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高山薫

日本のサッカー選手 From Wikipedia, the free encyclopedia

高山 薫(たかやま かおる、1988年7月8日 - )は、神奈川県川崎市高津区出身のプロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。

愛称 かおるちゃん
カタカナ タカヤマ カオル
ラテン文字 TAKAYAMA Kaoru
国籍 日本の旗 日本
概要 高山 薫, 名前 ...
高山 薫
名前
愛称 かおるちゃん
カタカナ タカヤマ カオル
ラテン文字 TAKAYAMA Kaoru
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1988-07-08) 1988年7月8日(38歳)
出身地 神奈川県川崎市高津区
身長 173cm
体重 68kg
選手情報
在籍チーム 中華民国の旗 台中Futuro
ポジション MF
背番号 23
利き足 右足
ユース
2001-2006 日本の旗 川崎フロンターレ
2007-2010 日本の旗 専修大学
クラブ1
年 クラブ 出場 (得点)
2011-2013 日本の旗 湘南ベルマーレ 105 (19)
2014 日本の旗 柏レイソル 32 (4)
2015-2018 日本の旗 湘南ベルマーレ 96 (13)
2019-2021 日本の旗 大分トリニータ 32 (0)
2021 →日本の旗 SC相模原 (loan) 4 (0)
2022 日本の旗 SC相模原 11 (0)
2023- 中華民国の旗 台中Futuro
通算 280 (36)
1. 国内リーグ戦に限る。2023年3月27日現在。
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来歴

プロ入り前

6歳の時に幼稚園の先生に誘われたことがキッカケでサッカーを始めた[1]。小学6年生の時にはサッカーの川崎市選抜にも選出されている[2]。

中学・高校時代は、同期の永木亮太と一緒に川崎フロンターレの下部組織に在籍していたが、トップチームに昇格することは出来ず[3]、専修大学に進学。大学2年時に「関東大学選抜B」に選出[4]、大学4年時には神村奨と2トップを組んで12得点を挙げ[5]、2010年の関東大学サッカーリーグ2部での最多得点者となった。

プロ入り後

2011年に湘南ベルマーレに加入[4]。Jリーグ開幕前にバンコクで開催されたトヨタプレミアカップでのタイ・ポート戦にて、85分に韓国栄と交代し湘南加入後、公式戦初出場および初得点を記録[6]。リーグ戦でも大卒1年目ながら35試合に出場。5月8日の愛媛FC戦にてアジエルのアシストからJリーグ初ゴールを上げ、最終的にチームトップの9得点を挙げる活躍を見せた[7]。

2012年は、同年より監督に就任した川崎フロンターレユース時代の恩師である曺貴裁の下、「動き出しの早さで相手より前を取れるという薫のよさがチームに活かされたらいい」という意図により、3-4-3の左ウイングバックに起用された[8]。リーグ戦38試合で6ゴール・4アシストの活躍を見せ、チームのJ1復帰に大きく貢献した。最終節のアウェイFC町田ゼルビア戦では、J2記念ゴール(11,000ゴール)を決め、チームもキリノ・大槻周平のゴールと合わせて、0-3と勝利。前節2位の京都サンガF.C.が既に優勝を決めたヴァンフォーレ甲府と0―0で引き分けたため、前節3位だった湘南が自動昇格圏の2位に浮上し、最終節での逆転昇格となった[9]。 2013年もリーグ戦でチームトップタイの4得点を挙げるも、チームはJ2降格となった。

2014年、大学時代に練習参加の経験がある柏レイソルに完全移籍[10]。ダイレクターである吉田達磨からは、「高山は湘南でチームのためにプレーすることを叩き込まれた」と、責務を全うする姿を高く評価された[11] 。柏では、湘南時代とは逆の右サイド[12] や、3-6-1の2シャドーの一角[13] としてもプレーした。2014年3月1日にホームで開催されたFC東京とのJリーグ開幕戦にて先発し、移籍後初出場。8月2日の川崎フロンターレ戦にて移籍後初ゴールを決めた[14]。

