国鉄クモユニ82形電車
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1966年の中央東線客車列車の一部電車化に伴い、新たに郵便荷物電車の投入が必要となった[3]。クモユニ74形と同じく72系電車の改造により郵便・荷物合造車が投入されることになり、荷物車のクモニ83形800番台と同時期に中央東線の狭小トンネル対応の低屋根構造とした車両として1966年9月に登場したのがクモユニ82形800番台である[3]。
1975年の中央東線普通列車の全面電車化に伴い、新たな荷物電車の投入が必要となった[4]。1973年の中央西線・篠ノ井線電化時に折り畳み高さの低いPS23形パンタグラフが開発されたため、中央東線でも通常屋根にPS23形パンタグラフを搭載した荷物車クモニ83形0番台が登場したが、郵便荷物電車も増備されることになり、1975年3月に通常屋根車のクモユニ82形0番台が登場した[5]。
高崎地区では両毛線でクモユニ74形200番台の増備車が必要になったため、クモユニ82形0番台を両毛線向けに設計変更したクモユニ82形50番台が同年4月に登場している[6]。
構造
番台区分
低屋根車の800番台、通常屋根車の0番台、通常屋根車で両毛線向けの50番台に区分される。各車とも大井・長野ほか国鉄各工場での改造であるが、クモユニ82000 - 004と50番台の実際の改造は富士重工業宇都宮工場で行われた[6]。
800番台

中央本線普通列車の一部電車化に伴い、1966年9月から翌年3月にかけてクモユニ82800 - 802の3両が改造された[7]。室内配置は前位側から第1運転室、小包締切郵袋室、区分室、荷物室、第2運転室とされ、トイレは区分室に設けられた[3]。郵便室の荷重は4 t、郵袋数は327個、荷物室の荷重は2 tである[3]。クモニ83形との併結が前提のため、荷物室スペースはクモユニ74形より狭い[7][8]。
車体側面はオユ10形に準じたものとなり、側窓は小包締切郵袋室、郵便区分室、荷物室に幅700 mmのものが設けられたが、一部の下降窓以外は固定窓となった[3]。区分室上部には幅700 mmの明かり取り窓が設けられた[3]。側出入口は小包締切郵袋室が幅1,200 mmの両引き戸、荷物室は幅900 mmの片引戸となった[3]。車体塗装はクリーム色と青色の横須賀色となった[7]。
0番台
中央東線客車列車の全面電車化に伴い、1975年3月から12月にかけてクモユニ82000 - 005の6両が改造された[6]。当初は改造予定がなかったが、線区事情などから当面は郵便車として、将来は荷物車として使用したいとの要請があったため、クモニ83形0番台を基本に急きょ設計変更が行われて登場した[6]。
室内配置は前位側から第1運転室、郵便室、荷物室、車掌室、第2運転室であり、郵便室は郵袋室と区分室の区切りがなく、トイレは荷物室に設けられた[6]。郵便室の荷重は3.46 t、郵袋数は247個、荷物室の荷重は4.26 tである[6]。窓配置はクモニ83形をベースに郵便室部分の窓を省略した構造となり、クモユニ82形0番台にあった明かり取り窓はない[6][9]。側引戸は郵便室・荷物室とも幅1,800 mmの両引き戸となった[6]。
パンタグラフは折り畳み高さの低いPS23が1基搭載されており、中央東線の狭小トンネルに対応している[6]。
50番台
両毛線のクモユニ74形200番台の増備車として、1975年4月にクモユニ82050・051の2両が改造された[6]。車体はクモユニ82形0番台と同様であるが、ジャンパ連結器は車両が逆向きでも連結運転可能な両渡り構造である[6]。パンタグラフはPS23形が搭載され、当初は1基のみ搭載で1基は準備工事であったのを経て2基搭載となっている[6]。塗装は緑色とオレンジ色の湘南色である。