十死街
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香港の返還を半年後に控えた1996年の暮れ。旅行者の林康明は、父の言いつけで漢方薬の購入に赴くが、ドロボウ市と噂される摩羅上街に迷い込み、とある店の前で老店主の鄧から日本語で話しかけられる。康明が泉明の息子であると知った鄧は、お礼に魔除けの腕輪をやるから、指定の店にいる男に匣を届けてくれと使いを頼む。目的の人物については鄧も名前は知らず、「白スーツの男」「昨日ぶらりとやって来て代金を支払い、林という少年が来るからそいつに持って来させろと言い残して消えた」という。康明は断ろうとするも、ふと見た店は閉ざされており、鄧の姿はない。幽霊に化かされたかと疑う康明の手元には、腕環と寄せ木細工の木匣が確かに残っていた。
いつの間にか周囲は真っ暗になっており、康明は再び道に迷う。人気はないが憎悪の視線を感じ、多数の人間が「ふんぐるい・むるるわなー・くとぅーるー・る=らぃえー・うがーなぐる・たいん」という奇妙な言語で祈る声が聞こえてくる。康明は恐怖に駆られて走り出し、曲がり角で日本人らしい若い女性にぶつかる。彼女はヒステリックに、もう3日も迷っているのに出られず、「あの男」はここは十死街と呼んでいたと叫び、康明を突き飛ばして走り去るが、絶叫を残して怪死する。街路の向こうから歩いてきた黒服の男性は匣を渡すよう要求し、口笛で炎を発生させる。危険を悟って逃げ出した康明は波止場の釣り人に助けを求めるが、ふり返った彼の姿はまるで魚と人間の混合物であり、「『崑央の匣』を寄越せ」と迫り、海から仲間を呼ぶ。そのとき、どこからか小鳥が現れ、囀りが半魚人たちの聴覚を歪ませる。小鳥の朱鳥の翠に促され、康明は暗い小路へ駆けていく。朱鳥の翠はテレパシーで康明に話しかけ、仲間の「白スーツの男」について説明しかけるが、妖怪に追いつかれる。
一瞬のうちに地下室のような場所に連れてこられた康明を、先ほどの男性の黒元龍と妖怪たちが取り囲む。康明は敵をギャングと悟り、しかも理解不能の妖術使いと知る。匣を渡すよう言われた康明がこの匣は何かと問い返すと、元龍は超古代に地球を支配していた連中の出入口で、連中を召喚して「こっちと、あっちの」世界を支配することであることが目的だと明かす。康明はすべてを理解はできなかったが、元龍が匣で悪事を目論んでいることはわかった。そこに白服の男性の白鳳坊が現れて黒元龍と対峙し、元龍の火神術を白鳳坊は水妖術で打ち消す。元龍は妖怪の群れをけしかけるも白鳳坊の剣技には敵わず、白鳳坊は康明を連れて地下室から脱出する。
白鳳坊と翠は康明に状況を説明する。ここは1年後、1997年暮れの<世界B>である。白鳳坊と翠は、元龍を追って元の世界から世界Bにやって来た。世界Bとは、さっきまで康明がいた世界(あっち)の裏面である。1997年の春、香港返還時の混乱に乗じた元龍の悪企みにより、香港は十死街なる異界に呑み込まれた。住人は大半が避難したが、死者や化物に変貌してしまった者も多い。中華人民共和国当局は戦艦十数隻を派遣して港を見張り、香港から出ようとする者については誰であろうと砲撃する。
遠くから口笛が響いてくると、匣が自動で解体され、10メートル×20メートルものいびつな矩形の「扉」に変形した。元龍が姿を現し、口笛をかなでつつ、白鳳坊と戦いを始める。白鳳坊の刀は元龍の胸を貫くが、元龍は右心臓だったため、致命傷には至らない。扉が半開きとなり、火炎地獄からクトゥグアが姿を現しかける。元龍は「ふんぐるい、むぐるわなー・くとぅぐあ・ふぉまるはうと……」と長嘯を続けるが、白鳳坊は「苦止縷得宗妖術」で白熱の劫火を召喚し、扉を焼き飛ばす。光は元龍とクトゥグアを呑み込み、無人の香港と闇を照らし、康明は意識を失う。
康明が目覚めると、そこは1996年12月の摩羅上街だった。先ほどまでの出来事は夢か幻覚だったのかと疑うも、右手には確かにブレスレットが巻かれている。不意に小鳥のさえずりが聞こえ、飛んでいく朱鳥を見つけた康明がその後を追うと、人込みの中で肩に小鳥を止まらせた白スーツ姿の男性が消えていく。大陸返還を1年後に控えた香港の、ただの日常である。康明は、自分は元の世界へ戻れたのではなく、まだ世界Bにいるのではないかと自問するのだった。