山田三良
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1869年、奈良県高市郡越智村(現・高取町)に村長山田平三郎の三男として生まれる。東京専門学校(現早稲田大学)を経て、1896年帝国大学法科大学(現東京大学大学院法学政治学研究科・法学部)卒業。同大学院修了。その後東京帝国大学法科大学助教授に就き、文部省外国留学生としてドイツのハイデルベルク大学、フランスのソルボンヌ大学に3年間留学し国際法を学ぶ。1901年7月19日帰国[3]。
帰国後、東京帝国大学法科大学教授、京城帝国大学総長、東京帝国大学法学部長などをつとめた[4]。法制局参事官[5]、第14代日本学士院院長、第2代学士会理事長、日仏会館理事長。1943年12月から1947年5月まで貴族院議員(帝国学士院会員議員)[6]。
1952年5月13日、恩賜賞及び日本学士院賞の受賞者が皇居に招かれ御陪食を賜わう機会があったが、本来同席する学士院長の山田は病気を理由に欠席した。翌14日、昭和天皇からスープを賜っている[7]。
受賞・栄典
研究内容・業績
- 国際私法の権威で日仏文化交流の貢献者として知られた。植民地法や外国人の法的地位の問題、アメリカカリフォルニア州における日系人の土地所有権問題などで活発に発言。
- 貴族院議員を務めていた時には日本国憲法の作成にも関与し、最高裁判所裁判官国民審査の導入に尽くした人物としても知られる。
- 門下生に、田中耕太郎らがいる。