岡元勇人
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島根県立出雲工業高等学校では3年生時に国体、全国選手権に出場[2]。
1993年に同校を卒業し、東京ガスに入社。社員選手としてジャパンフットボールリーグに所属する同社サッカー部(現FC東京)に加入した。主に左サイドの攻撃的ミッドフィールダーやフォワードとして出場を重ね、縦への突破力を活かして[3] 前線をかき回し貪欲にゴールを狙うプレースタイルから[2]「突貫小僧」の異名もあった[4]。大熊清監督からは、膠着した試合展開を打破できる[3]切り札として考えられていたため[5] 先発から外されることもあったが、1997年末の天皇杯では準々決勝のベルマーレ平塚戦で延長戦にボレーシュートで劇的な決勝点を挙げて[3] ベスト4進出の立役者となり、翌1998年のリーグ戦ではシーズン終盤に入り得点を重ねてチームの初優勝に貢献するなど、大舞台に強さを発揮した[2]。
1999年、東京ガスはFC東京としてJリーグに加盟し、新たに発足したJリーグ ディビジョン2(J2)に参加。J2開幕戦のサガン鳥栖戦で、岡元は前半4分に加賀見健介のクロスから先制点を挙げ、これがJ2の第1号ゴールとして記録された[6]。夏場に負傷離脱して以降、復帰後も中々主力として定着することができず、J1へと昇格した2000年には僅か1試合の出場にとどまり、この年限りで退団した。
2001年に日本フットボールリーグの横河電機(現:東京武蔵野シティFC)に移籍[7]。中盤の要の一人としてチームを牽引したが[1]、2002年5月に退団[8]。選手生活を退いた。
愛称の“タロー”は芸術家の岡本太郎に由来している。
所属クラブ
- 島根県立出雲工業高等学校
- 1993年 - 2000年
東京ガスサッカー部 / 東京ガスフットボールクラブ / FC東京 - 2001年3月 - 2002年5月
横河電機サッカー部
個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1993 | 東京ガス | 18 | 旧JFL1部 | 15 | 2 | - | - | 15 | 2 | ||
| 1994 | 旧JFL | 26 | 7 | - | 3 | 0 | 29 | 7 | |||
| 1995 | 21 | 7 | - | 1 | 0 | 22 | 7 | ||||
| 1996 | 23 | 6 | - | 1 | 0 | 24 | 6 | ||||
| 1997 | 20 | 6 | - | 6 | 4 | 26 | 10 | ||||
| 1998 | 23 | 14 | - | 2 | 1 | 25 | 15 | ||||
| 1999 | FC東京 | J2 | 28 | 3 | 7 | 0 | 4 | 2 | 39 | 5 | |
| 2000 | J1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | ||
| 2001 | 横河電機 | 15 | JFL | 24 | 7 | - | 0 | 0 | 24 | 7 | |
| 2002 | 21 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | ||||
| 通算 | 日本 | J1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | |
| 日本 | J2 | 28 | 3 | 7 | 0 | 4 | 2 | 39 | 5 | ||
| 日本 | JFL | 24 | 7 | - | 0 | 0 | 24 | 7 | |||
| 日本 | 旧JFL1部 | 128 | 42 | - | 13 | 5 | 141 | 47 | |||
| 総通算 | 181 | 52 | 7 | 0 | 17 | 7 | 205 | 59 | |||