宮城県における平成の大合併

From Wikipedia, the free encyclopedia

宮城県における平成の大合併(みやぎけんにおけるへいせいのだいがっぺい)では、宮城県内で1999年平成11年)から2010年(平成22年)にかけて行われた市町村合併(平成の大合併)および同時期に浮上した市町村合併構想について解説する。

宮城県を構成する市町村: 市 / 町 /
1975年(昭和50年)時点の宮城県の市町村に、太線で現在の市町村の境界を示したもの。1978年に色麻村が色麻町に、1988年に仙台市が泉市宮城郡宮城町名取郡秋保村を合併したほかは、1999年まで変化はない。

変遷表

宮城県では市町村の合併の特例に関する法律(旧合併特例法)に基き、激動する社会情勢や複雑化する行政ニーズといった問題に自治体の財政基盤強化や行政の効率化で適応・対処することを目的として、2000年(平成12年)3月に「宮城県市町村合併推進要綱」を策定し、県内市町村の合併を奨励してきた[1]

宮城県市町村合併推進要綱にある合併試案には県内71市町村(10市59町2村)を17市町村に再編成する合併パターンが記載され、仙台市・柴田郡川崎町を除く69市町村が合併を期待されていた[2][3]2009年(平成21年)までに、県北部ではほとんどの市町村が合併し、9の新市町村が誕生したが、対照的に仙台都市圏仙南圏では全く市町村合併が行われなかった[3]。結果として、2006年(平成18年)3月31日までに県下71市町村は36市町村(13市22町1村)に再編された[2]

その後は2006年(平成18年)3月に「宮城県市町村合併推進構想」を策定するなどしてさらなる合併を推進し、気仙沼市本吉郡本吉町が合併するなど、一定の成果はあったが、低調に終わり、2026年(令和8年)現在では35市町村(14市20町1村[注 1])が県内に存在している[5][6]

以下に宮城県内における平成の大合併の概略を記載する。なお、合併協議会は法定協議会のみを記載し任意協議会は省略している。

以下に宮城県内における市町村合併の経過を記述する。なお、表中、2005年(平成17年)4月1日から2006年(平成18年)3月31日までの期間について、旧合併特例法は失効しているが、一部条件を満たす合併に関しては、旧合併特例法の規定が適用されることに注意[25]

旧合併特例法 合併新法下
1999年 - 2002年 2003年4月1日 2005年4月1日 2005年10月1日 2006年1月1日 2006年3月31日 2009年9月1日 現在
加美郡中新田町 新設合併
加美郡加美町
加美郡加美町 加美郡加美町 加美郡加美町 加美郡加美町 加美郡加美町 加美郡加美町
加美郡小野田町
加美郡宮崎町
石巻市 石巻市 新設合併
石巻市
石巻市 石巻市 石巻市 石巻市 石巻市
桃生郡河北町 桃生郡河北町
桃生郡雄勝町 桃生郡雄勝町
桃生郡河南町 桃生郡河南町
桃生郡桃生町 桃生郡桃生町
桃生郡北上町 桃生郡北上町
牡鹿郡牡鹿町 牡鹿郡牡鹿町
登米郡迫町 登米郡迫町 新設合併
登米市
登米市 登米市 登米市 登米市 登米市
登米郡登米町 登米郡登米町
登米郡東和町 登米郡東和町
登米郡中田町 登米郡中田町
登米郡豊里町 登米郡豊里町
登米郡米山町 登米郡米山町
登米郡石越町 登米郡石越町
登米郡南方町 登米郡南方町
本吉郡津山町 本吉郡津山町
栗原郡築館町 栗原郡築館町 新設合併
栗原市
栗原市 栗原市 栗原市 栗原市 栗原市
栗原郡若柳町 栗原郡若柳町
栗原郡栗駒町 栗原郡栗駒町
栗原郡高清水町 栗原郡高清水町
栗原郡一迫町 栗原郡一迫町
栗原郡瀬峰町 栗原郡瀬峰町
栗原郡鶯沢町 栗原郡鶯沢町
栗原郡金成町 栗原郡金成町
栗原郡志波姫町 栗原郡志波姫町
栗原郡花山村 栗原郡花山村
桃生郡矢本町 桃生郡矢本町 新設合併
東松島市
東松島市 東松島市 東松島市 東松島市 東松島市
桃生郡鳴瀬町 桃生郡鳴瀬町
本吉郡志津川町 本吉郡志津川町 本吉郡志津川町 新設合併
南三陸町
本吉郡南三陸町 本吉郡南三陸町 本吉郡南三陸町 本吉郡南三陸町
本吉郡歌津町 本吉郡歌津町 本吉郡歌津町
遠田郡小牛田町 遠田郡小牛田町 遠田郡小牛田町 遠田郡小牛田町 新設合併
遠田郡美里町
遠田郡美里町 遠田郡美里町 遠田郡美里町
遠田郡南郷町 遠田郡南郷町 遠田郡南郷町 遠田郡南郷町
古川市 古川市 古川市 古川市 古川市 新設合併
大崎市
大崎市 大崎市
志田郡松山町 志田郡松山町 志田郡松山町 志田郡松山町 志田郡松山町
志田郡三本木町 志田郡三本木町 志田郡三本木町 志田郡三本木町 志田郡三本木町
志田郡鹿島台町 志田郡鹿島台町 志田郡鹿島台町 志田郡鹿島台町 志田郡鹿島台町
玉造郡岩出山町 玉造郡岩出山町 玉造郡岩出山町 玉造郡岩出山町 玉造郡岩出山町
玉造郡鳴子町 玉造郡鳴子町 玉造郡鳴子町 玉造郡鳴子町 玉造郡鳴子町
遠田郡田尻町 遠田郡田尻町 遠田郡田尻町 遠田郡田尻町 遠田郡田尻町
気仙沼市 気仙沼市 気仙沼市 気仙沼市 気仙沼市 新設合併
気仙沼市
気仙沼市 気仙沼市
本吉郡唐桑町 本吉郡唐桑町 本吉郡唐桑町 本吉郡唐桑町 本吉郡唐桑町
本吉郡本吉町 本吉郡本吉町 本吉郡本吉町 本吉郡本吉町 本吉郡本吉町 本吉郡本吉町 編入
気仙沼市

経緯

国による合併推進

昭和の大合併収束後、日本高度経済成長期バブル崩壊等を経て、国民生活水準の向上や市町村間の人口格差の進行、農村部における高齢化・過疎化、交通網の整備によるモータリゼーションとそれに伴う住民の生活圏の拡大など、社会情勢が大きく変化した[32]。さらに産業のグローバル化や情報化の進展なども相まって、市町村の行政サービスはますます高度化・多様化していった[2][32]。そんななか、1997年(平成7年)7月に行われた地方分権推進委員会内閣総理大臣の諮問機関)による第二次勧告において、「国・地方を通じた厳しい財政状況の下、今後ともますます増大する市町村に対する行政需要や住民の日常生活、経済活動の一層の広域化に的確に対応するためには、基礎的自治体である市町村の行財政能力の向上、効率的な地方行政体制の整備・確立が重要な課題」であるとされ、その有力な選択肢の一つとして「今まで以上に積極的に自主的な市町村合併を推進する」とした[7]。また、1998年(平成10年)に示された第25次地方制度調査会答申において「市町村の合併が更に一層推進されるよう、合併の障害の除去、合併後の市町村に対する支援、環境整備のための方策等について充実強化するとともに、特例制度や既存制度が効果的に活用されるための方策を早急に講じ、総合的に支援する必要がある。」とされた[7]。これらの答申を受け、より積極的に市町村合併を推進するために日本国政府は、地方分権改革の一環として、1999年(平成11年)の地方分権の推進を図るための関係法律の整備等に関する法律制定に伴い、市町村の合併の特例に関する法律(旧合併特例法)を改正、2002年(平成14年)のさらなる改正を経て、市制施行の人口要件を3万人とした「3万市特例」や合併特例債などの財政的な特典、住民発議制度の拡充などが規定され、また、国から地方公共団体への財源移譲に伴う地方交付税の削減や段階補正の見直しが実施された[33][34][35]。このように政府は高度化・多様化した行政に対応することができるように市町村を強化するため、アメ(3万市特例や合併による財政的な特典)とムチ(財政的な強制力)を駆使する形で市町村に行政の効率化を促し、市町村合併を促進した[35]

