山北 (津山市)
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沿革
歴史
古代においては、苫西郡田中郷の一部であったとされ、美作国域の中でも中枢にあたる一帯であった[4]。
江戸時代には、津山藩領分。『作陽誌』に、租税647石6斗、戸数95、人数483人と載っている[4]。
村内に八子(やご)町という南北に長い家並があるが、これは森忠政が津山の城下町をつくるとき、のちの桜馬場と呼ばれる所に八子という集落があったため、その集落を当地へ移したものである。町の長さは180間と『作陽誌』にある[4]。
明治22年6月、町村制施行を受けて、小田中村など同郡4村と合併して西苫田村を新設し、当地へ役場を構えた。昭和4年2月、津山町が西苫田村他周辺部を編入合併し、市制施行、津山市となった。同57年に当地へ市役所を移転した[4]。
地名の由来
津山城下のすぐ北方にあたることから、津山城のある鶴山の北方という意味で、「山北」と称されたといわれる。
年表
- 1889年6月1日 - 町村制施行に伴い、西北条郡山北村が同郡小田中村、小原村、上河原村、総社村と合併し、西苫田村となる。山北村は大字山北となり、西苫田村の役場が置かれる。
- 1900年4月1日 - 西北条郡が西西条郡、東南条郡、東北条郡と合併し、苫田郡となる。
- 1929年2月11日 - 津山町が周辺の町村と合併し、市制施行し、津山市となる。津山市京町41番地に市役所が置かれる[5]。
- 1934年2月11日 - 津山市役所の位置が津山市山下92番地に変更される[5]。
- 1968年 - 上河原、山北の各一部から北園町が誕生。
- 1982年8月2日 - 津山市役所の位置が津山市山北520番地に変更される[5]。
地理
世帯数と人口
小・中学校の学区
交通
道路
主要施設
- 公的施設
- 教育施設
- 津山市立北小学校
- 津山市立東小学校
- 津山市立鶴山中学校 津山市立北中学校(1978年3月まで)
- 岡山県立津山中学校・高等学校(椿高下に跨がる。主要部は椿高下側)
- 岡山県立津山商業高等学校
- 岡山県立津山工業高等学校
- 美作高等学校
- 医療・福祉施設
- 金融機関
- 一般企業・商店
- 神社仏閣・その他宗教施設
- 史跡
- ほか
- 全水道津山水道労働組合
- 中国地方電気工事業協同組合
- 神伝流津山遊泳会
- 津山市シルバー人材センター
- 雅城園