山崎晃大朗

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山崎 晃大朗(やまさき こうたろう、1993年8月11日 - )は、和歌山県那賀郡貴志川町(現:紀の川市)出身の元プロ野球選手外野手)、プロ野球コーチ。左投左打。現在は東京ヤクルトスワローズで二軍外野守備走塁コーチを務める。

国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1993-08-11) 1993年8月11日(32歳)
身長
体重
174 cm
74 kg
概要 東京ヤクルトスワローズ 二軍外野守備走塁コーチ #77, 基本情報 ...
山崎 晃大朗
東京ヤクルトスワローズ 二軍外野守備走塁コーチ #77
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 和歌山県那賀郡貴志川町(現:紀の川市
生年月日 (1993-08-11) 1993年8月11日(32歳)
身長
体重
174 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 2015年 ドラフト5位
初出場 2016年7月31日
最終出場 2024年10月3日(引退試合)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 東京ヤクルトスワローズ (2025 - )
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経歴

プロ入り前

西貴志ドリームスで野球を始める。同じ西貴志小学校の1学年上に西川遥輝、4学年上に益田直也がいた[1][注 1]

中学時代には地元の和歌山北ボーイズで投手外野手としてプレー。

中学卒業後は青森山田高校へと進学し、2年秋から中堅手レギュラーを獲得。3年の春に控え投手を務め、3年春の準々決勝、準決勝と連続完封も記録。3年夏予選は両チーム合計41安打の打撃戦の末、光星学院高校に敗れるも個人としては決勝で2ラン含む3安打など4戦15打数9安打8打点と好成績を残す(甲子園出場経験はなし)。

日本大学時代は1年春からリーグ戦に出場。秋からは二部リーグで2年秋までは主に代走・守備固めを務め、3年春にレフトのレギュラーを掴み規定打席に到達。3年秋からは1番打者を任され、リーグ最多の3三塁打、5盗塁を記録する。4年春に打率.333、15安打11四死球の好成績を残し、拓殖大学との入れ替え戦では2試合4安打の活躍で7シーズンぶりの一部昇格に貢献した。また高校の1年後輩に木浪聖也、高校・大学の1年後輩に京田陽太がいる。1部リーグ通算21試合、55打数11安打4打点8盗塁、打率.200[3]

2015年のプロ野球ドラフト会議で、大学の先輩・真中満が一軍監督を務める東京ヤクルトスワローズから5巡目で指名。契約金3800万円、年俸800万円(推定)という条件で契約した。背番号は、真中が現役時代に付けていた31[4]

ヤクルト時代

2016年、同期入団の原樹理とともに、春季キャンプを一軍でスタート。キャンプ中には、臨時コーチの若松勉をはじめ、一軍の首脳陣から打撃面で非常に高い評価を受けた[5][6]。7月14日のフレッシュオールスターゲーム倉敷マスカットスタジアム)に、同リーグ選抜のメンバーとして出場。8回表の打席では、塹江敦哉が投じた159km/hの速球を打ち返したが、二塁へのゴロで凡退している[7]。7月31日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)に、「2番・右翼手」としてスタメンで一軍デビュー。「8番・右翼手」としてスタメンに起用された8月5日の対阪神タイガース戦(明治神宮野球場)では、一軍13打席目に当たる5回裏の第2打席に藤浪晋太郎からの一軍初安打で出塁すると、二塁への盗塁で一軍初盗塁を記録した[8]イースタン・リーグ公式戦では、通算100試合の出場で規定打席に到達し、38盗塁で盗塁王のタイトルを獲得した。また、打率.251、1本塁打、33打点を記録したほか、打席数(458)・出塁率(.358)・犠打(19)がいずれもリーグ2位に到達。オフの10月12日に第1回WBSC U-23ワールドカップ日本代表に選出され[9]、同大会で優勝を果たした[10]

2017年、7月25日に一軍に昇格し、8月2日の対巨人戦でプロ初の猛打賞を記録すると[11]、8月23日の対阪神戦では4安打を記録[12]。8月26日の対横浜DeNAベイスターズ戦でプロ初本塁打を記録した[13]。7月26日の対中日ドラゴンズ戦では10点差逆転勝利の立役者の1人となった[14]

2018年、打率.184と振るわず、前年を下回る23試合の出場に終わった[15]

2019年は開幕一軍とはならなかったが、80試合に出場し、打率.274、8打点だった。

2020年は109試合に出場し、打率.245、3本塁打、23打点を記録したが、リーグワーストの9盗塁死を喫した[16]。11月8日の対巨人戦(東京ドーム)で田中豊樹から決勝点となる逆転満塁本塁打を放つ活躍を見せた[17]

2021年、自己キャリアハイの114試合に出場。春先は1番打者として起用されていたが、塩見泰隆の活躍やドミンゴ・サンタナの加入により、5月下旬以降は主に代走と守備固めとしてチームの優勝及び日本一に貢献した[18]。日本シリーズ進出を決めたCSファイナル第3戦では、監督の高津臣吾と共に胴上げをされた[19]

2022年はサンタナの故障や青木宣親の不調で先発出場が増え、規定打席に届かなかったものの自身最多の118試合に出場。5月8日の対巨人戦では、相手の抑えである大勢から決勝打となる逆転2点適時打を打った[20]。同月25日の対北海道日本ハムファイターズ戦では、北山亘基から人生初となる逆転サヨナラ3点本塁打を放ち勝利に貢献した[21][22]。なお、前日には村上宗隆もサヨナラ本塁打を打っており[23]、ヤクルトは2日連続のサヨナラ勝ちを収めることになった。

2024年は、右膝の状態が万全ではないことや視力の低下もあって[24]、9月25日に同年限りでの現役引退を発表した[25]引退試合となった10月3日の対広島東洋カープ戦に「7番・中堅手」で先発からフル出場(途中から右翼手)し、大瀬良大地森浦大輔から安打を放ち有終の美を飾った[26]。試合後の最終戦セレモニーでは、「全体的に中途半端な成績でしたけど、本当に9年間ありがとうございました」と挨拶した[27]

引退後

引退後もチームに残り、2025年からは二軍外野守備走塁コーチに就任した[28][29]。背番号は77に変更された[29]

選手としての特徴・人物

50m走のタイム5.9秒の俊足[4]、遠投110mの強肩を誇る[4]。打撃ではパンチ力があり[30]、逆方向に強いゴロを打つことに長ける[31]

愛称は「コータロー[32][33]

明るいキャラクターで[25]、ヤクルト入団後はチームを和らげるムードメーカー的存在となっている[34][35]

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
















































O
P
S
2016 ヤクルト 719181300030100010080.167.211.167.377
2017 5924621930531021701365901800443.242.300.320.619
2018 23473877010901130600121.184.295.237.532
2019 80185168204643056840601001394.274.318.333.652
2020 1093232822969613862389723101705.245.320.305.625
2021 114245215415310317212821001901530.247.311.335.646
2022 1183783415288124211437105922402655.258.309.334.643
2023 64153137173320035391601000332.241.293.255.548
2024 22393044000411060300130.133.212.133.345
通算:9年 59616351448201356441474499748235641220533720.246.306.310.616
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  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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外野












2016 ヤクルト 670001.000
2017 56114120.983
2018 16150001.000
2019 6586111.989
2020 96156310.994
2021 108132211.993
2022 114172521.989
2023 5881110.988
2024 2127010.964
通算 5407901393.989
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表彰

記録

初記録

背番号

  • 31(2016年[4] - 2024年)
  • 77(2025年[29] - )
  • 8(2016 WBSC U-23ワールドカップ 日本代表)

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

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