旧合併特例法下での県の取り組み

1999年(平成11年)8月、自治省から各都道府県に『市町村の合併の推進についての指針』が示され、「市町村の合併パターン」を含む、市町村合併推進要綱を作成することが要請された[7]。これを受けて宮城県では、「みやぎ新しいまち・未来づくり推進構想調査研究」と題して、行政学、地方自治論、社会学、政策科学、地域解析・都市計画の専門家からなる委員会による学術的・客観的な調査研究を実施した[36]。調査研究では合併の類型や枠組みを生活圏や市町村の相互依存度、財政的効率性といった客観的指標や合併に対する認識といった基準と照らし合わせて検討し、調査研究報告書が提出された[36][8]。この報告書並びに「地方分権の時代にふさわしい地域社会の仕組みづくり」で示された基本的な指針を踏まえて、県は2000年(平成12年)3月に、5年間の当面の目標として宮城県市町村合併推進要綱を策定した[7][8]。市町村合併推進要綱は、時限立法である旧合併特例法の期限(平成17年3月)までの合併を奨励するために、宮城県が、市町村合併に対する考えや支援策を明確にし、また、市町村合併をするうえでの様々な目安を示すために作成され、そのなかには具体的な合併パターン(後述)も記載されていた[8]

その後、2001年(平成13年)に総務事務次官から各都道府県に知事を長とする全庁的支援体制(市町村合併推進本部)を設置し、複数箇所の合併重点支援地域を指定することが要請された[7]。宮城県はさかのぼること2000年(平成12年)4月に宮城県市町村合併推進本部を設置、さらに気仙沼地方振興センターならびに各地方事務所の所管する地域ごとに宮城県市町村合併推進本部地方支部を置いた[7][9]

宮城県は、合併促進の具体的な施策としてまず、基礎的な情報収集を目的として県内全域を対象とした「基礎調査」と2001年(平成13年)当時から合併に関する研究・協議が進行していた地域(大河原町村田町柴田町のグループと加美郡4町のグループ)を対象とした「実地調査」を実施した[37]。基礎調査では宮城県市町村合併推進要綱で示した枠組みを基本として、合併後の経済規模等の各種統計や効率化の目安を調査し、実地調査では住民意向調査の実施や社会経済動向、事務事業の比較のほか、地域の将来、合併による効果と課題などを調査研究した[37]。調査結果を報告書として編纂し、各市町村に提出した[37]。また、財政的な支援として、合併市町村、合併関係市町村、合併協議会を対象に「みやぎ新しいまち・未来づくり交付金」や公共的民間団体を対象に「みやぎ新しいまち・未来づくり推進事業補助金」を交付する措置を定めた[38][39]。その後も、財政シミュレーションソフトを市町村に提供するなど、継続的に市町村合併の促進を行った[37]

宮城県市町村合併推進要綱

合併パターン

宮城県市町村合併推進要綱による県内市町村合併案。
合併の類型: 中核都市創造型 / 都市移行型 / ポテンシャル開花型 / 連携進化型 / 残置

宮城県は、みやぎ新しいまち・未来づくり構想を踏まえて、宮城県市町村合併推進要綱で県下71市町村を17市町村に再編成する合併案(県試案)を打ち出した[40]仙台市柴田郡川崎町以外の全市町村が対象となったこの枠組みは、先述の通り、専門家らによる「みやぎ新しいまち・未来づくり推進構想調査研究」の調査報告や国の指針を軸に作成されたものであるが[8]、宮城県は同要綱で「合併の対象となる市町村の組合せは、地域の気運や議論の熟度に応じ変わるため、ここで示す組合せ以外の合併もあり得る」としており、「部分的、段階的な合併を経て、最終的な合併の形に至ることも想定される」としている[40]。さらに宮城県は、合併関係市町村に統一された目標を意識させるために宮城県市町村合併推進要綱で県下市町村合併の枠組みの類型として次の4類型を設定した[40]

  1. 中核都市創造型 - 特例市移行を視野に入れた地方中心都市の創造を目的とする[40]
  2. 都市移行型 - 市制施行を契機として都市機能の充実強化を図る[40]
  3. ポテンシャル開花型 - 市町村の有するポテンシャルを最大限に引き出すこと、または共通の重要政策課題を解決することを目指す[40]
  4. 連携進化型 - 市町村が現在の連携を深めることにより、人口・産業構造上の困難な諸条件の克服を目指す[40]

以下は宮城県市町村合併推進要綱記載の合併パターンの一覧である[40]。なお、人口と面積は2000年(平成12年)実施の国勢調査の人口、同要綱記載記載の面積であることに留意。

市町村の組み合わせ 総人口 総面積 類型
組み合わせ 市町村数
古川市
志田郡松山町三本木町鹿島台町
玉造郡岩出山町鳴子町
遠田郡涌谷町田尻町小牛田町南郷町
10 186,021 人 952.3 km2 中核都市創造型
石巻市
桃生郡河北町矢本町雄勝町河南町桃生町鳴瀬町北上町
牡鹿郡女川町牡鹿町
10 229,772 人 722.5 km2
柴田郡大河原町村田町柴田町 3 75,418 人 157.4 km2 都市移行型
亘理郡亘理町山元町 2 53,307 人 137.7 km2
黒川郡大和町大郷町富谷町大衡村 4 76,079 人 416.9 km2
白石市
刈田郡蔵王町七ヶ宿町
3 56,372 人 702.3 km2 ポテンシャル開花型
角田市
伊具郡丸森町
2 52,222 人 420.9 km2
名取市
岩沼市
2 108,623 人 160.8 km2
塩竃市
多賀城市
宮城郡松島町七ヶ浜町利府町
3 191,042 人 149.4 km2
栗原郡築館町志波姫町 2 23,411 人 94.4 km2
気仙沼市
本吉郡本吉町唐桑町
2 82,394 人 333.3 km2
加美郡中新田町小野田町宮崎町色麻町 4 36,492 人 570.1 km2 連携進化型
栗原郡若柳町栗駒町高清水町一迫町瀬峰町鶯沢町金成町花山村 4 61,536 人 712.0 km2
登米郡迫町登米町東和町豊里町米山町石越町南方町
本吉郡津山町
9 93,769 人 536.9 km2
本吉郡志津川町歌津町 2 19,860 人 163.5 km2

