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山形銀行

山形県山形市にある地方銀行 From Wikipedia, the free encyclopedia

株式会社山形銀行(やまがたぎんこう、英: The Yamagata Bank,Ltd.)は、山形県山形市に本店を置く中堅の地方銀行。

市場情報
東証プライム 8344
1973年10月15日上場
略称 やまぎん
概要 種類, 機関設計 ...
株式会社山形銀行
The Yamagata Bank,Ltd.
種類 株式会社
機関設計 監査等委員会設置会社[1]
市場情報
東証プライム 8344
1973年10月15日上場
略称 やまぎん
本社所在地 日本の旗 日本
〒990-8642
山形県山形市七日町三丁目1番2号
北緯38度15分15秒 東経140度20分24.9秒
設立 1896年(明治29年)4月14日
業種 銀行業
法人番号 5390001002010 ウィキデータを編集
金融機関コード 0122
SWIFTコード YAMBJPJT
事業内容 預金業務、貸出業務、有価証券売買業務・投資業務、為替業務など
代表者 佐藤英司(代表取締役頭取)
三浦新一郎(代表取締役専務)
資本金 120億800万円
(2025年3月31日現在)[2]
発行済株式総数 3221万6115株
(2025年3月31日現在)[2]
売上高 連結:528億6100万円
単独:458億9900万円
(2025年3月期)[2][注 1]
経常利益 連結:65億500万円
単独:56億1700万円
(2025年3月期)[2]
純利益 連結:44億1200万円
単独:39億2300万円
(2025年3月期)[2]
純資産 連結:1360億200万円
単独:1251億7200万円
(2025年3月31日現在)[2]
総資産 連結:3兆1642億5100万円
単独:3兆1501億5500万円
(2025年3月31日現在)[2]
従業員数 連結:1,175名
単独:1,046名
(2024年3月31日現在)[3]
決算期 毎年3月31日
会計監査人 EY新日本有限責任監査法人[4]
主要株主 日本マスタートラスト信託銀行(信託口)8.26%
山形銀行従業員持株会 4.34%
明治安田生命保険 3.80%
両羽協和 3.76%
日本カストディ銀行(信託口)3.66%
(2024年3月31日現在)[3]
主要子会社 #関係会社参照
外部リンク https://www.yamagatabank.co.jp/
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店舗数 84店
貸出金残高 2兆315億円[2]
預金残高 2兆8812億円[2]
概要 山形銀行のデータ, 法人番号 ...
山形銀行のデータ
法人番号 5390001002010 ウィキデータを編集
店舗数 84店
貸出金残高 2兆315億円[2]
預金残高 2兆8812億円[2]
特記事項:
(2025年3月31日現在)
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山形市、米沢市など山形県の内陸部を主要地盤とする県トップバンクで、山形県や山形市などの指定金融機関を受託している。

マスコットキャラは手塚治虫作『ジャングル大帝』の主人公レオ。

経営

経営陣

前身である両羽銀行の創業に参画した山形市北の大地主であった三浦家と、紅花商人であった長谷川家による同族経営が連綿と続き、頭取人事は基本的に両家による輪番制となっていた[5]。

他行との関係

メガバンク

三菱UFJフィナンシャル・グループが親密先であり、好日会会員行でもある。また国際業務分野等で業務提携を締結している。

地方銀行

七十七銀行との間で商談会の共催や地元サッカーチームの支援[6]、さらに災害時相互協力協定を締結している[7]。また、両行ATMの利用手数料割引や無料化が実施されている。

信用金庫

山形信用金庫と提携趣意書を締結。協調融資などに取り組んでいる[8]。この他、県内4信金と共に森林整備事業にも取り組んでいる[9]。

沿革

旧本店ビル(2005年12月)
本店建て替えの際、仮移転していた山形銀行旅篭町ビル(2024年10月)

歴代頭取

さらに見る 代, 氏名 ...
代 氏名 期間 備考
1 池田成章 1896年4月 - 1907年1月 米沢藩士 官僚 子息に池田成彬
2 三浦権四郎 1907年1月 - 1913年1月 旧名・文助 1854年生 1930年没 山形瓦斯初代社長 山形市出身
3 長谷川吉三郎 1913年1月 - 1916年7月 1865年生 1933年没 私財を提供し山形商業学校を設立 山形市出身
4 香坂駒太郎 1916年7月 - 1922年1月 1858年生 1923年没 東京帝国大学卒[25] 元大審院判事 米沢市出身
5 林鉄太郎 1922年1月 - 1924年7月 1857年生 1924年没 行員出身初の頭取 山形市出身
6 三浦権四郎 1924年7月 - 1925年1月 再登板
7 長谷川平内 1925年1月 - 1928年8月 旧名:元七 1853年生 1930年没 高畠町出身
8 長谷川吉三郎 1928年8月 - 1929年1月 再登板
9 三浦新七 1929年1月 - 1935年10月 東京商科大学(現:一橋大学)元学長
10 長谷川吉三郎 1935年10月 - 1957年10月 旧名:吉弥 1889年生 1967年没 県立米沢工業学校卒 山形市出身
11 三浦弥太郎 1957年10月 - 1972年4月 1903年生 1978年没 福島高商卒 山形市出身
12 長谷川吉郎 1972年4月 - 1985年6月
13 三浦新 1985年6月 - 1993年4月 三菱銀行出身
14 丹羽厚悦 1993年4月 - 2005年6月
15 長谷川吉茂 2005年6月 - 2023年6月 住友銀行出身
16 佐藤英司 2023年6月 -
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関係会社