2015年、湘南に完全移籍で復帰[15]。同年は主戦場のサイドでは無く主にシャドーでプレー[16]。出場停止1試合を除く全試合に先発出場を果たしJ1自己最多の7得点をマークした他、Jリーグが計測したトラッキングデータでは走行距離でリーグ5位、スプリント回数ではリーグ2位を記録し、「走るベルマーレ」の象徴としてチームの8位進出に貢献した[17]。

2016年は永木亮太、秋元陽太[注釈 1]、遠藤航らが移籍した中で残留を決断し、曺からの推薦によりキャプテンに就任[18]。以後3シーズン連続でキャプテンを務めた。前年同様リーグ戦33試合(内1試合は途中出場)に出場したが、チームはシーズン17位となりJ2降格となった。

2017年は3月25日のJ2第5節・千葉戦で全治8ヶ月・前十字靭帯損傷の怪我を負い[19]、シーズンの大半を棒に振った。第40節・福岡戦にて77分に杉岡大暉と交代出場し公式戦復帰を果たした[20]。

2018年は先発から外れる機会が増えたが[21]、同年のJリーグカップ決勝・横浜FM戦では1点リードで迎えた後半32分に投入されると、身体を張って相手の攻撃を防ぎ優勝に貢献[22]。表彰式ではチームメイトに背中を押され、優勝カップを掲げた[22]。

2019年、大分トリニータに完全移籍[23]。開幕から左サイドの先発ポジションを掴んだが[24]、シーズン途中に田中達也が加入して以降は出場機会を減らした。

2021年7月9日、SC相模原への期限付き移籍が発表された[25]。2022年より相模原に完全移籍したが[26]、出場機会を掴めず同年限りで契約満了となった[27]。

2023年1月20日、台湾社会人甲級サッカーリーグの台中Futuroへの移籍が発表された[28]。

人物・エピソード

  • 名字については湘南公式HPからの内定時のリリースには「髙山」と梯子高が使用されていたが[4]、それ以降の各クラブ並びにJリーグのリリース・プロフィールなどでは「高山」表記が使用されている[10][15][23][29]。
  • 父親は大分県中津市出身で、2019年春から中津市の祖母の家へ両親が移住している。移住の3、4年前から決まっていたことであったが、同年高山が大分トリニータへ移籍することとなり「運命的なものを感じた」と語っている[30]。
  • 湘南時代にチームメイトであった永木亮太とは、川崎フロンターレのジュニアユース時代の同期であり、湘南在籍時は永木や猪狩佑貴と一緒に行動していたという[31]。
  • 川崎フロンターレ戦では2014年時点で通算5試合5得点と、川崎キラーである[32]。自身のJ1初ゴールや[33]、柏での移籍後初ゴールを決めた相手も川崎であった[13]。
  • 目立つことが好きな性格である。兄の影響もあってお洒落にも気を配っており、服を買うことが趣味の一つであるという[1]。音楽やコーヒーにもこだわりを持っている[34]。
  • 小学6年生の時に憧れていた選手は西澤明訓であり、当時は彼の真似をしてユニフォームのエリを立てていたという[2]。
  • 山本リンダの「どうにもとまらない」を自身のテーマ曲にしており[8]、柏レイソルでの彼のチャントに同曲が使われた際は、本人も「歌は相当良いです。たまらない。」と発言している[12]。

所属クラブ

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2011湘南23J2359-423911
2012386-10396
20138J13243010364
2014柏1332410020444
2015湘南233373011378
20163345021405
2017J282-0082
2018J12208121322
2019大分2002020240
202011020-130
202110300040
相模原8J240--40
202223J3110--110
通算日本J1 1841936110323023
日本J2 8517-529019
日本J3 110-00110
総通算 2803636115533142
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タイトル

クラブ

専修大学
柏レイソル
湘南ベルマーレ

個人

代表・選抜歴

  • 2005年
    • 神奈川県国体選抜
  • 2008年
    • 関東大学選抜B

脚注

関連項目

外部リンク

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