実現した合併

加美町

加美町の位置。

中新田町小野田町宮崎町色麻町からなる加美郡4町はもとより、ごみ処理やし尿処理等の事務の共同処理の実績や歴史的なつながりのため、互いにかかわりの深い自治体同士であった[41][42]。そのため、県の合併案では、一つの自治体として合併、さらには市制施行することが期待され、1998年(平成10年)5月29日に4町の町長および議長等で構成される加美郡町村合併研究会を組織した[42]。研究会は2001年(平成13年)4月1日に任意協議会である加美郡四町合併推進協議会へと発展的に解消、住民座談会の実施や将来ビジョンの策定などに努めた[42]。同協議会では、住民意向調査で合併賛成が反対を上回った場合、法定協議会に移行することを決定、結果は合併賛成が54.9%の過半数となり、2002年(平成14年)2月1日に加美郡四町合併協議会(法定協議会)が設置された[42]。同協議会では第4回協議会で、合併の方式を「新設合併」、合併の期日を「平成15年4月1日」とすることが決定し、また第3回協議会で設置された小委員会により「加美市」「加美富士市」「新加美市」「加美大崎市」「加美郡市」の5市名案が選定された[43]。第13回協議会での無記名投票により、新市名を「加美市」とすることが決まった[43]。そして、第15回協議会までに全48の合併協定項目の協議は終了し、いよいよ10月22日の合併協定調印式を控えるに至った[43]。しかし、9月に色麻町議会で合併に関する住民意向調査を実施する議案が可決され、色麻町民住民意向調査が実施されたところ、「もっと時間をかけて合併を検討すべき」との意見が多いことが判明した[43]。そこで色麻町は他3町に対して、合併期日の延長と議論の継続を要請した[43][44]。他3町は、要請を受け入れることはできないとして、11月1日の第18回協議会でこれを却下、加美郡四町合併協議会は休止状態に入った[43][44]。色麻町を除く3町は改めて2003年(平成15年)4月1日の合併を目指して、2002年(平成14年)11月8日に中新田町・小野田町・宮崎町合併協議会(法定協議会)が設置された[44][43]。色麻町が合併の枠組みから脱落したことにより市制施行の見込みはなくなり、その上、3町での合併は、宮城県例規「町となるべき普通地方公共団体の要件に関する条例」(昭和23年宮城県条例第29号)にある町の要件の一つである「当該普通地方公共団体の中心の連戸区域内に在る戸数が全戸数の5割以上であること」を満足しないことから、一時、町ではなく村になる見込みとなった[45]。しかし、2002年(平成14年)に、2005年(平成17年)3月31日までに合併すれば条件の一部を満たさなくても良いという特例が加えられ、町として合併施行することが決定した[46]。その後、協議は順調に進み、翌2003年(平成15年)1月8日に合併協定調印式が行われ、同年4月1日に合併が施行、中新田町・小野田町・宮崎町の区域をもって加美町が成立した[43]

なお、中新田町・小野田町・宮崎町は、3町での協議会設置後も「加美郡がひとつになることが望ましい」との考えを示しており、3町での合併が行われた後でも「色麻町から申し出があるとすれば、合併に向けた話し合いに積極的に応ずる」としている[44]

石巻市

石巻市の位置。

石巻市桃生郡各町・牡鹿郡各町はもとより、消防、し尿処理、ごみ処理等の事務の共同処理の実績があり、石巻市を核として通勤通学圏、通院圏、商圏で一体度が高い圏域(石巻圏)を形成していた[47]。そのため、県の合併試案では、石巻市および矢本町他9町との合併とそれに伴う特例市移行が期待された[40][48]。1市9町合併が実現すれば新市の人口は229,772人[注 2]となり、特例市移行の必要条件を満たしていた[49]2002年(平成14年)7月3日、石巻地方1市9町は各市町の首長と議会議長からなる石巻広域合併調査研究会を発足し、石巻地方全体の枠組みによる合併について検討を進め、翌年1月末に任意合併協議会を設置する方針について確認した[50]。しかし、12月26日、第4回研究会で2町合併もしくは河南町を加えた3町合併を目指す矢本町と鳴瀬町および原発が立地する女川町が協議会への不参加を表明した[48]。また、翌年2月5日、第5回研究会で合併に対しての態度を保留していた牡鹿町も女川町との合併を目指すとして協議会への不参加を表明した[48]。その結果、2003年(平成15年)2月24日に石巻市河北町雄勝町・河南町・桃生町北上町が参加する石巻地区1市5町任意合併協議会が設置されることとなった[51]。ただし、牡鹿町は女川町での住民意向調査の結果(単独での存続が大多数を占めた)を受けて、女川町との合併を白紙撤回し、任意協議会への参加を希望、任意協議会はこれを承認し、石巻地区1市5町任意合併協議会は石巻地区1市6町任意合併協議会と改称した[51]。2003年(平成15年)7月25日、任意協議会は地方自治法に基づいた法定協議会である石巻地域合併協議会に昇格した[51]。法定協議会成立後、第7回協議会までに合併方式を「新設合併」、役所位置を「旧石巻市役所」とすることが決定し、また、同協議会第1小委員会が新市名案を公募の中から、「石巻市」「いしのまき市」「新石巻市」「南三陸市」「日和市」「石の巻市」の6案を選定、第8回協議会での投票の結果、「石巻市」とすることが決定した[52][51]

合併協議が進む中、2004年(平成16年)3月8日に開かれた河北町議会合併調査特別委員会が、合併による行政サービスの低下や合併反対の住民が多いことなどを理由に合併協議会からの離脱を決議し、町議会でも単独で存続することを決定した[53]。これにより河北町は合併協議会から離脱し、協議会に残った1市5町は石巻地域合併協議会を休止し、それとは別に石巻地域1市5町合併協議会を設置して引き続き議論を継続した[54]。一方で河北町では合併離脱反対派の住民らが合併の是非を問う住民投票条例の直接請求に向けた署名活動を開始し、有権者の過半数の署名を集めた[54]。6月14日に住民投票条例が可決され、7月11日に投票を実施したところ、合併反対を上回る結果となった[51]。河北町長は住民の意思を尊重するとして、合併協議会に再加入する議案を議会に提出し、これが可決されたことから、8月11日に合併協議会への再加入を申し入れた[54]。これを受けて、石巻地域1市5町合併協議会は休止し、石巻地域合併協議会が再開した[54]

その後の協議会で全ての協定項目の協議が終了し、2004年(平成16年)10月30日に合併協定調印式が実施、12月24日に 市町の廃置分合(平成16年宮城県告示第1416号)が告示された[55]2005年(平成17年)4月1日、協定通りに合併が施行、石巻市・河北町・雄勝町・河南町・桃生町・北上町・牡鹿町を廃し、その区域をもって石巻市が成立した[55]

登米市

登米市の位置。

登米郡8町で組織される登米地方町村会は、全国的な合併機運の高まりにより、町村合併を議論するため、2002年(平成14年)6月10日、登米地域合併研究会を設置した[56]。7月22日の第2回研究会からは本吉郡津山町もオブザーバーとして参加した[56]。なお、津山町は同年6月28日、同じく本吉郡5町で組織される市町村合併制度研究会にも参加していた[56]。登米郡8町はより一層、議論を行うために、同年12月6日に研究会を登米地域合併推進協議会へと発展的に解消、津山町は引き続きオブザーバーとして参加した[56]。津山町は翌年2月に独自の住民意向調査を実施、その結果、合併賛成派が8割を占め、そのうち73.8%が登米郡8町との合併を希望した[56]。これを受けて、津山町は登米郡8町との合併を決断、2003年(平成15年)4月1日に設置される登米地域合併協議会(法定協議会)に登米郡8町とともに参加した[12]。第14回までの協議会で、合併方式を「新設合併」、新事務所位置を「旧迫町役場」とし「旧登米町・中田町・南方町の各庁舎を分庁舎とする」ことが決定、新市の名称案は「登米市」「とめ市」「田園登米市」「水の里市」「北宮城市」「新登米市」「佐沼市」の7案が選定され、第12回協議会で「登米市」を新市名とすることが決まった[12][57]。合併期日は、豊里町長の任期と電算システムへの移行を考慮し、「平成17年3月22日」とすることが決定したが、第19回協議会において「合併特例法の一部改正があった場合は、平成17年4月1日」と改正された[12]2004年(平成16年)6月7日の第21回協議会で全50の協定項目の協議が終了、6月19日には合併協定調印式が行われた[12][58]2005年(平成17年)4月1日に合併が施行され、登米郡迫町登米町東和町中田町、豊里町、米山町石越町南方町および本吉郡津山町の区域をもって、登米市が成立した[58]

