岡田牧雄
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1952年、北海道静内町にて岡田蔚男の次男として誕生する。家族共々結核にかかりやすい体質で、牧雄も幼い頃に6年間の入院経験があった[1]。
1972年に蔚男が生産牧場の「岡田蔚男牧場」を開業。繁幸と共に競馬場によく連れていかれるようになり、勝ち馬の予想もするようになった[1]。
1974年、医師から結核による再度の入院を勧められたことをきっかけに渡米。ケンタッキー州のノルマンディーファームへ就職した。渡米後に結核が回復したこともあり、生産や調教技術を学んだ後、カリフォルニア州のトミー・ドイル厩舎を引き継ぐことになり、アメリカの調教師免許も取得した。しかし、父親の牧場を引き継ぐ予定であった繁幸が、父親との経営方針の違いから独立してしまったため、呼び戻される形で帰国することとなった[1]。
こうして1981年に父親から牧場を引き継ぎ、1984年に現在の名称である「岡田スタッド」に改称した[1]。以後、オーナーブリーダーとして活動していくことになる。
人物
エピソード
マイネルダビテとの絆
1986年、所有していた繁殖牝馬のほとんどが馬鼻肺炎ウイルスにより流産となり、牧場経営が窮地に陥っていた。そんな時、前年に購入していた所有馬のマイネルダビテが共同通信杯を制し、賞金の3000万円が入ったことで難を逃れた。マイネルダビテは引退後、種牡馬となることはできなかったが、牧雄が牧場で面倒を見続け、良き相談相手になっていたという。そして、2021年にシンザンを越える36歳8ヶ月の大往生を遂げた[注 1]。牧雄は、マイネルダビテへの思い入れについて、「(ノルマンディーサラブレッドレーシングの所有馬で、三冠牝馬となった)デアリングタクトとどっちが思い入れあるかって言ったら、圧倒的にダビテですよ。私にとっては無二の存在です。」と語っている[3]。
親族
父の蔚男は、岡田スタッドの前身である岡田蔚男牧場を開業した。その父、牧雄の祖父にあたる岡田睦次も、本業は雑貨商であったがその傍らで牧場を開業している[1]。
また、子供も馬に関わる職に就いており、将一はノルマンディーサラブレッドレーシングの代表を、壮史は愛馬会法人の「ノルマンディーオーナーズクラブ」の代表をそれぞれ務めている。