店舗政策

県内店舗

訪問活動強化のための広域型営業体制構築に着手し、2021年(令和3年)4月に寒河江・西村山地区で初めて導入した[26]。7月からは天童地区、最上地区、南陽・長井・西置賜地区でも移行。山形地区は10~12月をめどに再編し、県内全域での導入を図った[26]。これにより県内店舗網は、2022年(令和4年)3月末までに42店舗となった[27]。

本店建て替え

築50年が経過し老朽化した本店の建て替えに取り組み[28]、仮移転中の近くのビルにある本部機能や本店営業部を移し、2026年(令和8年)7月21日から完成した新本店ビルでの業務を開始した[29]。総工費は非公表[30]。新本店ビルは、地上7階建て。50台分の立体駐車場も含む延べ床面積は約1万4700平方メートル。1階と2階が県民に開放されるエリアとなっており、4階から7階が山形銀行の業務エリアとなる[31]。にぎわい広場は、半野外のスペースで展示会やイベント広場として活用し[31]、奥には菓子店とローソンが出店。1階のシェアスペースは誰でも利用できるほか、2階の多目的ホールは最大300人収容で、セミナーの開催などを想定する[30]。

県外店舗

仙台圏

仙台支店は県内3行中最古である1960年(昭和35年)10月に開設された。また多店舗展開の取り組みも最古であり、1973年(昭和48年)12月、宮城野支店(若林区)を開設。さらに1976年(昭和51年)10月に南光台支店(泉区)、1990年(平成2年)9月に泉崎支店(太白区)が開設されている[32]。近年は他の地銀同様に仙台圏強化に取り組み、仙台支店に法人営業部を設置したほか、2008年(平成20年)10月1日には、市下としては18年ぶりの新店舗である泉中央支店が設けられた。しかし、仙台圏でも店舗網の見直しに着手し、2021年3月、荒井支店(若林区)を宮城野支店内へ、泉中央支店を南光台支店内に移転集約した。これによって、仙台圏における店舗は実質4店舗となった。

東京支店

東京支店は、1898年(明治31年)10月、日本橋に開設された。これは東北の地銀界では七十七銀行に次ぐ2番目の東京進出であり、店歴を誇っている。支店開設の目的としては、日清戦争後の経済の勃興に即応することや中央市場との連携強化を深めることに置かれた。開設後には順調に業容を拡大させるも、太平洋戦争終戦直前である1945年(昭和20年)6月、各地銀東京支店が地銀統制会から、空襲により焦土化した東京より引け揚げる旨を指示された為、やむなく閉鎖となってしまった[32]。

1949年(昭和24年)には、取締役会において支店復活の決議を行うも、大蔵省や連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の認可がなかなか下りなかったため、営業再開となったのは、1952年(昭和27年)に入ってからのことであった。これを受け、1962年(昭和37年)には東京支店ビル建設を目的とした系列の両銀不動産を設立(2015年7月に親会社である両羽協和に吸収合併)。2年後には地下2階、地上10階の「両銀ビル(のちの山形銀行ビル)」が京橋に竣工した。その建物も老朽化したため、建て替えられ[33]、跡地に「京橋RKビル」が完成したことに伴い、2022年(令和4年)7月19日から東京支店は4階、東京事務所は5階で営業を開始した。

本荘支店

本荘支店(秋田県由利本荘市)は、1890年(明治23年)7月5日設立の本荘銀行をその起源とする。同行は本荘周辺における唯一の銀行として運営されていたが、日露戦争後の放漫経営による不良債権の増加と背任事件の発生から取り付け騒ぎが生じてしまい、大蔵省から預金受け入れ停止命令を受け休業となってしまった[32]。

このため、本荘の有力者の間で再建の機運が高まり両羽銀行へ救済を申し入れた。そこで同行は支援体制に入ることとし、由利銀行への商号変更、両羽銀経営陣による増資の引受け、香坂駒太郎同行頭取の頭取兼任等の施策を講じ、1920年(大正9年)には、大蔵省から預金受け入れ停止命令解除の受け営業を再開した。こうした紆余曲折を経て、1926年(大正15年)7月15日には、両羽銀との合併がまとまり本荘支店となった。その後数度の移転や改築を重ね、1994年(平成6年)7月、現在地に新築移転。今日に至っている[32]。