栗原市

栗原市の位置。

1997年(平成9年)11月に郡下10町村での法定協議会設置要求の住民発議が栗原青年会議所主導で行われた[20][59]。この発議は築館町栗駒町志波姫町以外の7町村が議会に付議せず不成立に終わったが、翌1998年(平成10年)6月29日、栗原青年会議所の働きかけにより築館町と志波姫町は県試案の通り、2町での合併を目指して、築館町・志波姫町2町合併研究会を設置した[20]。しかし、志波姫町西部は築館町よりか若柳町との結びつきが強く、町内世論は二分化することが予想された[60]。そのため、志波姫町議会は「2町合併では市制施行できない。若柳町を合併協議に加えるべきだ。」として2町での合併を急ぐ築館町議会と対立した[61]。約3年間にわたり議論を交わした末、2001年(平成13年)3月27日、築館町・志波姫町2町合併研究会は解散、その後しばらく栗原郡での合併協議が行われることはなかったが、同時期に栗駒町・金成町が一関地方広域合併研究会にオブザーバーとして参加したり、高清水町瀬峰町が大崎1市9町市町村合併事務研究会に参加したりするなど、一部町村は栗原郡以外の枠組みでの合併について検討していた[20][62]。そんななか、2002年(平成14年)5月に行われた栗原地方町村会定例会で、栗原郡下10町村の首長および議会議長らからなる合併研究会を設置することが決定し、8月8日に栗原地域合併研究会が組織された[62]。同協議会は翌2003年(平成15年)2月5日に、栗原地域合併推進協議会(任意協議会)へと発展的に解消した[62]。ただし、栗原郡の町村のうち、高清水町は任意協議会への不参加を表明していたため、この任意協議会は高清水町を除く9町村で組織されたが、高清水町長は町民の意思を確認した後に最終的に判断するとした[62]。同月12日、高清水町民有志は法定協議会設置を直接請求し、これに応える形で高清水町は住民意向調査を実施した[62]。結果、合併賛成が75.5%に上り、栗原派が大崎派を僅差で上回った[63]。同様に、大崎地域と合併するか栗原地域と合併するかで揺れていた瀬峰町においても住民意向調査が実施され、栗原派が大崎派を僅差で上回った[63]。2町は栗原郡10町村で合併する方針を固め、10 町村での法定協議会設立の声があがった[63]。住民意向調査で合併に肯定的な意見が多く見られたことを確認した後の2003年(平成15年)7月1日に栗原地域合併協議会(法定協議会)が設立された[63]2003年(平成15年)8月の第2回および第3回協議会で合併形式を「新設合併」、合併期日を「平成17年3月14日」とすることが決定、ただし、このうち合併期日に関しては2004年(平成16年)4月21日の第18回協議会で「合併特例法の一部改正があった場合は平成17年4月1日とする」という但し書きが加えられた[63]。新市の名称は新市の名称検討小委員会が「北宮城市」「くりこま高原市」「栗原市」「くりはら市」「すばる市」の5候補を選定[63]、第10回協議会にて協議会委員による投票が行われ、投票の結果、最多得票[注 3]の「栗原市」が新市の名称として選ばれた[63]。2004年(平成16年)4月21日の第18回協議会ですべての協定項目についての協議が終了し、6月19日に合併協定調印式が実施された[63][65]。同年6月25日、各町村議会で合併関連議案が提出され、9町村で可決されたものの若柳町では1票差で否決された[65]。これを受けて7月25日、議員発議のもと若柳町民を対象に合併の是非を問う住民投票が実施された[65]。結果は合併賛成が71.7%、合併反対が28.3%となり、合併賛成が多数となった[65]。若柳町長は7月26日、再度合併関連議案を提出、今度は全会一致で可決された[65]。栗原郡全10町村で合併関連議案が可決されたことを受けて、2005年(平成17年)4月1日、築館町・若柳町・栗駒町・高清水町・一迫町・瀬峰町・鶯沢町・金成町・志波姫町・花山村を廃し、その区域をもって栗原市が成立した[65]

東松島市

東松島市の位置。

桃生郡矢本町および鳴瀬町は、隣接する石巻市ほか桃生郡・牡鹿郡の町村とともに合併することが県試案では期待されていた[48]。そのため、石巻市他9町は石巻広域合併調査研究会を組織した[14]。そんななか、矢本町議会では、2002年(平成14年)8月8日の市町村合併調査特別委員会で、「合併特例法の期限内での1市9町合併は困難である」と判断し、矢本町・鳴瀬町・河南町での合併を支持する意見が大半を占めた[14]。一方、鳴瀬町議会では、合併の具体的な枠組みを検討するために、同年11月、矢本町議会、河南町議会、石巻市議会松島町議会との意見交換会を実施した[14]。これ以降、矢本町と鳴瀬町では、2町もしくは河南町を加えた3町での枠組みによる合併案が醸成されていった[14]。しかし、河南町長は2002年(平成14年)11月21日、鳴瀬町長に石巻地域10市町での合併を進めたいことを明言し、河南町議会も3町合併案に対して否定的な考えが示された[14]。矢本町長と鳴瀬町長は翌12月に当面の間、石巻地域との合併協議には参加しない旨を表明し、2003年(平成15年)1月30日に行われた合同記者会見で2町で新設合併する方針を正式に発表し、2月21日には矢本町・鳴瀬町合併準備委員会が、4月1日には矢本町・鳴瀬町合併協議会(法定協議会)が設置された[14]。7月に開かれた第3回協議会で合併方式を「新設合併」、合併期日を「平成17年3月31日まで」とすることが決まった[66]。なお、合併期日については合併特例法の改正により、特例措置が1年間延長されることを受けて、2004年(平成16年)7月の第19回協議会において「平成17年4月1日」と改められた[66]。新市の名称については公募5,019件の中から、新市候補選定小委員会が「あおい市」「青空市」「奥松島市」「滝山市」「東松島市」「松海市」「未来市」「桃生市」の8候補を選定し、2004年(平成16年)1月の第9回協議会で投票が行われた[66]。投票の結果、「東松島市」が最大の得票となり、新市名となった[67]。各市名案の、公募による応募数と合併協議会委員による投票数は以下の通りである[68][67]

あおい市 青空市 奥松島市 東松島市 滝山市 松海市 未来市 桃生市
市民応募数 6 37 304 35 170 13 27 29
委員投票数 0 0 3 16 0 3 0 1

2004年(平成16年)8月の第21回協議会で計55の協定項目すべてについて協議が終了し、9月3日に合併協定調印式が実施された[69]2005年(平成17年)4月1日、協定通りに合併が施行、矢本町・鳴瀬町の区域をもって東松島市が成立した[69]

南三陸町

南三陸町の位置。

2002年(平成14年)6月28日、本吉郡下5町の町長は、合併の効果や課題を検討するために、市町村合併制度研究会を設置した[70]。11月12日には気仙沼市と本吉郡5町の町長・議会議長が会合を実施、歌津町長と本吉町長が気仙沼市と本吉郡5町での広域合併を主張したが、反対が多数を占め、「現時点では広域合併の可能性はない」との見解で一致した[71][72]。以降、気仙沼・本吉圏の6市町(津山町含む)は各自で隣接する市町との合併協議を進めていくこととなった[71]

