土肥幸広
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特に身体機能が優れていたわけでもなく、「体が小さかったから」という理由だけで馬事公苑に長期騎手候補生として入学[1]。試験に合格するまでに3年浪人し、騎手になるまでに計5年を要した[1]。
1982年3月1日に騎手免許を取得し[2]、栗東・松田由太郎厩舎所属としてデビューすると、岡冨俊一・北村卓士・杉浦宏昭と同期になる[3]。
1年目の1982年は3月6日の中京第6競走5歳以上400万下でシルクニホン(14頭中11着)で初騎乗を果たし[4]、4月10日の阪神第12競走5歳以上800万下・アイゼンチカラで初勝利を挙げる[5] [2]。10月30日・31日の京都で初の2日連続勝利[6]、11月28日の中京では初の1日2勝[6]を記録すると、中央競馬の最終日となる12月26日の阪神最終第11競走4歳以上800万下・フェアゴットで勝利[7]。同年は落馬により鎖骨を骨折するが復帰し[1]、初年度から2桁勝利で20勝台となる28勝[8]をマーク。
2年目の1983年には4月24日の京都で初の1日3勝[9]を挙げるが、阪神のコーナーポストに激突して右膝を骨折[1]。今度は重傷で[1]、医師からは「廃業を考えてくれ」と言われたが、土肥は諦めず長いリハビリに耐え、歩けるようになり、何とか馬に乗れるまでに回復[10]。レース復帰後は真っ直ぐに乗りたいと思っても右足に力が入らず、馬がよれた[10]。
3年目の1984年にはフリーになったが、必然的に危ない馬しか回ってこないという悪条件の中で[10]、徹底的に勝利にこだわるようになり[10]、ユーショウスワローで小倉3歳ステークス2着[11]に入った。
1986年には21頭立ての金鯱賞で18番人気のイズミスターに騎乗し、ダイナシュート・ワカオライデンを抑えて[12]重賞初勝利を挙げる[13]。
1989年の北九州記念ではタニノスイセイでプレジデントシチーを抑えて[14]重賞2勝目[15]を挙げ、1990年には1月の小倉で200勝を達成し[3]、サクラシンゲキ産駒ニシヤマショウ[16]で北九州記念を連覇[3] [17]。
1992年には2月の1回小倉2日目では施行された全レースに騎乗し、1日12レースの騎乗を達成[3]。小倉大賞典ではワイドバトルでムービースター・レッツゴーターキン・イクノディクタスを抑えて5着までアタマ、クビ、クビ、ハナの接戦を制した[18]。
1992年4月末には同僚の丸山勝秀に所有していたコースレコードを記録した際に贈呈された記念品を無断で持ち出され、質屋で現金に換金されたことがある。丸山は窃盗の容疑で逮捕されてしまい、事が発覚した。丸山にはギャンブルによる多額の借金があったと言われ、競馬界を追放されている。
1992年8月には小倉で通算300勝を飾り[3]、秋には前年から主戦騎手を務めていたアラシで福島記念を制覇[19]。
1993年には小倉で行われた中京記念を制したほか、高松宮杯では3着に入る[19]。1994年の宝塚記念では勝負どころでビワハヤヒデに一気に抜かれたが、13番人気ながら7着と好走[20]。
1993年にはアーリントンカップをカネミノブ産駒グランドシンゲキで逃げ切り[21]、華麗なる一族の一頭であったシルクムーンライトでは北九州記念を逃げ切って同レース3勝目[17]を挙げ、シルクテンザンオー産駒唯一の重賞勝利[22]となった。
1994年にはシマノヤマヒメで小倉で行われた中京記念を連覇し、1995年にはサマニベッピンで全て後方から差し切って重賞を3勝する[17]。
サマニベッピンとのコンビでは金鯱賞・府中牝馬ステークスを快勝し[23]、唯一のGI挑戦[23]となった天皇賞(秋)は11着に敗退したが、最後方から勝ったサクラチトセオーとコンマ6秒差、メンバー中で2番目に速い後半上がり34秒6を記録[24]。阪神牝馬特別では天皇賞(秋)で中途半端に好位につけて敗れたことから最後方でレースを運び[20]、3コーナーでダンスパートナーの武豊が動こうとした時、他馬にコスられたのを気にしていた隙をつき、サマニベッピンを外に持ち出して一気に捲り上げる[25]。4コーナーから直線にかけてダンスパートナー・ホクトベガ・ワンダーパヒューム・サクラキャンドルのGI馬4頭を含む計11頭を差し切り[25] [26]、最後のレースとなった1996年の小倉大賞典は2着であった[23]。
