寺島誠一郎
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薩摩国(現鹿児島県)出身[2]。寺島宗則の長男として生まれる[2][3]。学習院を修了後[4]、1887年(明治20年)アメリカ合衆国へ留学[3]。父・宗則の死去に伴い、1893年(明治26年)6月26日、家督を相続し伯爵を襲爵[1][5]。1895年(明治28年)ペンシルベニア大学政治経済科を卒業[3][4]。その後フランスへ留学し、1899年(明治32年)パリ法科大学、1902年(明治35年)パリ政治学院外交科をそれぞれ卒業した[3][4]。
1904年(明治37年)以降、外務省嘱託、外務大臣秘書官、臨時博覧会評議員、軍需評議会評議員、鉄道会議議員、商工審議会委員などを歴任[4]。その他、台湾拓殖製茶取締役会長、薩摩製糸取締役、三井信託監査役、華族会館幹事などを務めた[3]。 資産家でかつ美食家としても知られた[6]。
1906年(明治39年)8月25日、貴族院伯爵議員補欠選挙で当選し[7]、研究会に所属し死去するまで在任した[4][8]。