志津川町は、独自で合併について検討したところ、「志津川・歌津・津山の3町合併が理想」との結論に至り、3町での任意協議会の設立に動いた[70]。一方、本吉郡4町(志津川・歌津・津山・本吉の4町)での合併推進の方針を打ち出していた歌津町長は2002年(平成14年)12月に関係3町長を訪れ、歌津町長の考えに理解を求めたが、気仙沼市・唐桑町との合併を目指す本吉町長は否定的な意見を示し、また登米郡各町の任意協議会にもオブザーバー参加していた津山町長は考えを明確にしなかった[70][22]。その後、2003年(平成15年)3月3日、津山町は登米郡各町との合併を選択、これを受けて、志津川町長は歌津町との2町合併を目指すことを決意し、2町の行政関係者からなる「市町村合併に関する本吉郡南部自治体研究会」を組織した[22]。歌津町は引き続き、志津川・本吉両町との3町合併を主張していたが、5月21日に本吉町が気仙沼市・唐桑町との法定協議会を設置したことを受けて、2町合併する方針を固めた[22]。6月27日には志津川町・歌津町合併協議会準備会が、8月1日には志津川町・歌津町合併協議会(法定協議会)が設置された[22]。第14回協議会までに、合併期日を「平成17年4月1日」、新事務所位置を「合併後当分の間、旧志津川町役場とし、その後は新町で検討」とすることが決定した[22]。新町名については、旧町名を原則採用しないこととし、公募670件から協議会各委員による投票を行った[73]。その結果、29票を獲得した「南三陸町(みなみさんりくちょう)」が、第6回協議会で新町名に選ばれた[22]。なお、得票2位は4票獲得の「リアス町」、得票3位は3票獲得の「南三陸町(みなみさんりくまち)」で、「南三陸町(みなみさんりくちょう)」が圧倒的な得票であった[74]。2004年(平成14年)8月の第17回協議会で計48の協定項目の議論が終了し、9月18日に合併協定調印式が実施された[22][75]。しかし、同年8月の歌津町議会で「合併期日の延期を求める決議案」が議決され、また歌津町議会で廃置分合議案が否決される事態に至った[75]。歌津町長は、志津川町長から合併関連議案の早急な再提出も求められた上、合併推進を訴える町民から全有権者の65.5%にあたる署名を提出され、10月29日に再度議案を提出したものの、町議会は議案を特別委員会に付託し審議継続となった[75]。このため、志津川町と歌津町の電算システム統合が間に合わなくなり、11月に開かれた第20回協議会で合併期日の延期が可決され、合併期日は「平成17年10月1日」に延期された[75]。12月27日の第22回協議会ですべての協定項目が改めて承認され、2005年(平成17年)1月19日に再度合併協定調印式を実施、2月4日には両町議会で合併関連議案が可決された[75]2005年(平成17年)10月1日、合併が施行され、志津川町・歌津町を廃し、その区域をもって南三陸町が成立した[75]

美里町

美里町の位置。

2002年(平成14年)4月末、涌谷町長の呼びかけにより、大崎地方東部6町(涌谷町・田尻町小牛田町南郷町松山町鹿島台町)の町長が市町村合併に関する会合を開催、5月30日に担当職員による大崎東部市町村合併研究会を設立した[76]。研究会で調査報告書が作成され、12月11日に6町の町長と議会議長が合併問題について協議し、翌月に任意協議会を設立する方針で一致した[76]

一方、同時期に、大崎地方町村会臨時総会の席上で、古川市長が市町村合併研究会設立を呼びかけ、2002年(平成14年)7月22日に大崎地方1市9町(古川市・三本木町岩出山町鳴子町と東部6町)の助役や合併担当課長等で構成する大崎市1市9町市町村合併事務研究会が組織された[76][77]。12月5日に古川市長が同研究会の席上で翌2003年(平成15年)2月末ごろに任意協議会を設立したい旨を述べた[76]。これを受けて、大崎地方東部6町は2003年(平成15年)1月24日に協議を開催したところ、古川市との合併を希望する町があったことから、6町は各町独自の判断で合併の枠組みを決めることで一致した[76]遠田郡4町(涌谷町・田尻町・小牛田町・南郷町)は2月10日に改めて協議の場を設け、古川市との合併を希望する田尻町を除いた3町で合併する方針を決定した[76]。小牛田町と南郷町では2月から3月にかけて住民意向調査を実施したところ、遠田郡3町での合併について賛成が過半数を超えたことから、涌谷町を含めた3町は5月16日に小牛田町・涌谷町・南郷町合併推進協議会(任意協議会)を設立した[78]。小牛田町では大崎地方での合併を望む市民団体から合併の枠組みを問う住民投票を求める直接請求が行われたが、任意協議会は6月26日に法定の小牛田町・涌谷町・南郷町合併協議会(法定協議会)へと移行した[78]。第一回協議会で、合併の形式を「新設合併」に、合併の期日を「平成17年3月31日」とすることが決定した[78]。新市の名称については、公募の中から、小委員会が「遠田市」「黄金市」「江鳴市」「小田市」の4候補を選定した[78]2004年(平成16年)2月に行われた第10回協議会において、4候補のなかから投票が行われ、以下の結果の通り、「遠田市」が新市の名称として選定された[78][79]

小田市 江鳴市 黄金市 遠田市
第一回投票 1 3 10 12
第二回投票 12 14

庁舎の位置は小委員会の協議結果を経て、2004年(平成16年)4月23日の第13回協議会で新事務所位置を「旧小牛田町役場」とすることが決定した[78]。これを受けて、涌谷町長は合併協議を休止する旨を表明、6月24日に合併協議会会長に対して協議会休止を申し入れた[78][80]。その後、小牛田町長および南郷町長から新事務所の位置について「新市の均衡ある発展や地理的要件など住民の利便性を考慮する」ことが提案されたことを受け、涌谷町長は協議会に復帰する意思を表明、町議会も町長に同調したため、涌谷町は合併協議に復帰した[78]。9月29日に第19回協議会が開催され、新事務所の位置について「新市の均衡ある発展や地理的要件など住民の利便性を考慮する」などの一文を追加することに加え、合併期日を「平成17年4月1日」に変更することが決定した[78][81][82]。11月28日の第25回協議会ですべての協定項目に関する協議が終了し、残りは合併協定調印式を待つのみとなった[81]。その間、10月19日に涌谷町の市民団体が、合併の是非を問う住民投票の直接請求を行い、11月2日に住民投票条例が町議会で可決、12月12日に住民投票を行ったところ、合併反対が合併賛成を上回り、15日の町議会で合併協議会離脱が可決された[81]。17日の26回協議会で涌谷町は離脱の意思を表明し、3町合併協議会は解散した[81]

残る小牛田町・南郷町の2町は2004年(平成16年)12月20日に小牛田町・南郷町市町村合併事務研究会を設置した[81]。同研究会は2町での合併実現が必要かつ現実的という結論を出し、2005年(平成17年)2月4日に小牛田町・南郷町合併協議会(法定協議会)を設置した[81]。第一回から第四回の協議会で合併形式を「新設合併」、合併期日を「平成18年1月1日」、新事務所位置を「旧小牛田町役場」とすることが決定し、新町の名称は公募から選定することが定められた[81]。新町名称の公募は760件の応募があり、協議会における一次選考の結果、「美里町」「江鳴町」「遠田町」「小牛田町」「こごた町」「とおだ町」の6点が選定された[83]。二次選考では「美里町」が9票、「遠田町」が4票、「小牛田町」が4票を獲得し、「美里町」が新町名として選出された[81][84]。2005年(平成17年)3月には計56の協定項目すべてについて協議が整い、3月19日に合併協定調印式を実施、25日には両町議会で合併関連議案が可決された[81]2006年(平成18年)1月1日に合併が施行され、小牛田町・南郷町を廃し、その区域をもって美里町が成立した[81]

