ドミンゴ・サンタナ

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ドミンゴ・アルベルト・サンタナDomingo Alberto Santana1992年8月5日 - )は、ドミニカ共和国サントドミンゴ出身のプロ野球選手外野手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。

生年月日 (1992-08-05) 1992年8月5日(33歳)
身長
体重
195 cm
104 kg
概要 東京ヤクルトスワローズ #25, 基本情報 ...
ドミンゴ・サンタナ
Domingo Santana
東京ヤクルトスワローズ #25
2021年10月10日 明治神宮野球場
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 サントドミンゴ
生年月日 (1992-08-05) 1992年8月5日(33歳)
身長
体重
195 cm
104 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 2009年 アマチュアFA
初出場 MLB / 2014年7月1日
NPB / 2021年4月23日
年俸 4億7700万円(2025年)[1]
※2025年から3年契約
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
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経歴

プロ入りとフィリーズ傘下時代

2009年3月にフィラデルフィア・フィリーズと契約してプロ入り。

アストロズ時代

ヒューストン・アストロズ時代
(2014年7月2日)

2011年7月29日にハンター・ペンスとのトレードで、ジョン・シングルトンジャレッド・コザートジョシュ・ゼイドと共にヒューストン・アストロズへ移籍した[2]

2013年11月20日に40人枠入りを果たした[3]

2014年3月10日にAAA級オクラホマシティ・レッドホークスへ異動した[4]。7月1日にメジャーへ昇格し[5]、同日のシアトル・マリナーズ戦でメジャーデビュー。「8番・左翼手」で先発起用され、4打数無安打3三振だった[6]。その後は3試合に出場したが、9打席で無安打8三振を喫し、7月6日にAAA級オクラホマシティへ降格した[7]

ブルワーズ時代

ミルウォーキー・ブルワーズ時代
(2017年7月20日)

2015年7月30日にカルロス・ゴメスマイク・ファイヤーズとのトレードで、ブレット・フィリップスジョシュ・ヘイダーエイドリアン・ハウザーと共にミルウォーキー・ブルワーズへ移籍した[8]。ブルワーズ加入後は38試合に出場した。

2016年右翼手で起用され、77試合に出場した。打率は.256だったが、二塁打14本と11本塁打を放った。

2017年は自己最多の151試合に出場し、30本塁打を放った。

マリナーズ時代

シアトル・マリナーズ時代
(2019年5月24日)

2018年11月21日にベン・ギャメルノア・ザボラス[9]とのトレードで、マリナーズへ移籍した。

2019年東京ドームで開催されたシーズン開幕戦で逆転満塁弾を放つ[10]など本塁打を21本打ったものの、オフの12月2日にノンテンダーFAとなった[11]

インディアンス時代

2020年2月14日にクリーブランド・インディアンスと単年(2021年のオプション付き)契約を結んだ[12]。8月31日にDFAとなり[13]、9月3日にマイナー契約となった[14]。その後、10月30日に球団が延長オプションの放棄を発表したため、FAとなった[15]

ヤクルト時代

2020年12月2日に東京ヤクルトスワローズと契約した[16]。背番号は25、推定年俸は1億400万円+出来高払い[17]

2021年4月25日の中日ドラゴンズ戦で起用され、来日初本塁打を放った。主に6番と7番で打線を繋ぐ役割を担い安定した出塁率を残す。前半戦は7本塁打にとどまったが、後半戦は12本塁打を記録。特に10月は打線全体が調子を落とす中で打率.377、7本塁打、OPS1.216と高い打撃成績を残した。優勝を決めた横浜DeNAベイスターズ戦では5番打者を務め決勝適時打を放った。下位打線を担った期間が長く故障による欠場もあり規定打席にはわずかに届かなかったが、打率.290、19本塁打、62打点を記録した[18]オリックス・バファローズとの日本シリーズでは第3戦に吉田凌から逆転2点本塁打[19]、第4戦には山崎颯一郎から先制となる2試合連続のソロ本塁打を放ち、日本シリーズ優勝に貢献し、日本シリーズ優秀選手に選出された[20]。オフに、推定年俸1億9000万円で残留することが発表された[18]

2022年3月25日の阪神タイガースとの開幕戦では「5番・右翼手」で先発出場し、同点の9回表にカイル・ケラーから勝ち越し2点本塁打を放った[21]。この日は4安打5打点と大暴れを見せた[22]。翌日の開幕第2戦でも先制適時打を打つなど[23]、開幕カードで13打数6安打、打率.462、8打点と存在感を示した[24]。10試合出場時点でも打率.343、4本塁打、10打点と打撃好調だったものの、4月6日対中日2回戦(神宮)において、4回裏先頭打者として左前打で出塁した後、5回表守備から途中交代、下半身のコンディション不良により翌7日に登録抹消となり、同月14日、再検査を受けるためアメリカに帰国したことが球団から発表された[25]。同月末に「左半月板のクリーニング手術」を受け、リハビリを経て7月2日に再来日、同月17日に一軍登録。復帰直後は復帰前と変わらず絶好調で変わらずハイペースで本塁打を重ねたが、8月から9月にかけて不振に陥り打順を下げたり欠場することもあった。トータルでは、わずか60試合で15本塁打と高い本塁打率を記録し、OPS.904と高水準の打撃成績を残しリーグ連覇に貢献した。

2023年は、オープン戦期間中に上半身のコンディション不良になり離脱、開幕には復帰するも、開幕から数試合はほとんど代打での出場で不調だったが、4月7日の試合以降、毎試合スタメン入りし、徐々に調子をあげる。途中に体調不良による離脱数試合あったものの、1年を通して大きな故障はなく、最終的に136試合に出場して、自身初となる規定打席に到達、打率.300、18本塁打、66打点と、自身初かつリーグ3位となる3割に到達した[26]。オフに、年俸245万ドル(約3億6750万円)で契約を更新した[27]

