国頭盛順

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国頭 盛順(くにがみ せいじゅん、1511年–1580年4月14日)は、琉球王国の官僚。唐名は翁寿祥(おう じゅしょう)、童名は思武太(うみんた)、号は瑞峯(ずいほう)。翁氏永山殿内の始祖とされた[1]

盛順の出自や家系については系譜にも明確な記録がなく、詳細は不明であるが、浦添良憲の娘婿であったとされる。

1554年(嘉靖33年)には勝連間切惣地頭に任命され、あわせて石奉行御鎖之側を務めた。その後、紫冠を授けられた。[2]尚元王の即位後には、三司官に任ぜられている。[3]

1568年(隆慶2年)、盛順は王舅として、正議大夫梁炫とともに、明の隆慶帝(明穆宗)の即位を祝う慶賀使として派遣され、方物を献上した。1570年に帰国し、復命した。[1]

1580年(万暦8年)4月1日(旧暦)に死去。

脚注

参考文献

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