協調介入
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協調介入の事例
協調介入の事例を記載する。なお、協調介入が検討され、実際には実施されなかった事例についても記載する。
- 1985年9月 - プラザ合意によるドル高是正。G5(日本、アメリカ、イギリス、西ドイツ、フランス)ドル売り協調介入で、1ドル=240円台から1年後には150円台に[4]。
- 1987年2月 - ルーブル合意。プラザ合意によるドル高是正の行き過ぎ修正のため行われたが、長続きせず失敗[4]。
- 1995年7月 - 4月にドルが79.75円の最安値を付けたことから円高を阻止するために、日米協調介入が実施される。「七夕介入」とも呼ばれる。ドル円は年末までに103円台に上昇[4]。
- 1998年6月 - アジア危機を受け、円買いドル売りの日米協調介入[4]。
- 2000年9月 - 1999年1月に誕生したユーロの一本調子の下落に対する対応として、G7は協調介入が行われた[3][4]。
- 2008年3月 - アメリカのサブプライムローンに端を発する金融危機時には、アメリカをはじめ、日本、ヨーロッパ各国が、ドル防衛のための協調介入について、秘密合意があったと日本経済新聞は報じている。この際はドルが持ち直したことから、協調介入は見送られた。
- 2011年3月 - 東日本大震災時に発生した急激な円高(17日早朝、1ドル=76円25銭)に対する対応として、G7が協調介入を実施することに合意し、実施された結果として81円台に回復した[5][6][4]。