豊見城盛続
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| 豊見城 盛続 | |
|---|---|
| 三司官 | |
| 任期 1614年 – 1622年 | |
| 君主 | 尚寧王 尚豊王 |
| 前任者 | 名護良豊 |
| 後任者 | 国頭朝致 |
| 個人情報 | |
| 生誕 | 1560年??月??日 (嘉靖39年) |
| 死没 | 1622年5月28日
(63歳没) (天啓2年4月19日) |
| 童名 | 思武太 |
| 号 | 瑞岳 |
| 唐名 | 毛継祖 |
| 称号 | 親方 |
豊見城盛続(とみぐすく せいぞく、嘉靖39年〈1560年〉 - 天啓2年4月19日〈1622年5月28日〉)は、琉球王国の官僚、三司官。毛氏豊見城家の第五代当主。唐名は毛継祖。父は豊見城親方盛章。
盛続は、毛姓豊見城家の嫡男として誕生した。1592年(万暦20年)、謝名一族による反乱の鎮圧に功績を挙げ、紫冠に叙された。1603年(万暦31年)、豊見城間切の総地頭に任ぜられる。
1609年、薩摩藩による琉球侵攻(慶長の役)に際しては、琉球王府の命を受け、降伏・投降の使者として行動したとされる。
1622年(天啓2年)、死去。享年63。