大崎市

大崎市の位置。

2002年(平成14年)6月4日、大崎地方町村会臨時総会において、古川市長が市町村合併について考える研究会の設立を呼びかけ、7月22日に大崎地方1市9町(古川市・松山町三本木町鹿島台町岩出山町鳴子町涌谷町田尻町小牛田町南郷町)の助役や合併担当課長等で構成される「大崎1市9町市町村合併事務研究会」が設立された[77]。10月には栗原郡瀬峰町高清水町が加わり、「大崎1市9町・栗原2町市町村合併事務研究会」に改称した[77]。12月5日には、同研究会にて古川市長が2003年(平成15年)2月末ごろを目途に任意合併協議会の設立を提案、遠田郡3町での合併を目指す小牛田町・涌谷町・南郷町と参加を保留した高清水町を除いた1市7町(古川市・松山町・三本木町・鹿島台町・岩出山町・鳴子町・田尻町・瀬峰町)により、2003年(平成15年)2月28日に大崎地方合併推進協議会(任意協議会)が設立された[77][85]栗原地域との合併を目指す方針を固めた瀬峰町以外の7市町は法定協議会へ移行することで一致し、同年7月1日に大崎地方合併協議会(法定協議会)が設立された[85]。第一回協議会では、合併の形式を「新設合併」、合併の期日を「合併特例法期限内」とし、新市名称や新事務所位置については小委員会で協議することとなった[85]。小委員会の協議の結果、新事務所位置は古川市内とし、合併から10年以内を目標に新庁舎を建設することで合意した[85]。新市の名称は10,151件、2,292種の公募から3次にわたる選考を経て、「大崎市」「おおさき市」「北宮城市」「古川市」「ふるかわ市」「宮城市」の6候補が選定され、2回の投票を経て、「大崎市」が新市の名称に選ばれた[86]2004年(平成16年)4月17日の第16回協議会で計26の協定項目についての議論が終了したが、一部市町で住民投票条例の直接請求が行われたり、住民意向調査で反対が多数を占めたりするなど、合併反対の声が上がった[87]。特に古川市では新市の名称(大崎市)が原因で合併反対を唱える者が多く、市議会では合併関連議案がたびたび否決されたり、合併の是非を問う住民投票条例が提出されたりするなど紛糾した[87]。その後、古川市長が合併の信を問う出直し選挙を行ったこともあり、2005年(平成17年)1月18日および19日に古川市議会で再度合併関連議案が提案されたところ、可決された[88]。これにより、合併関係全市町で合併関連議案が可決されたことになり、2006年(平成18年)3月31日に合併を施行、古川市・松山町・三本木町・鹿島台町・岩出山町・鳴子町・田尻町を廃し、その区域をもって大崎市が成立した[88]

気仙沼市

気仙沼市・唐桑町の合併(旧法下)

2006年(平成18年)3月31日現在における気仙沼市の位置。

2002年(平成14年)8月2日、気仙沼市本吉町唐桑町の3市町での合併を目指す市民団体により、住民発議が行われ、法定協議会設置の直接請求が行われた[72]。かねてより3市町での合併に前向きだった気仙沼市は市議会で法定協議会の設置議案を可決、唐桑町においても12月13日に町議会で可決された[72]。しかし、気仙沼市と本吉郡5町での広域合併を目指していた本吉町では否決された[72]。本吉町は本吉郡5町(志津川町津山町・本吉町・唐桑町・歌津町)からなる市町村合併制度研究会に参加し、広域合併を推進したが、気仙沼市と本吉郡5町の首長と議会議長による会合で「現時点で広域合併実現の可能性はない」との認識で一致したことから、本吉町長は「気仙沼市、唐桑町との3市町での合併を目指す」方針を表明した[72]。3市町は2003年(平成15年)2月10日に気仙沼市・本吉町・唐桑町法定協議会設置準備委員会を設置し、法定協議会設立の事前準備を行うに至った[72][16]。そして5月21日に気仙沼市・本吉町・唐桑町合併協議会(法定協議会)が設置された[16]。7月の第3回協議会で合併の形式を「新設合併」、合併の期日を「平成17年3月末」とすることが決まり、第11回協議会で新市の名称を「気仙沼市」とすることが決定した[16]。ただし、合併の期日については第32回協議会で「平成17年10月1日」に変更された[16]。新事務所位置は、第5回協議会で「旧気仙沼市役所」とすることが決定したが、第6回協議会で「新市建設計画で新庁舎建設を改めて議論」することが付け加えられた[16]2005年(平成17年)1月6日の第32回協議会で計55の協定項目すべてについて協議が終了した[16]。合併を直前に控えて、唐桑町長は、合併の是非を住民に問うことを決め、同年1月16日に住民投票を実施、結果は賛成多数(賛成80%、反対20%)で唐桑町長は合併を進める方針を表明した[23]。1月29日には合併協定調印式が実施、2月4日の気仙沼市議会および唐桑町議会で合併関連議案が可決された[23]。しかし、本吉町では新市建設計画案に公立気仙沼総合病院の建て替えなどスケールメリットを活かした事業が盛り込まれていないなどとして、1票差で廃置分合議案が否決されることとなった[23]。これに対して、2月22日、町民有志から合併実現を求める要望書と町民の署名6,806筆を本吉町長および本吉町議会議長に提出、町長は再度議案を提出するも再び1票差で否決された[23]。3月3日、第34回協議会が開かれ、3町での合併協議を休止することが決定、3月31日に解散した[23]

気仙沼市と唐桑町は、合併特例法期限内での合併を実現させるため、両市町長は2005年(平成17年)3月8日に「気仙沼市・唐桑町合併協議会の設置に関する協定書」に調印、3月17日に気仙沼市・唐桑町合併協議会を設置した[89]。3月19日の第1回協議会で合併方式を「新設合併」、合併の期日を「平成18年3月31日」、新市の名称を「気仙沼市」とすることが決定、3月23日の第2回協議会までに計55の全協定項目の協議が終了した[23]。3月27日に合併協定調印式を実施し、3月30日に両市町議会で合併関連議案が可決された[23]。翌2006年(平成18年)3月31日に合併が施行され、気仙沼市・唐桑町の区域を廃し、気仙沼市が設置された[23]

気仙沼市・唐桑町との合併関連議案が議会で否決された本吉町においては、2007年(平成19年)から合併新法下で合併が模索されることになった[31]

気仙沼市・本吉町の合併(新法下)

気仙沼市の位置。

2006年(平成18年)3月、宮城県は新たに施行された市町村の合併の特例等に関する法律(平成十六年法律第五十九号)での新たな市町村合併の方策として、宮城県市町村合併推進構想を発表した。同構想では、新法下で合併を推進すべき枠組みとして唯一、気仙沼市・本吉町の合併が提示された。 本吉町では気仙沼市・唐桑町との合併議案が否決され合併が頓挫した経緯があるが、その後、町長選挙と町議会議員選挙が実施され、町長・町議会ともに気仙沼市との合併を推進する勢力が多数を占めた[90]2007年(平成19年)5月21日には森琢男本吉町長が気仙沼市役所を訪れ、鈴木昇気仙沼市長に対して合併を申し入れた[91]。9月には気仙沼市議会・本吉町議会で法定協議会設置議案を可決、10月16日に気仙沼市・本吉町合併協議会が設立された[31][92]。12月7日に開かれた第2回協議会で合併形式を「気仙沼市への編入合併」、新市名を「気仙沼市」、新事務所位置を「気仙沼市役所」とすることが決定し、2008年(平成20年)6月12日に開かれた第7回協議会で合併期日を「平成21年9月1日」とすることが決定した[93][94]。合併期日は本吉町誕生55周年[注 4]と森町長の任期が9月末であることを考慮して決められた[94]。2008年(平成20年)10月9日、第12回協議会で全54の協定項目に関する協議が終了、10月22日には合併協定調印式が行われた[95][31]2009年(平成21年)3月3日、気仙沼市と本吉町の合併に係る平成21年総務省告示第103号が告示され、同年9月1日、本吉町廃止、その区域が気仙沼市に編入された[31]