1997年にはテイエムオオアラシでカブトヤマ記念・福島記念を制し[27]、エリザベス女王杯ではエイシンサンサンでゴール前まで逃げ粘ってエリモシック・ダンスパートナー相手にコンマ1秒差3着と大いに見せ場を作ると[28] [29]、初めてフェアプレー賞も受賞[30]。
1998年には4月に通算500勝を達成し[3]、京都新聞杯では16頭中16番人気のタヤスメドウでスペシャルウィーク・キングヘイローに次ぐ3着[31]に入ったが、2000年に福島で行われた新潟大賞典を同馬で制したのが最後の重賞勝利となった[32]。
1998年には京都記念でテイエムオオアラシに騎乗した時に鞍ズレして競走中止になったことがあったが、その時は「ついてない」と思ったものの、後にサリー・スウィフトが書いた乗馬の指導書『センタードライディング』を読んでからは、自分の体のバランスの悪さが原因と気付く[33]。
センタードライディングの理論を実践するため、自分の肉体のハンデを補うと同時に効果的なトレーニングが必要と考え、ディジョックボードやバランスボールといった様々なバランス器具を取り入れる[34]。最初は上に乗ることもできなかったが、次第に立てるようになり、競走姿勢がとれるようになって、最後にはボールの上で馬を追うシミュレーションができるようになった[34]。
土肥はこのトレーニングを調整ルームのトレーニング施設で黙々と続け、方法に迷った時は京都や大阪にある専門のトレーナーへ教えを乞い、自身のトレーニングに取り入れた[34]。その内に最初は奇妙な目で見ていた若手の後輩騎手たちが、次第に土肥の周囲に集まりはじめ、センタードライディングの理念が広がりはじめた[34]。
アメリカ製の木馬もバランストレーニング器具として重要視し、バランス感覚と無理のない動きを養うことに重点を置いた[35]。
2001年は僅か2勝とデビューから続けていた2桁勝利がストップし[8]、2002年9月1日の小倉第12競走3歳以上500万下・クラッシードレスを最後に勝利からも遠ざかる[32]。
2003年2月の終わり頃に中京での朝の調教中、突然、古傷の激痛で歩けなくなり、自ら病院を探して手術した[36]。手術自体は成功したが、一時的に動かなくなった脚のリハビリ方法を模索することになった[36]。その過程でイチローなども取り入れていた[35]「初動負荷理論」と出会う[36]。鳥取の専門ジム『ワールドウイング』でのトレーニングが最適だと聞き、門を叩くと、毎日、ただ延々と歩かされ、4日目くらいには「もう帰ろう」と思ったが、6日目くらいから確実に体が変わりはじめる[36]。騎手として理想的な筋肉を作るために「初動負荷理論」を応用したトレーニングにも取り組んだことで膝や体は格段によくなり[35]、後に和田竜二もこの理論を取り入れた騎乗法を始めた[36]。
2004年2月22日の京都第3競走3歳未勝利・テイエムワールド(15頭中14着)が最後の騎乗[37]となり、同年4月30日に現役を引退[2]。
引退後は南井克巳厩舎の調教助手に転身し[2]、その後は大根田裕之厩舎に移籍した。
南井とは、彼が騎手としての引退レースにおいて土肥の鞭を借りて騎乗し、見事勝利したという縁がある。
2017年6月に病気のため死去していたことが、2019年4月29日のラジオNIKKEI第2「中央競馬実況中継」放送内で、解説の荒木敏宏によって明らかにされた。55歳没。
主な騎乗馬
脚注
- 1 2 3 4 5 柴田哲孝「サンデーサイレンスの奇跡」2008年6月14日、ベストセラーズ、ISBN 4584130841、p115。
- 1 2 3 4 “土肥幸広騎手引退 | 競馬実況web | ラジオNIKKEI”. www.radionikkei.jp. 2025年10月28日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 「サンデーサイレンスの奇跡」、p128。
- ↑ “土肥幸広の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年10月28日閲覧。
