八汐亜矢子
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身長157cm。好きな動物:ネコ。好きな食べ物:ジャムパン、トマト、じゃがいも。嫌いな食べ物:コーヒー。趣味:旅行、買い物[1]。好きな色:白、黒、赤。
来歴
4人兄弟の長女として埼玉県狭山市南入曽に生まれる。両親はサイクルショップ北田を営む。(現在は八汐の弟が引き継ぐ。)
精華学園女子高等学校に入学し、先輩には吉永小百合、美空ひばりなどがいる。
幼い頃より母親[2]が熱心になって芸能界への道を歩ませ、テレビ映画や映画等に出演したこともある。その後、学業に勤しむべく高校に入学したが3年生の時になって歌手への希望がふくらみ、高校に通いながら作曲家・大沢浄二に師事し、歌謡曲の勉強を始めた。以後約3年の間励みの甲斐あって、1966年(昭和41年)6月に朝日放送テレビ系連続ドラマ『亜矢子』制作を記念して、雑誌明星、テイチクレコード、朝日放送、松竹テレビ室が協賛し、明星を通じて行った“ミス亜矢子”全国募集に応募し1位に入選(『霧の夜のデイト』ジャケットより)。
デビュー前には松尾和子に師事しており、ムード歌手を目指していた。その伝手で小畑実にも師事し、小畑の作曲でデビューするという話もあったと言う。しかし、事務所の方針で「ミス亜矢子」に募集し、テイチクからのデビューとなった。
テイチクでは村沢良介に師事し、美人歌手のひとりとして売り出され、「霧の夜のデイト」は中山仁の初めてのデュエットとして話題を生み、詞の同人誌から拾い上げた「ゆうべ泣いちゃった」が4万枚ヒットした。B面の「今夜は日記につけないで」はマルマン深夜劇場『ミュージック・ストーリー』にて放送された。その後「ゆうべ泣いちゃった」路線のラテン系で「あなたの噂」「恋のボンボン」「好きになっちゃった」をリリースし、途中にはGS歌謡の「ゆうべの秘密」、ムード歌謡路線の「おんなの涙」「ふたりの夜」「あの人は遠い」「女でありたい」などを歌唱している。他にもボサノヴァ歌謡の「真夜中のわたし」、八汐フォーク三部作「雨に濡れていたのはだれ!」「帰れ小鳩よ」「白い夜明け」など多様な曲を歌っている。
1972年(昭和47年)には新規を期して遠藤実に弟子入りしている。遠藤はテイチク時代から八汐に一目置いており、ミノルフォン入りも画策していたことがあると言う。そして1973年(昭和48年)ポリドールでは、「女の園」がフジTVライオン奥様劇場『徳川の夫人たち』の主題歌として採用された。また、TV・ラジオ番組のレギュラーを数多く持ち、美人歌手として確固たる地位を保ち続けていたが、突然の病に伏し、約5年の闘病生活を続けた。
ポリドールから東芝EMIへ移籍する間には、コロムビアで八汐の故郷の狭山市市制施行20周年記念曲「狭山音頭」を歌唱している[3]。
1980年(昭和55年)に東芝EMIに移籍し、恩師・遠藤の作曲の「あなた明日からもう他人」で歌手復帰。この頃、委託制作盤を数多く歌唱しており、福井県大飯郡高浜町海水浴場開場70周年記念曲「若狭高浜音頭」や「曽我の春」などがある。その中から三重県三重郡菰野町「湯の山しぐれ」がヒットし、後に全国盤となった。また遠藤実の作詞曲による「他人シリーズ」のうちの1曲「他人宿」(外2曲、「他人酒」「他人船」)をリリースしており、本格演歌歌手としての力量をつける。この曲は田端義夫、山本誇己(現・山本湖々)、小紋典子の競作で発売されたが、遠藤は八汐歌唱盤を最も評価している。また、この時期「片山隼作品集」をリリースしており、のちにアレンジを変更してヒットした柳ヶ瀬の応援歌「柳ヶ瀬恋灯り」や、箱崎晋一郎など多くの歌手によって歌われた「奥美濃ブルース」、都会的な曲調の「盛り場おんな」「あなたが好き」なども収録されている。そして、全日本歌楽互恵審査協会が制作し、会長の玉井知湖作曲の「伊勢路慕情」「波切の港」は協会主催のコンクールの課題曲とされ、ブラジル、ペルー、アルゼンチンなどへ、日系の学校訪問、遺児への寄附を目的にチャリティー・コンサートをしヒット。遠藤実作曲の「夢見川」、「戻ってほしい」と抱き合わせられ、「演歌特選集」として発売された。この時期に八汐の代表作が数多く生み出されている。
その後、2000年(平成12年)に牛尾真造の紹介で入った日本クラウンでは、演歌不遇時代の現代において遠藤実作曲家生活50周年記念曲の「銀婚式」で「日本クラウンヒット敢闘賞」を受賞し、5万枚以上を売り上げた。また、「他人宿」のリメイク、「大正琴音頭」「織田信長」など八汐の持ち味を生かした曲をリリースし、好評を呼んでいる。2004年にはこれまでの功績が認められ、「第25回松尾芸能賞歌謡特別賞」を受賞している。このとき、せんだみつおが駆けつけている。
2009年から2025年まで一般財団法人遠藤実歌謡音楽振興財団評議員を務めた。
2025年8月16日には、「若狭高浜音頭」が43年ぶりに復活した。また、マネージャーには2006年生まれの現役大学生の森野巧巳が就き、公式Instagramも開設され、「八汐亜矢子と森野巧巳の歌の旅」と題して自らの曲のエピソード紹介を森野巧巳の解説とともに行っている。