光了寺 (古河市)
From Wikipedia, the free encyclopedia
位置
北緯36度09分07.117秒 東経139度42分39.916秒 / 北緯36.15197694度 東経139.71108778度座標: 北緯36度09分07.117秒 東経139度42分39.916秒 / 北緯36.15197694度 東経139.71108778度
山号
巖松山(岩松山)
院号
聖徳院
| 光了寺 | |
|---|---|
|
| |
| 所在地 | 茨城県古河市中田1334 |
| 位置 | 北緯36度09分07.117秒 東経139度42分39.916秒 / 北緯36.15197694度 東経139.71108778度座標: 北緯36度09分07.117秒 東経139度42分39.916秒 / 北緯36.15197694度 東経139.71108778度 |
| 山号 | 巖松山(岩松山) |
| 院号 | 聖徳院 |
| 宗派 | 真宗大谷派 |
| 本尊 | 阿弥陀如来像 |
| 創建年 | 鎌倉時代初期? |
| 開山 | 西願(円崇興悦) |
| 正式名 | 巖松山聖徳院光了寺 |
| 文化財 |
木造聖徳太子立像(県指定・彫刻) 他 |
| 法人番号 | 4050005005663 |
伝承
静御前は奥州・平泉に逃れた源義経を追って、侍女の琴柱とともに古河の下辺見村まで来たが、ここで義経の死を知り、橋の上で奥州に行くか京に戻るか思案したのちに戻ることとした。しかし悲しみのあまり、伊坂(現久喜市栗橋)で病に伏し、亡くなったため、琴柱は静御前を当寺に葬り、墓の印として一本の杉を植えたという[4] 。この伝承は寺蔵の『静女蛙蟆龍御衣略縁起』によるが実物は現存していない。近世の地誌『古河志』や『利根川図志』の引用、あるいは古河市仁連の個人所蔵版本『静女蛙蟆龍御衣略縁起』(文政9年)が残されている[5]。 静御前が思案した橋は「思案橋」と呼ばれ、今でも下辺見の国道354号・向堀川上の道路橋が「思案橋」と名付けられている。
境内
文化財
- 木造聖徳太子立像(松葉太子像): 一躯、像高96cm、寄木造・玉眼・彩色。聖徳太子七歳の像。銘記・作者ともに不明だが鎌倉時代前期の特徴をもつ。太子像は沈鬱な表情が多いが、本作品は毅然とした中に明るさを漂わせており、美術的・年代的、また七歳像の稀少性からも貴重な作品と評価されている。茨城県指定有形文化財(彫刻)[8][9]。
- 蛙蟆龍(あまりょう)の御衣: 源義経の愛妾・静御前の舞衣。京都・神泉苑において雨乞いの儀式で舞った際、後鳥羽院より下賜されたと伝えられている[3][7]。一領、縦93cm、横59cm。黒藍の地に、緑糸で平縫いした円錐多層宝塔、塔の上には金銀糸の日と月、下には菱型の瑞雲と飛鶴があしらってあり、遺例が少ない形式である。雲文の表現に中国の明時代の特徴が見られる[10]。