原久一郎
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出身校
東京外国語学校
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出典:『アサヒグラフ』1949年6月29日号 | |
| 人物情報 | |
|---|---|
| 別名 | 筆名:原 白光[注釈 1] |
| 生誕 |
1890年4月10日 |
| 死没 |
1971年10月19日(81歳没) 脳軟化症 |
| 出身校 | 東京外国語学校 |
| 配偶者 | 原 奈都子(赤松 ナツ) |
| 両親 |
父:原 兵作 母:原 久子 |
| 子供 | 四男:原 卓也(ロシア文学研究者) |
| 学問 | |
| 研究分野 | 文学(ロシア文学) |
| 称号 | モスクワ大学名誉博士号[3] |
| 主な業績 | トルストイ作品全集の日本語完訳 |
| 学会 | 日本ロシア文学会会長(1966年 - 1967年) |
原 久一郎(はら ひさいちろう、1890年〈明治23年〉4月10日[4] - 1971年〈昭和46年〉10月19日[5])は、日本のロシア文学者、翻訳家。号は白光(はっこう)[注釈 1]。
1890年、新潟県北蒲原郡安野村下条[6](のちの水原町[7]、現・同県阿賀野市)生まれ。1910年(明治43年)旧制新発田中学校、1914年(大正3年)早稲田大学英文科、1917年(大正6年)東京外国語学校専修科ロシア語科を卒業[4][8]。1920年(大正9年)早稲田大学露文科の開設に伴って主任教授の片上伸に馬場哲哉とともに講師として招かれて主にトルストイの講義を行い[1]、1925年(大正14年)片上のスキャンダルに端を発した大学騒動で馬場とともに辞職[3]。このころからビリユーコフ著『大トルストーイ伝』の翻訳に取組み、トルストイへの傾倒を深める[1]。
1933年(昭和8年)、トルストイ普及会を設立する[9]など、トルストイ紹介に努め『アンナ・カレーニナ』をロシア語原書から完訳を始め、ロシア文学翻訳の一時代を、同世代の中村白葉、米川正夫と共に築いた。
1971年10月19日15時30分、脳軟化症のため東京都豊島区南長崎の自宅で死去[5]。81歳没。故郷の旧水原町(現・阿賀野市)にある瓢湖の