山本康志
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| 山本康志 | |
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2011年阪神JS表彰式 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 |
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| 出身地 | 茨城県 |
| 生年月日 | 1977年2月28日(49歳) |
| 身長 | 161.0cm(2020年) |
| 体重 | 51.0kg(〃) |
| 血液型 | O型 |
| 騎手情報 | |
| 所属団体 | JRA |
| 初免許年 | 1995年 |
| 免許区分 | 平地・障害[1] |
| 騎手引退日 | 2020年9月30日 |
| 重賞勝利 | 6勝 |
| 通算勝利 |
2684戦134勝 JRA2666戦132勝、地方18戦2勝 |
| 経歴 | |
| 所属 |
美浦・佐々木亜良(1995.3 - 1996.6) 美浦・フリー 美浦・久保田貴士(2020.7.1 - 2020.9.30) |
山本 康志(やまもと こうし、1977年2月28日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) ・美浦トレーニングセンターに所属していた元騎手で現在は調教助手。
10歳の時に東京都から茨城県に引っ越した。テレビで武豊のドキュメンタリー番組を見て、騎手に興味を持つ[2]。1995年、第11期生としてJRA競馬学校を卒業し騎手免許を取得。同期には石山繁、西谷誠、青木芳之、西田雄一郎らがいる。
デビュー時は佐々木亜良厩舎に所属。3月5日、JRA初騎乗となる中山競馬場第2競走で、11番人気バックファイアーに騎乗し13着。8月19日、新潟競馬場第3競走で4番人気アイランドロッコーで勝利しJRA初勝利を挙げる。9月3日、新潟競馬場での障害競走で4番人気ブローフォンテンに騎乗し障害初騎乗を果たす(5着)。デビュー年は126戦1勝という成績だった。
2年目で早くも所属厩舎を出てフリーとなり[3]、3年目の1997年2月23日、中山競馬場での障害競走で3番人気ストレートアンサーで勝利し障害初勝利を挙げる。同馬とは初の重賞となる阪神障害ステークス(春)にも出走したが競走中止となった。同年6月1日の中京競馬では第1、5、6競走で勝利し1日3勝を挙げている[4]。
2002年9月1日に小倉競馬第5競走・3歳未勝利で挙げた勝利が平地での最後の勝利となっている。2004年から障害競走中心の騎乗となり、2005年に新潟ジャンプステークスを6番人気メジロベイシンガーで制し重賞初勝利を挙げる[5]。
2011年、中山大障害の前哨戦・イルミネーションジャンプステークスでマジェスティバイオに騎乗。それまで主戦を務めていた柴田大知がマイネルネオスに騎乗するため山本に乗り替わり、1番人気に推されたがディアマジェスティから9馬身離された2着。中山大障害ではマイネルネオスやディアマジェスティを抑え再び1番人気に推され、ゴール寸前でディアマジェスティを差し切り、デビュー17年目でJ・GI初制覇。次走では柴田に手綱が戻ることになったが、「ワンチャンスを生かせてよかった」と振り返っている[6]。
2013年2月3日、東京競馬第4競走でローンウルフに騎乗して勝利し、JRA通算100勝を達成[7]。
2020年7月1日付けで久保田貴士厩舎に所属することになった。そして同年9月30日付けで騎手を引退。引退を決意した理由について「乗り馬が減ったのが一番の要因」と答えている[8]。引退後は奥平雅士厩舎で持ち乗り調教助手となる[2]。
主な騎乗馬
- バローネフォンテン(2005年ペガサスジャンプステークス、東京オータムジャンプ)
- メジロベイシンガー(2005年新潟ジャンプステークス、東京ハイジャンプ2着、2007年イルミネーションジャンプステークス)
- ギルティストライク(2010年東京ジャンプステークス)
- クリーバレン(2011年新潟ジャンプステークス)
- クランエンブレム(2011年阪神ジャンプステークス)
- マジェスティバイオ(2011年中山大障害)
- ウメノファイバー(新馬戦から4戦目まで)
- オジュウチョウサン(障害転向2戦目から6戦目まで)