南久宝寺町

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南久宝寺町
久宝寺橋
南久宝寺町の位置(大阪市内)
南久宝寺町
南久宝寺町
南久宝寺町の位置
南久宝寺町の位置(大阪府内)
南久宝寺町
南久宝寺町
南久宝寺町 (大阪府)
北緯34度40分45.37秒 東経135度30分16.86秒 / 北緯34.6792694度 東経135.5046833度 / 34.6792694; 135.5046833
日本の旗 日本
都道府県 大阪府
市町村 大阪市
中央区
面積
  合計 0.107959805 km2
人口
2019年(平成31年)3月31日現在)[2]
  合計 1,748人
  密度 16,000人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
541-0058[3]
市外局番 06(大阪MA[4]
ナンバープレート なにわ
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南久宝寺町(みなみきゅうほうじまち)は、大阪府大阪市中央区町名。現行行政地名は南久宝寺町一丁目から南久宝寺町四丁目。

河川

北は北久宝寺町、南は博労町、東は東横堀川久宝寺橋を挟んで材木町松屋町住吉、西は西横堀川跡の阪神高速1号環状線北行きを挟んで西区立売堀新町にそれぞれ接する。

大阪では有数の問屋街の一つである。南久宝寺町1丁目から3丁目まではアーケードが設置されている。また、南久宝寺町通として大阪市内を東西に走る道路の名称にも使われている。

南久宝寺町通

中央大通から数えて3本南側の通り。東行きの一方通行である。阪神高速1号環状線の長堀入口に接続している(接続部の地名は松屋町住吉)。

歴史

南久宝寺町通の化粧品問屋(⼤正時代)

1872年明治5年)まで、現在の3丁目と4丁目のうち御堂筋沿いは北久宝寺町5丁目、佐野屋橋筋沿いと渡辺筋沿いは上難波町、西横堀川沿いは西笹町という町名だった。

江戸時代から小間物問屋が集積した問屋街としての歴史を持ち、戦後は衣料品や服飾雑貨(カバン・袋物・傘・靴など)を扱う現金問屋街となった。バブル崩壊頃より閉店する問屋が増え、かつての活気は失われつつあるが、いまなお大阪では有数の問屋街の一つである。

明治以降、南北久宝寺町は秋の誓文払い[注釈 1]の売出しで盛大を極めた[6]

南久宝寺町を含む中船場は、日常使う言葉商家の風習なども「戦前までの船場的スタンダード」といった雰囲気をよく醸し出していた[7]

1962年昭和37年)に埋め立てられた西横堀川には助右衛門橋が架橋されていた。

地名の由来

当地に久宝寺という寺院があったことに由来するという説と、道頓堀川が開削された際に河内国渋川郡久宝寺村顕証寺寺内町)から多くの人夫が来て、当地を住地にしていたことに由来するという説の2つがある[8]

南久宝寺町問屋街

アーケード時代の南久宝寺町問屋街
大阪小間物卸商同業組合事務所

南久宝寺町の問屋街としての歴史は古く、江戸中期にさかのぼるという。管などの日本髪用の頭飾品を中心とした小間物に始まり、その後洋装用装身具に変化しながら、粧装品卸商の町として栄えてきた。小間物商はその種類は雑多であるが、南北久宝寺町を第一として、南北久太郎町・唐物町・博労町に多かった。明治元年、三休橋筋南久宝寺町通下る東側に大阪小間物卸商同業組合[注釈 2]の事務所が置かれるなど、南北久宝寺町は小間物商の中心的地域であった。明治、大正昭和と時代の変わるうちに、各問屋化粧専門の店、或いは小間物専門の店へと専業化の道をたどった。特に戦時中小間物も、と言ったものがネックレス手袋下着といった風に婦人の装粧品を中心とするものになった。アクセサリー、化粧用具、身辺雑貨(婦人下着、その他)、ブラシ理容用品、頭飾品、室内アクセサリー(人形オルゴールなど)、婦人衛生用品、物等と商品の種類も非常に多くなっていった。1930年代後半から統制経済によって商業活動は困難になり、1945年3月の大空襲によって壊滅した。しかし、戦後1946年春頃から営業を再開する店や新たに開業する店が出始め、1948年 には昔日の久宝寺間屋街を偲ばせる迄に復興開店した。戦後の立直りが早かったのは、他の商品に較べて統制が割に少なかったからである。高度成長期には建物のビル化も進んだ。1958年に大阪久宝寺町問屋連盟が発足し、1963年には堺筋に久宝寺卸連盟会館が完成。2014年に板屋橋筋に新館が建てられた。かつての南久宝寺町通は狭い道幅であったが、都市計画により八間道路となった。戦後、通りの歩道地下に塵芥容器を設置し、上部にはアーケード1970年に完成。50年を迎えた2020年にアーケードを撤去し、オープンモールの通りとなった[9][10][11][12][13][14][15][16]

世帯数と人口

2019年(平成31年)3月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

丁目世帯数人口
南久宝寺町一丁目 672世帯 824人
南久宝寺町二丁目 373世帯 517人
南久宝寺町三丁目 75世帯 82人
南久宝寺町四丁目 229世帯 325人
1,349世帯 1,748人

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

1995年(平成7年) 359人[17]
2000年(平成12年) 306人[18]
2005年(平成17年) 642人[19]
2010年(平成22年) 1,070人[20]
2015年(平成27年) 1,621人[21]

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

1995年(平成7年) 158世帯[17]
2000年(平成12年) 153世帯[18]
2005年(平成17年) 451世帯[19]
2010年(平成22年) 824世帯[20]
2015年(平成27年) 1,244世帯[21]

事業所

2016年(平成28年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[22]

丁目事業所数従業員数
南久宝寺町一丁目 115事業所 973人
南久宝寺町二丁目 142事業所 1,314人
南久宝寺町三丁目 124事業所 2,429人
南久宝寺町四丁目 132事業所 2,128人
513事業所 6,844人

施設

  • 久宝寺橋 - 東横堀川
  • 難波神社 - 敷地は博労町四丁目と南久宝寺町四丁目。
  • 太閤路地の碑 - 堺筋南久宝寺町通下る西側
  • 南久宝寺町の歴史の碑 - 南久宝寺町通堺筋南西角
  • 萬栄
  • 御堂筋ダイビル - 4丁目、御堂筋沿い
  • クツワ文具店 - 南久宝寺町通東横堀筋西入る南側。元西村福松商店。本社ビルは1938年竣工[23]
  • 旧西海商店ビル - 南久宝寺町通心斎橋筋東南角。西海商店はステッキ・洋装付属品雑貨などを取り扱っていた[24]
  • 錫半本店 - 器の工芸品専門店で心斎橋筋西南角にあった[25]
  • 羽岡絲店 - 心斎橋筋南久宝寺町通上る西側。創業明治10年。

交通

その他

日本郵便

ギャラリー

関連項目

参考文献

脚注

外部リンク

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