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- 1 2 “土肥幸広の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年10月30日閲覧。
- ↑ “1982年12月26日のレース情報”. netkeiba.com. 2025年10月30日閲覧。
- 1 2 “土肥幸広”. netkeiba.com. 2025年10月30日閲覧。
- ↑ “土肥幸広の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年10月30日閲覧。
- 1 2 3 4 「サンデーサイレンスの奇跡」、p116。
- ↑ “ユーショウスワロー (Yusho Swallow)”. netkeiba.com. 2025年10月30日閲覧。
- ↑ “東海テレビ杯金鯱賞|1986年7月6日”. netkeiba.com. 2025年10月30日閲覧。
- ↑ “土肥幸広の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年10月30日閲覧。
- ↑ “タニノスイセイ (Tanino Suisei)”. netkeiba.com. 2025年10月30日閲覧。
- ↑ “土肥幸広の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年10月30日閲覧。
- ↑ “ニシヤマショウ (Nishi Yamasho)”. netkeiba.com. 2025年10月30日閲覧。
- 1 2 3 “土肥幸広の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年10月30日閲覧。
- ↑ “小倉大賞典|1992年2月23日”. netkeiba.com. 2025年10月30日閲覧。
- 1 2 “アラシ (Arashi)”. netkeiba.com. 2025年10月30日閲覧。
- 1 2 「サンデーサイレンスの奇跡」、p119。
- ↑ “グランドシンゲキ (Grand Shingeki)”. netkeiba.com. 2025年10月30日閲覧。
- ↑ “種牡馬成績|種牡馬情報|シルクテンザンオー|JBISサーチ(JBIS-Search)”. jbis.or.jp. 2025年10月30日閲覧。
- 1 2 3 “サマニベッピン (Samani Beppin)”. netkeiba.com. 2025年10月30日閲覧。
- ↑ “天皇賞(秋)|1995年10月29日”. netkeiba.com. 2025年10月30日閲覧。
- 1 2 「サンデーサイレンスの奇跡」、p120。
- ↑ “サンスポ阪神牝馬特別|1995年12月17日”. netkeiba.com. 2025年10月30日閲覧。
- ↑ “テイエムオオアラシ (T.M.Oarashi)”. netkeiba.com. 2025年10月30日閲覧。
- ↑ “エイシンサンサン”. uma-furusato.com. 2025年10月30日閲覧。
- ↑ “エリザベス女王杯|1997年11月9日”. netkeiba.com. 2025年10月30日閲覧。
- ↑ 「サンデーサイレンスの奇跡」、p121。
- ↑ “京都新聞杯|1998年10月18日”. netkeiba.com. 2025年10月30日閲覧。
- 1 2 “土肥幸広の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年10月30日閲覧。
- ↑ 「サンデーサイレンスの奇跡」、p122。
- 1 2 3 4 「サンデーサイレンスの奇跡」、p123。
- 1 2 3 「サンデーサイレンスの奇跡」、p124。
- 1 2 3 4 5 「サンデーサイレンスの奇跡」、p125。
- ↑ “土肥幸広の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年10月30日閲覧。
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