端がそれぞれ東横堀川西横堀川跡に至らない唯一の町である。

地内には芝川ビルディング青山ビル伏見ビルなどの国の登録有形文化財の建造物が点在する。

歴史

現在の3丁目・4丁目は、船場の開発過程で伏見城下から呉服商たちが移住してきた所で、当初は伏見呉服町と称したが、のちに伏見町と呉服町に分かれた。心斎橋筋以東の伏見町は舶来品を扱う唐物問屋の集住地となり、同以西の呉服町は移住以来変わらず呉服商の集住地となっていた。

現在の1丁目・2丁目は、船場の開発過程で天満鳴尾町(現:北区天神西町の一部)の魚商人たちが移住してきた所で、当初はそれぞれ靱町・天満町と称した。しかし、1618年元和4年)に生魚商人たちが6筋南へ移住して上魚屋町(現・中央区安土町1丁目の一部)が形成され、さらに、1622年(元和8年)には塩魚・干魚商人たちも下船場へ移住して新靱町・新天満町(どちらも現:西区靱本町1丁目の一部)が形成されたため、靱町・天満町はそれぞれ本靱町・本天満町に改称された。

1872年明治5年)に本靱町・本天満町・伏見町・呉服町を統合して伏見町1 - 5丁目に改編され、1989年平成元年)に現行の伏見町1 - 4丁目に改編された。

世帯数と人口

2019年(平成31年)3月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

丁目世帯数人口
伏見町一丁目 0世帯 0人
伏見町二丁目 14世帯 19人
伏見町三丁目 202世帯 378人
伏見町四丁目 0世帯 0人
216世帯 397人

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

1995年(平成7年) 32人[5]
2000年(平成12年) 18人[6]
2005年(平成17年) 14人[7]
2010年(平成22年) 294人[8]
2015年(平成27年) 399人[9]

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

1995年(平成7年) 18世帯[5]
2000年(平成12年) 11世帯[6]
2005年(平成17年) 8世帯[7]
2010年(平成22年) 196世帯[8]
2015年(平成27年) 216世帯[9]

事業所

2016年(平成28年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[10]

丁目事業所数従業員数
伏見町一丁目 3事業所 48人
伏見町二丁目 117事業所 1,135人
伏見町三丁目 66事業所 1,192人
伏見町四丁目 147事業所 5,240人
333事業所 7,615人

施設

青山ビル
伏見ビル

史跡

企業

かつて存在した施設

交通

出身者

その他

日本郵便

脚注

関連項目

外部リンク

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