その他県外店舗

1970年代に入ると高度経済成長が進展して地域経済の広域化が進んだ。それに対応するため、1970年(昭和45年)3月には郡山支店(福島県郡山市)、1971年(昭和46年)5月には宇都宮支店(栃木県宇都宮市)、1973年(昭和48年)4月には大宮支店(現在のさいたま市)が開設されている[32]。このうち、老朽化した宇都宮支店は、2025年(令和7年)10月に旧店舗から西に約900m離れたビルの5階に移転し[34]、大宮支店は営業効率と顧客サービスの向上の一環から、2026年(令和8年)3月に東京支店に移転・統合する方針であった[35]。しかし、大宮支店の移転・統合方針は、見直され、行員駐在の拠点として移転後の店舗に大宮サテライトオフィスを設置し、クイックコーナーの営業は継続することになった。

かつて開設されていた県外店舗

札幌支店は1987年(昭和62年)9月12日、新潟支店は1991年(平成3年)11月11日、秋田支店は2000年(平成12年)にそれぞれ採算性等を踏まえ廃止となった[32]。

法人市場対策

2007年(平成19年)に営業支援部(やまぎん情報開発研究所)の前身となる情報開発部を設置。山形大学工学部、同農学部、鶴岡工業高等専門学校、東北芸術工科大学、東北公益文科大学と産学連携協定を締結している。また、山形県企業振興公社との商談会の共催のほか、本部と営業店との協働によるPFIや、ABLにも取り組んでいる。

企業支援団体

日経BP社が展開する日経ベンチャー経営者クラブ (NVC) と提携し、やまぎん日経BP経営者クラブを結成している。また、県内リーディング企業の異業種交流の場として山形企業経営研究会(YES)を発足させている。

市場誘導業務

野村證券、大和証券、三菱UFJ証券、新光証券、有限責任あずさ監査法人と業務提携し、取引先企業に対する株式公開に至るまでのサポートを行っている。また、野村證券とは「コモディティ・デリバティブ」媒介業務取扱いにかかる業務提携も締結している。

地方公共団体取引

山形県の指定金融機関(指定金)であり[36]、山形市、米沢市、新庄市など県内陸地方における過半の自治体の指定金を受託している。また三菱東京UFJ銀行とともに県と連携協力協定も締結している[37]。

個人市場対策

ICキャッシュカードと生体認証
2007年(平成19年)2月より、ICチップ搭載のICキャッシュカードの取り扱いを開始し、6月からは、「指静脈」による生体認証を開始した。
クレジットカード提携 キャッシュカード一体型
  • ハイブリッドJCBカード、ハイブリッドJCBゴールド、ハイブリッドJCB LINDA やまぎんカードサービス
  • ハイブリッドDC VISA/Master、ハイブリッドDCニューズ VISA/Master ハイブリッドDCゴールド VISA/Master
  • ハイブリッドDCゴールド(ヴァン)VISA/Master(ハイブリッドDCは、全て指認証機能付)やまぎんカードサービス

情報処理システム

勘定系・情報系などの情報処理システムは地銀7行が参画し、日本IBMが運用及び保守を担うじゅうだん会共同版システムを採用する[38][39]。

提携ATMサービス

七十七銀行・東邦銀行間では、ATM手数料無料提携サービス「MYキャッシュポイント」を行うほか、地元金融機関とは「ぐるっと花笠ネット」、「ふるさと山形ネットサービス」の無料提携サービスも行っている。また秋田銀行ともATM相互利用サービスに取り組んでいる。

地域社会に対する貢献

美しい山形・最上川フォーラム
最上川夢の桜街道に協賛し、会費収納の無償受託のほか、多くの行員が個人会員となり運営を支援している。
小さな親切運動
1975年(昭和50年)から小さな親切山形県本部事務局を務め、運営費用の助成や各地区のクリーン作戦への参加などに取り組んでいる。
女子バスケットボールチーム「ライヤーズ」
県内唯一の女子バスケットボール実業団チームとして、国体出場による山形県への地域貢献を目標にしている。全国実業団大会では、上位入賞の常連であり、2006年(平成18年)ののじぎく兵庫国体では、ライヤーズ主体の山形県成年女子が県勢初の優勝を果たした。2008年(平成20年)にはアトランタ五輪日本代表の山田かがりがヘッドコーチに就任。全国大会ではいずれも初優勝の三冠を達成した。
山形銀行学事振興基金
1971年(昭和46年)設立。各種教育団体に、教材や器具を寄贈している。また、出前授業による金融教育を県教育庁の協力を得ながら進めている。
山形交響楽団友の会
文化活動支援として、山形交響楽団友の会に入会して山響を支援している。
山形県総合芸術文化会館
2020年(令和2年)に開館した山形県総合文化芸術館の命名権を取得。愛称がやまぎん県民ホールとなる[40]。

脚注

参考文献・関連書籍

関連項目

外部リンク

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