2024年は、開幕からずっとスタメンで出場し、好調を維持し、6月21日は、翌シーズンからの3年契約、約14億3000万円+出来高払いで契約を結んだことが報じられた[28]。しかし、そんな中7月5日の巨人戦で、左足裏の張りを訴え、途中の守備から交代、翌日の試合以降、欠場が続き、15日に左足裏の炎症で登録を抹消された[29]。選手間投票で初選出されていたオールスターゲームへの参加は辞退せず、登録抹消中でありながら本拠地の明治神宮野球場で開催された24日の第2戦では指名打者で先発出場した。しかし、2回一死満塁の場面、度会隆輝が左翼方向へ犠牲フライには十分な飛球を打つも、三塁走者のサンタナは負傷中の足を考慮してタッチアップを狙わず、度会に対してヘルメットを脱いで頭を下げるという一幕があった[30][31]。なお、度会の次打者である坂倉将吾が本塁打を放ち、サンタナの判断が日本のオールスターゲーム史上3人目、57年ぶりとなる満塁本塁打をお膳立てした形となった[32]。その後、8月6日に一軍に復帰した[33]。シーズン当初から打率.315前後で首位打者争いのトップを守り続けていたがタイラー・オースティンが終盤に規定打席に到達しDeNA残り1試合で1厘差で逆転、最終戦を欠場しタイトルを確定させたため首位打者は獲得できなかった[34]。出塁率.399を記録し、自身初の最高出塁率のタイトルを獲得した[35]

2025年は、開幕直後は打率2割を前後するなど不調だったが、徐々に状態を上げ、一時出塁率トップに躍り出た[36]。しかし5月24日の対巨人戦を欠場すると、しばらくは欠場や代打出場が続き、交流戦中の6月3日の対西武戦でスタメン復帰するも、6月20日のオリックス戦で右前腕部に死球を受け、翌日21日スタメンで出場したものの、試合途中に交代し、リーグ再開後の同27日に登録抹消となった[37]。7月5日には再検査のため一時帰国したが[38]、8月5日に右ひじの手術を受けることが報じられ、同年中の復帰は絶望となり、そのまま復帰することなくシーズンを終え、最終成績は60試合の出場で、打率.274、3本塁打、15打点と来日以来最低の成績に終わった[39]

プレースタイル

強いスイングから繰り出す打撃はレフト方向のみならず右打ちもこなし広角に打ち分ける。 配球を読むのではなく失投を狙うスタイルで、打撃で重要なのは精神面、即ち1試合で結果が出なくとも次の試合も失投を待つ割り切りだと持論を述べている。「俺はイチローではない。皆が皆、イチローになれるわけではない。俺たちは最高のボールではなく、失投を狙っていかないといけない」と、かつてマリナーズの同僚であったイチローの技術と並のプロ野球選手の技術レベルの違いに触れつつ語っている[40]

人物

愛称は「ショウミンゴShowmingo)」[41]

父親はかつてアストロズ傘下のマイナー選手で、強肩の外野手と投手だった。また、1つ上の兄がいたが、2009年にパーティーで銃撃され死去している[42]

学生時代はトロンボーンを演奏していた。今でも吹くことができる[43]

ヤクルト入団後、チームメイトとはすぐに仲良くなれたという[43]

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球 団 ...
















































O
P
S
2014 HOU 6181710000000000100140.000.056.000.056
2015 1442396102021882100201171.256.310.462.771
MIL 381451211428506511820021804461.231.345.421.766
'15計 521871602038708692641022005632.238.337.431.768
2016 772812463463140111103223013202917.256.345.447.792
2017 15160752588146290302658515403732617812.278.371.505.875
2018 8523521121561415872011032011773.265.328.412.740
2019 SEA 1215074516311420121199698302501216411.253.329.441.770
2020 CLE 248470611302201200001301252.157.298.286.583
2021 ヤクルト 1164183723910823119190622001422310312.290.366.511.877
2022 60215189265270151043500022301736.275.353.550.904
2023 1365164675214032018226662003441211417.300.360.484.844
2024 122484419571322901721270210457141018.315.399.506.905
2025 6024021225581103781511002503654.274.358.368.726
MLB:7年 5161919168023342887277750244301201120941761237.255.341.446.788
NPB:5年 494187316591994901021728102487201019141345647.295.371.488.859
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  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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左翼(LF)中堅(CF)右翼(RF)外野(OF)
















































2014 HOU 341001.000-220001.000-
2015 310001.000120001.00019150001.000-
MIL 1140001.0002335010.9721621120.949-
'15計 1450001.0002437010.9742536120.949-
2016 410001.000310001.00062104220.981-
2017 --144224451.979-
2018 --5582110.988-
2019 SEA 59101290.920-4283231.966-
2020 CLE 9110001.000-16241001.000-
2021 ヤクルト ---107139523.986
2022 ---5881020.976
2023 ---129192320.990
2024 ---116192240.980
2025 ---4872110.986
MLB 89122390.9332738010.97434655511132.978-
NPB ---45867611113.984
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タイトル

表彰

NPB

記録

MLB

初記録

NPB

初記録
その他の記録

MLB/NPB通算


背番号

  • 13(2014年 - 2015年)
  • 16(2015年途中 - 2019年)
  • 24(2020年)
  • 25(2021年[17] - )

脚注

関連項目

外部リンク

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