フサイチアソート
From Wikipedia, the free encyclopedia
| フサイチアソート | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
2008年4月20日 中山競馬場 | ||||||
| 欧字表記 | Fusaichi Assort | |||||
| 品種 | サラブレッド | |||||
| 性別 | 騸 | |||||
| 毛色 | 栗毛 | |||||
| 生誕 | 2005年2月16日(21歳) | |||||
| 抹消日 | 2014年11月28日 | |||||
| 父 | トワイニング | |||||
| 母 | アーネストデザイア | |||||
| 母の父 | サンデーサイレンス | |||||
| 生国 |
| |||||
| 生産者 | ノーザンファーム | |||||
| 馬主 | 関口房朗→岡田牧雄 | |||||
| 調教師 |
岩戸孝樹(美浦北) →佐山優(栗東) →岩戸孝樹(美浦北) | |||||
| 競走成績 | ||||||
| 生涯成績 | 44戦3勝 | |||||
| 獲得賞金 | 1億961万2000円 | |||||
| ||||||
フサイチアソートは、日本の競走馬である。馬名は最初の馬主であった関口房朗が使用した冠名の「フサイチ」と“詰め合わせ”を意味する「アソート」が由来となっている。2006年のセレクトセール1歳にて4300万円(消費税抜)で落札された(市場取引馬)。落札は中村浩章名義となっていた。
2歳
2007年9月19日に美浦に入厩。10月28日に東京競馬場で行われた、芝1600mの2歳新馬戦では単勝3.2倍の2番人気に支持され、本馬場入場後に芝生を食べようとするなど幼さを見せたものの、レースになると大人しく、少し頭の位置が高い走法ながら道中は馬群の中に位置し、直線で内に抜け出し[1]ニシノエモーションにアタマ差で競り勝った。11月17日に格上挑戦で出走した東京スポーツ杯2歳ステークス(JpnIII)では、単勝9番人気と低評価だったが、新馬戦と同じような走りを見せ[1]重賞初挑戦で初勝利を挙げた。この勝利は父トワイニングにとって産駒のJRA重賞初勝利であった。その他にも関口房朗の同レース3連覇、岩戸孝樹厩舎の重賞初勝利、鞍上の横山典弘の4年連続で自身8度目となるJRA年間100勝達成という、記録ずくめの勝利となっている。なお同日、デビュー戦で2着だったニシノエモーションもレコードタイムで初勝利を挙げている。11月29日に発表された重賞・オープン特別競走レーティングでは、東京スポーツ杯2歳ステークスを制したことにより106ポンドの評価を得た。その後は、クラシック制覇を狙って翌春まで休養に入った。
3歳
復帰戦は弥生賞となった。しかし、レースは見所なく12着だった。続く皐月賞では8着だった。その後、日本ダービーに出走登録を行っていたが、除外され、目黒記念に出走するも10着だった。続く新潟記念では村田一誠との初コンビで挑み、5着に入った。セントライト記念では8着だった。10月に馬主が関口房朗から岡田牧雄に代わった。次走は富士ステークス。しかし14着に敗れた。続く福島記念では近走の成績不振から13番人気と低評価だったが4着に入った。続く中日新聞杯では10番人気だったが、ヤマニンキングリーの2着と2歳時の東京スポーツ杯2歳ステークス以来の連対を果たした。
4歳
初戦はニューイヤーステークスとなった。2番人気に推されたが、いいところがなく8着に終わった。続く白富士ステークスでは5着、中京記念では13着、日本海ステークスでは5着、ポプラステークスでは7着、レインボーステークスでは6着、去勢手術明けの元町ステークスでは8着に終わり、この年はすべて着外に終わった。
5歳
初戦の初富士ステークスは終始後方のまま12着と大敗した。続く節分ステークスでも同様の競馬でブービーの15着に終わった。 続くサンシャインステークスでは好位追走も伸び切れず9着に敗れた。常総ステークスではブービーの13着と大敗した。湾岸ステークスでは中団追走も12着と殿負けを喫した。4ヶ月間隔をおき、8月のマレーシアカップに出走するが11着と惨敗、オクトーバーステークスでは最内枠からハナを奪い軽快に逃げるものの直線で力尽き最下位の11着に終わった。この後、11月27日の障害未勝利戦に出走、中団から脚を伸ばして3着。続く12月18日の障害未勝利戦ではスタールーセントのクビ差の2着になった。
6歳
半年ぶりの出走となった6月12日の障害未勝利戦では8着。7月31日の障害未勝利戦で障害初勝利を挙げた。
7歳〜9歳
1勝も挙げることなく2014年11月28日付けで競走馬登録を抹消した[2][3]。引退後は北海道日高郡のノルマンディーファームにて乗馬となる[2][3]。2021年より引退名馬繋養展示事業の対象馬となり、新ひだか町の岡田スタッドに繋養されている。