実現しなかった合併

仙台市・名取市の合併

1991年(平成3年)12月24日、政府予算対策会議の席上にて宮城3区選出の衆議院議員三塚博仙台空港整備の件に関して、仙台市と名取市がバラバラに整備計画を立てるよりか、合併により一体となって整備を行う方が好ましいと述べ、仙台市と名取市の合併を提起した[96][97]。当時の石井亨仙台市長は名取市との合併について「空港を広域的に考える時期であり、その方向で検討したい」と合併に前向きな答弁をした[97]。まもなく石井がゼネコン汚職事件で逮捕されると、一時、合併に関する議論は下火になったが、1994年(平成6年)2月28日に名取市民有志によって仙台名取合併推進協議会が設立され、12月15日には名取市の有権者数の約4分の1にあたる約1万人の署名を当時の石川次夫名取市長に提出した[98][99]。しかし、石川は「今回の合併には大義名分がない」と述べ、また名取市議会では「仙台市の論理に踊らされてはならない」「仙台市ではなく岩沼市との連携を考えるべきだ」と述べる市議もいるなど、名取市当局は合併に対して慎重な姿勢を明らかにした。また、仙台市と名取市の合併により、宮城県における仙台市への一極集中がますます進行するのではないかという批判も上がった[100]。1994年(平成6年)12月、合併に積極的だった仙台市当局は2市間で将来のまちづくりについて共同研究する場を設けることを提案、一方、名取市側は仙台都市圏広域行政推進協議会で論議すべきと述べ、翌1995年(平成7年)2月7日、仙台市の申し入れを正式に断った[101]。そんななか同年5月3日には名取市民有志らによって有効署名1,555人の署名が石川名取市長に対して仙台市を合併対象とする合併協議会設立の直接請求を実施した[96]。この直接請求は1995年(平成7年)4月1日に改正施行された市町村の合併の特例に関する法律(昭和40年法律第6号、旧合併特例法)に基づくもので、全国で初めて直接請求が行われた事例であった[96]。藤井仙台市長は同年6月、「21世紀の東北を担う拠点都市への発展」を掲げ、名取市との合併を正式に表明、仙台市役所庁舎内に仙台市・名取市合併推進本部を設置した[102][96]。8月25日、仙台市議会名取市議会で合併協議会設置議案が採決された[103]。結果は仙台市議会で賛成58、反対5となり可決、名取市議会で賛成4、反対21となり議決された[96]。結局、2市での合併は不調に終わった[104]

柴田市

計画されていた柴田市。

2001年(平成13年)5月30日、柴田郡柴田町村田町大河原町は「市町村合併に関する柴田町・村田町・大河原町共同研究会」を設置した[11]。翌2002年(平成14年)11月15日、同協議会の席上で3町は法定協議会を設立することで一致、法定協議会設立を見据えて、12月7日、3町合併シンポジウムを村田町中央公民館で開催した[105][106]。12月25日、柴田町・村田町・大河原町合併協議会(法定協議会)が設立された。その後の法定協議会では新市名称や合併期日、新事務所位置など合併協定項目に関する話し合いが進められた。新市の名称は公募1,647件から新市名候補選定委員会が「さくら市」「柴田市」「しばた市」「仙南市」「桜市」「大柴田市」「宮城市」「桜花市」「柴田さくら市」の9候補を第一次候補として選定、第二次選考と最終選考を経て、「柴田市」が新市の名称として選ばれた[107][108]。しかし、合併期日に関する協議や新市の事務所位置で協議は紛糾し、議論は大いに停滞した。2004年(平成16年)12月9日の第34回協議会で合併に関する実質的な協議が終了し、翌2005年(平成17年)2月27日に合併協定調印式が行われた[11][109]。3月3日には3町議会で合併関連議案の採決が行われ、柴田町・村田町では全会一致で可決されたが、大河原町では賛成8、反対11で否決された[110]河北新報によれば、大河原町では新市の役所に大河原町役場が選ばれなかったことが影響して、2月20日の住民投票では反対が僅差で多数となり、町内では反対派が優勢だったとされる[110][111]。これにより、大河原町は柴田町・村田町・大河原町合併協議会を離脱、協議会は2005年(平成17年)3月31日に廃止された[11]

亘理市

計画されていた亘理市。

2002年(平成14年)10月28日、亘理地方町会の席上で亘理町・山元町合併研究会を設立することが合意され、11月8日に設置された[112][21]2003年(平成15年)4月30日に行われた住民意向調査では「法定協議会を設置し、より詳細な検討を行う必要」について必要性を感じるという旨の回答が両町とも多数を占めた[21]。これを受けて、同年7月14日に亘理町・山元町合併協議会(法定協議会)が設置された[21]2005年(平成17年)2月までに合併期日を「平成18年1月1日」、合併形式を「新設合併」、新事務所位置を「旧亘理町役場」とすることが決定した[113]。新市の名称は公募1,116件、315種の中から第一小委員会によって「わたり市」「亘理市」「阿武隈市」「亘山市(わたやまし)」「あぶくま市」「亘理伊達市」の6候補が選定され、2004年(平成16年)3月11日の第11回協議会で行われた投票の結果、公募で最多だった「わたり市」を抑えて「亘理市」が新市の名称に選ばれた[114][115]。2005年(平成17年)3月16日には両町で住民意向調査が行われ、山元町では合併賛成が多数、亘理町では合併反対が多数を占めた[21]。これを受けて、亘理町長は、合併は時期尚早とする見解を表明し、山元町長は亘理町の考えを尊重するとして、両町長は議会に合併関連議案を提出しなかった[21]。一方、両町議会では協議会廃止議案を否決したため、2町での合併は白紙になったものの、亘理町・山元町合併協議会は形式上存続することとなった[21]

あぶくま市

計画されていたあぶくま市。

角田市伊具郡丸森町2003年(平成15年)2月20日、角田市・丸森町市町村合併共同研究会を設置した[27]。同年12月11日に住民意向調査が実施され、合併特例法期限内の合併について「合併の検討は必要である」という意見が角田市で68.2%、丸森町で75.5%を占め、また、このうち「合併特例法期限内の協議は必要である」という意見が角田市で88.9%、丸森町で87.8%を占めるなど、両市町では合併に対して前向きな意見が多数を占めていた[27]。翌2004年(平成16年)2月1日には角田市・丸森町合併協議会(法定協議会)が設置、その後の協議で、合併の形式を「新設合併」[116]、合併の期日を「平成17年12月1日」、新事務所位置を「旧角田市役所」とすることが決定した[27]。新市の名称は小委員会によって、公募2,011件、477種から「あぶくま市」「伊具市」「仙南市」「阿武隈市」「みどり市」の5つを選定[117]、委員による投票の結果、「あぶくま市」が新市の名称として選ばれた[27]。2004年(平成16年)11月12日の第15回協議会で実質的な協議は終了し、2005年(平成17年)の住民意向調査を経て最終的に合併の是非を問うこととした[27][118]。2005年(平成17年)2月4日、両市町で住民意向調査が実施、結果は角田市で賛成多数(賛成59.1%、反対25.8%)、丸森町で反対多数(賛成44.4%、反対46.1%)となり、2月10日開催の第17回協議会で、丸森町長は合併しない旨を宣言、協議会を途中退席する事態となった[119]。丸森町の合併協議会委員らは「意向調査で賛否が拮抗しているのに一方的な宣言は拙速」として角田市長に協議継続の請願書を提出、丸森町議会も町長の動きに反発し、町長提案の合併協議会廃止議案を否決、議員提案による廃置分合議案を可決した[27]。その後も丸森町において合併の賛否を問う様々な議論が行われたが、そんな中、2005年(平成17年)3月29日に角田市議会で協議会廃止議案が賛成多数で可決、これを受けて、丸森町議会においても6月17日に協議会廃止議案が可決され、6月30日に角田市・丸森町合併協議会は廃止された[27]

