宮城県知事公館
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| 宮城県知事公館 | |
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| 情報 | |
| 用途 | 賓客接遇施設 |
| 旧用途 |
田村家(伊達家家臣)私邸 山田揆一所有 米国バプテスト同盟私塾 尚絅女学校校舎 山田家(仙台衛戍病院長)私邸 第2師団長官舎 進駐軍東北司令官官舎 宮城県児童会館 |
| 管理運営 | 宮城県 |
| 敷地面積 |
4,753.14 m² ※1440.3坪 |
| 建築面積 |
472.99 m² ※143.3坪 |
| 着工 | 1921年(大正10年)6月6日 |
| 竣工 | 1921年(大正10年)10月5日 |
| 開館開所 | 1965年(昭和40年)から知事公館として使用開始 |
| 所在地 |
〒980-0873 宮城県仙台市青葉区広瀬町5番43号 |
| 座標 | 北緯38度16分4.5秒 東経140度51分28.6秒 / 北緯38.267917度 東経140.857944度座標: 北緯38度16分4.5秒 東経140度51分28.6秒 / 北緯38.267917度 東経140.857944度 |
| 文化財 | 知事公館正門(旧仙台城寅の門。県指定有形文化財) |
| 指定・登録等日 | 1971年(昭和46年)11月9日 |
歴史
江戸時代の1695年(元禄8年)、広瀬川に澱橋が架けられると、北二番丁西端から澱橋北詰に下りる新坂が整備され、伊達家の家臣田村顕行がこの地に屋敷を賜った。
明治維新後の1868年(明治元年)、後に仙台市長となる山田揆一が購入し[1][2]、米国バプテスト同盟の女性宣教師が設立した塾(学校法人尚絅学院の前身)として貸与、さらに仙台衛戍病院長邸宅を経て、大正時代、陸軍第二師団長官舎となる。終戦後は、進駐軍に接収され東北地方司令官官舎となる。
1958年(昭和33年)に東北財務局に返還されると宮城県に譲渡され、県の児童会館となる。1965年(昭和40年)に児童館が向山に移ったため知事公館に転用され、宮城県を訪問した諸外国の大公使、皇族など賓客を接遇する施設として利用されている。一般公開も行われている他、結婚式や囲碁のタイトル戦[3]などイベントにも貸し出しされている。
年表
- 1695年(元禄8年) 田村内蔵允顕行が所有し屋敷を築く。以降、明治維新まで田村家が代々居住。
- 1868年(明治元年) 山田揆一の所有となる
- 1894年(明治27年) 山田弘仙台衛戍病院院長の屋敷となり、以降子孫が居住。
- 1919年(大正8年) 大日本帝国陸軍の所有となる。この頃、同軍第2師団の衛戍する仙台城から、寅の門(中の門)を当地に移築。
- 1921年(大正10年) 第2師団長官舎竣工(現在の建物)。
- 1945年(昭和20年) 進駐軍に接収される。進駐軍東北司令官官舎(アメリカ軍第16軍団ブライアン少将居住)となる。
- 1958年(昭和33年) 進駐軍から東北財務局に返還。
- 1958年(昭和33年) 東北財務局から宮城県に譲渡。