八汐亜矢子

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出生名 北田 眞基子(きただ まきこ)
別名 日田 よしこ
生誕 4月6日
八汐 亜矢子
出生名 北田 眞基子(きただ まきこ)
別名 日田 よしこ
生誕 4月6日
出身地 日本の旗 日本 埼玉県狭山市
学歴 精華学園女子高等学校
ジャンル 演歌、歌謡曲
担当楽器 歌唱
活動期間 1966年 -
配偶者 死別
事務所 株式会社ヤシオ
共同作業者 松尾和子 小畑実 村沢良介 片山隼 遠藤実
公式サイト https://www.instagram.com/ayako.yashio_official__?igsh=MWhpN3FyZzIzcnEyNg%3D%3D&utm_source=qr

八汐 亜矢子(やしお あやこ、4月6日 - )は、日本の女性歌手。本名:八木眞基子(やぎ まきこ)。


身長157cm。好きな動物:ネコ。好きな食べ物:ジャムパン、トマト、じゃがいも。嫌いな食べ物:コーヒー。趣味:旅行、買い物[1]。好きな色:白、黒、赤。

来歴

4人兄弟の長女として埼玉県狭山市南入曽に生まれる。両親はサイクルショップ北田を営む。(現在は八汐の弟が引き継ぐ。)

精華学園女子高等学校に入学し、先輩には吉永小百合美空ひばりなどがいる。

幼い頃より母親[2]が熱心になって芸能界への道を歩ませ、テレビ映画映画等に出演したこともある。その後、学業に勤しむべく高校に入学したが3年生の時になって歌手への希望がふくらみ、高校に通いながら作曲家・大沢浄二に師事し、歌謡曲の勉強を始めた。以後約3年の間励みの甲斐あって、1966年(昭和41年)6月朝日放送テレビ系連続ドラマ『亜矢子』制作を記念して、雑誌明星テイチクレコード、朝日放送、松竹テレビ室が協賛し、明星を通じて行った“ミス亜矢子”全国募集に応募し1位に入選(『霧の夜のデイト』ジャケットより)。

デビュー前には松尾和子に師事しており、ムード歌手を目指していた。その伝手で小畑実にも師事し、小畑の作曲でデビューするという話もあったと言う。しかし、事務所の方針で「ミス亜矢子」に募集し、テイチクからのデビューとなった。

テイチクでは村沢良介に師事し、美人歌手のひとりとして売り出され、「霧の夜のデイト」は中山仁の初めてのデュエットとして話題を生み、詞の同人誌から拾い上げた「ゆうべ泣いちゃった」が4万枚ヒットした。B面の「今夜は日記につけないで」はマルマン深夜劇場『ミュージック・ストーリー』にて放送された。その後「ゆうべ泣いちゃった」路線のラテン系で「あなたの噂」「恋のボンボン」「好きになっちゃった」をリリースし、途中にはGS歌謡の「ゆうべの秘密」、ムード歌謡路線の「おんなの涙」「ふたりの夜」「あの人は遠い」「女でありたい」などを歌唱している。他にもボサノヴァ歌謡の「真夜中のわたし」、八汐フォーク三部作「雨に濡れていたのはだれ!」「帰れ小鳩よ」「白い夜明け」など多様な曲を歌っている。

1972年(昭和47年)には新規を期して遠藤実に弟子入りしている。遠藤はテイチク時代から八汐に一目置いており、ミノルフォン入りも画策していたことがあると言う。そして1973年(昭和48年)ポリドールでは、「女の園」がフジTVライオン奥様劇場『徳川の夫人たち』の主題歌として採用された。また、TV・ラジオ番組のレギュラーを数多く持ち、美人歌手として確固たる地位を保ち続けていたが、突然の病に伏し、約5年の闘病生活を続けた。

ポリドールから東芝EMIへ移籍する間には、コロムビアで八汐の故郷の狭山市市制施行20周年記念曲「狭山音頭」を歌唱している[3]

1980年(昭和55年)に東芝EMIに移籍し、恩師・遠藤の作曲の「あなた明日からもう他人」で歌手復帰。この頃、委託制作盤を数多く歌唱しており、福井県大飯郡高浜町海水浴場開場70周年記念曲「若狭高浜音頭」や「曽我の春」などがある。その中から三重県三重郡菰野町「湯の山しぐれ」がヒットし、後に全国盤となった。また遠藤実の作詞曲による「他人シリーズ」のうちの1曲「他人宿」(外2曲、「他人酒」「他人船」)をリリースしており、本格演歌歌手としての力量をつける。この曲は田端義夫山本誇己(現・山本湖々)、小紋典子の競作で発売されたが、遠藤は八汐歌唱盤を最も評価している。また、この時期「片山隼作品集」をリリースしており、のちにアレンジを変更してヒットした柳ヶ瀬の応援歌「柳ヶ瀬恋灯り」や、箱崎晋一郎など多くの歌手によって歌われた「奥美濃ブルース」、都会的な曲調の「盛り場おんな」「あなたが好き」なども収録されている。そして、全日本歌楽互恵審査協会が制作し、会長の玉井知湖作曲の「伊勢路慕情」「波切の港」は協会主催のコンクールの課題曲とされ、ブラジルペルーアルゼンチンなどへ、日系の学校訪問、遺児への寄附を目的にチャリティー・コンサートをしヒット。遠藤実作曲の「夢見川」、「戻ってほしい」と抱き合わせられ、「演歌特選集」として発売された。この時期に八汐の代表作が数多く生み出されている。

その後、2000年(平成12年)に牛尾真造の紹介で入った日本クラウンでは、演歌不遇時代の現代において遠藤実作曲家生活50周年記念曲の「銀婚式」で「日本クラウンヒット敢闘賞」を受賞し、5万枚以上を売り上げた。また、「他人宿」のリメイク、「大正琴音頭」「織田信長」など八汐の持ち味を生かした曲をリリースし、好評を呼んでいる。2004年にはこれまでの功績が認められ、「第25回松尾芸能賞歌謡特別賞」を受賞している。このとき、せんだみつおが駆けつけている。

2009年から2025年まで一般財団法人遠藤実歌謡音楽振興財団評議員を務めた。

2025年8月16日には、「若狭高浜音頭」が43年ぶりに復活した。また、マネージャーには2006年生まれの現役大学生の森野巧巳が就き、公式Instagramも開設され、「八汐亜矢子と森野巧巳の歌の旅」と題して自らの曲のエピソード紹介を森野巧巳の解説とともに行っている。

エピソード

ディスコグラフィ

出典

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