白石蔵王市

計画されていた白石蔵王市。

白石市刈田郡蔵王町七ケ宿町2003年(平成15年)1月29日、「白石市・蔵王町・七ケ宿町合併に関する共同研究会」を設立した[120][121]。同年10月には宮城県知事浅野史郎が関係3市町を訪れ、合併特例法の期限を踏まえた具体的な検討を要請、合併反対が根強い七ケ宿町を除いた白石市・蔵王町では12月24日に白石市・蔵王町任意合併協議会が設立された[121]。第5回協議会で新市の名称を「白石蔵王市」とすることが承認され、合併の期日として「平成17年3月31日」を目指すことで一致した[122][123]。しかし、蔵王町は、住民意向調査を実施したところ合併賛成14.41%、合併反対85.59%の反対多数となったのを受けて、法定協議会に移行しない考えを表明した[121]。任意協議会は2004年(平成16年)7月31日に解散した[121]

名取市・岩沼市の合併

2003年(平成15年)3月13日、名取市岩沼市の間で名取市・岩沼市合併問題調査研究会が設置された[124]。岩沼市では、2003年(平成15年)12月から2004年(平成16年)1月に市政推進員及び市政モニターへのアンケート調査が実施され、2市での合併について「非常に関心がある」「多少関心がある」が86.0%、「合併は必要である」が66.3%という回答が得られた[124]。1月21日、2市長に報告書が提出され、研究会は解散した[124]

塩竈市・多賀城市・宮城郡3町・黒川郡4町村の合併

未来都市づくり研究会の枠組み(塩竈市・多賀城市・宮城郡3町・黒川郡4町村)

2002年(平成14年)7月3日、宮城郡松島町七ヶ浜町利府町黒川郡大和町大郷町富谷町大衡村の計7町村で宮城黒川町村合併問題研究会を組織した[125]。同研究会は計4回の会合を経て、検討報告書を作成、これを各首長に報告した[125]。同研究会は、合併に関するさらなる検討には塩竃市多賀城市の参加が不可欠という考えから、10月28日に廃止され、先述の7町村の枠組みに塩竃市多賀城市が加わった未来都市づくり研究会が2003年(平成15年)2月14日に設立された[125][126]。同研究会は市町村合併による人口30万人の中核都市への移行を目的として発足した[125][127]。同年12月に関係市町村の1割にあたる9,100世帯を対象に住民意向調査を実施したところ、「9市町村の枠組みでの合併について、より詳細な検討が必要」との意見が過半数を占め、これを受けて翌2004年(平成16年)1月15日の第4回研究会において、以下の3点を研究会の認識として発表した[125]

  1. 2市6町1村圏域の将来像及び広域行政に関する調査・検討を行うために研究会は来年度も継続。
  2. 平成17年3月の現行合併特例法期限内の合併については、物理的に困難。
  3. 9市町村の枠組以外での具体的な検討は妨げない。

合併が不調に終わった原因について、当時の田中学大郷町長は、大郷町を除く黒川郡各町が財政的基盤が安定しており、合併に対して消極的であったためであろうと分析している[128]。田中によれば、人口急増により市制施行を視野に入れる富谷町や、仙台北部中核工業団地を擁し、また、東京エレクトロンの新工場建設が決定した大和町は財政が安定で、セントラル自動車の本社移転が決まった大衡村も自主財源の柱ができ、合併する理由がなくなったとされる[128]

仙台市と川崎町における合併の動き

宮城県市町村合併推進要綱で合併が計画されなかった仙台市および柴田郡川崎町は合併に消極的だった。仙台市では、2004年(平成16年)3月1日の仙台市議会で当時の仙台市長が合併の申し入れが他市町村からあった場合には、仙台市民の意向を最大限に尊重すると述べたが、翌2005年(平成17年)3月1日の市議会で合併に関して積極的に検討すべき状況にないとの認識を表明した[129]。川崎町では、2005年(平成17年)夏に「市町村合併を考える地区懇談会」を町内15ヶ所で実施したところ、合併に消極的な意見が多くあがり、同年9月2日に川崎町長は川崎町議会で合併しない旨を表明した[129]

さらなる合併への模索

旧合併特例法が2005年(平成17年3月)に失効し、合併新法が施行されると、平成の大合併は一つの節目を迎えた。宮城県市町村合併推進本部は旧合併特例法の失効を控えた、2005年(平成17年)3月28日に宮城県市町村支援本部へと改組され、新法下での合併推進を担った[9]。さらに宮城県では新たに「宮城県市町村合併推進構想」を定め、自治体の人口規模を20万人、少なくとも7~8万人とすることを目標として、地域の意向や生活圏などを考慮したうえで新たな市町村合併パターンを公表した[130]

合併パターン

宮城県は宮城県市町村合併推進構想で、合併新法の下(つまり5年以内の合併を想定)、県下市町村を再編成する合併案(県試案)を打ち出した[6]。同構想では「新法下での合併を推進すべき」組み合わせと「新法下での合併が望ましい」組み合わせの2形態が発表され、このうち「新法下での合併を推進すべき」ものはアドバイザーの派遣や法定協議会設立にむけた積極的な支援を、「新法下での合併が望ましい」ものは適切な情報提供の実施や機運醸成・議論の喚起を図る旨が示された[131]。以下は宮城県市町村合併推進構想記載の合併パターンの一覧である。なお、人口は2005年(平成17年)実施の国勢調査、面積は2002年(平成14年)実施の国土地理院の調査によるものであることに留意[6]。また、以下の合併パターンのうち、気仙沼市本吉町の組み合わせのみ実現した(#気仙沼市・本吉町の合併(新法下)を参照)。

区分 市町村の組み合わせ 総人口 総面積 備考
組み合わせ 市町村数
新法下での合併を推進すべき市町村の組み合わせ 気仙沼市
本吉郡本吉町
2 78,011 人 333 km2 2009年(平成21年)9月1日に実現[31]
新法下での合併が望ましい市町村の姿 白石市
角田市
刈田郡蔵王町七ケ宿町
柴田郡大河原町村田町柴田町川崎町
伊具郡丸森町
9 191,138人 1551 km2
名取市
岩沼市
亘理郡亘理町山元町
4 165,404 人 298 km2
塩竈市
多賀城市
宮城郡松島町七ヶ浜町利府町
5 191,614人 150 km2 課題調整に時間がかかる場合は松島町・利府町・大郷町の3町での先行合併も同時に提示されている。
黒川郡大和町大郷町富谷町大衡村 4 81,123人 417 km2

また同構想では、「第28次地方制度調査会」において都道府県にかわる広域自治体の在り方として提言された「道州制」についても触れており、道州制の実現を見据えて、市町村の権限を県から大幅に委譲する必要が重要であるとされている[132]。つまり、先の合併新法下での合併を踏まえ、地方分権のさらなる進展に合わせて、人口20万人を目標としたさらなる合併をする必要があるとして、県内自治体を10程度に再編成する中長期計画が提示されている[132][133]

関連項目

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI