地主園秀美

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愛称 ゾノ
カタカナ ジヌシゾノ ヒデミ
ラテン文字 JINUSHIZONO Hidemi
国籍 日本の旗 日本
地主園 秀美
名前
愛称 ゾノ
カタカナ ジヌシゾノ ヒデミ
ラテン文字 JINUSHIZONO Hidemi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1989-04-14) 1989年4月14日(36歳)
出身地 鹿児島県霧島市
身長 168cm
体重 65kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
2002-2007 日本の旗 アミーゴス鹿児島
2008-2011 日本の旗 東海学園大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2011-2014 日本の旗 FC岐阜 34 (3)
2014 日本の旗 鹿児島ユナイテッドFCセカンド 5 (0)
2015-2022 日本の旗 FCマルヤス岡崎 158 (9)
通算 197 (12)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

地主園 秀美(じぬしぞの ひでみ、1989年4月14日 - )は、鹿児島県霧島市出身の元プロサッカー選手。ポジションは、ミッドフィールダー

6歳でサッカーを始め、中学から高校まではアミーゴス鹿児島に所属。高校時代に日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会など全国大会を経験した。

東海学園大学に進学し、1年時からレギュラーに定着。2年時、総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントに出場した。3年時にはデンソーカップチャレンジサッカーの東海・北信越大学選抜にも選ばれた。4年時の前半、東海学生サッカーリーグ開幕前の練習試合で左膝内側靱帯を損傷し、その後も復帰しては再発を繰り返した。

2011年6月上旬、FC岐阜の練習に1週間にわたって参加し[1]、同年7月より特別指定選手としてFC岐阜に登録された[2]。特別指定選手でありながら、チームの主力として16試合に出場した。この16試合は小山拓哉と並び特別指定選手の最多出場記録である。

2012年、FC岐阜へ正式に入団[3]。コーチの安原成泰は、東海学園大学時代の監督であった。第28節、第29節と2試合連続でゴールを決めて、そこからレギュラーに定着しかけたが、9月14日の第33節・ギラヴァンツ北九州戦で右脛骨・右腓骨骨折の怪我を負い戦列を離脱[4]。11月に手術を行い全治6ヶ月の診断を受けた[5]

2013年も怪我のリハビリに長い時間を費やし、10月30日にようやくチームに部分合流したものの、結局シーズンを棒に振った[6]

2014年7月、怪我から復帰することなく、契約期間満了により岐阜を退団[7]。同年8月、鹿児島ユナイテッドFCセカンドへ完全移籍した[8]

2015年、FCマルヤス岡崎へ完全移籍[9]

2022年、現役引退[10]

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2011岐阜35J2161-00161
20127182-10192
201300-0000
201400-0000
2014鹿児島244九州50--50
2015マルヤス32JFL284-11295
201616272--272
2017152-20172
2018230--230
2019280--280
202050-2070
2021211--211
2022110--110
通算日本J2 343-10353
日本JFL 1589-5116310
日本九州 50--50
総通算 19712-6120313
  • 2011年は特別指定選手

脚注

関連項目

外部リンク

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