岩瀬 (鎌倉市)
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| 岩瀬 | |
|---|---|
| 町丁・大字 | |
|
いわせ下関こども広場(鎌倉食用蛙養殖場跡地) | |
北緯35度21分23秒 東経139度32分35秒 / 北緯35.356317度 東経139.543089度 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 地域 | 大船地域 |
| 人口情報(2023年(令和5年)9月1日現在[1]) | |
| 人口 | 9,404 人 |
| 世帯数 | 4,272 世帯 |
| 面積([2]) | |
| 0.92 km² | |
| 人口密度 | 10221.74 人/km² |
| 郵便番号 | 247-0051[3] |
| 市外局番 | 0467(藤沢MA)[4] |
| ナンバープレート | 横浜 |
岩瀬(いわせ)は、神奈川県鎌倉市の地名。現行行政地名は岩瀬一丁目及び大字岩瀬。住居表示は一丁目が実施済み区域、大字岩瀬は未実施区域[5]。
地価
歴史
鎌倉時代、岩瀬与一太郎という御家人がこの地を治めた事が地名の由来とされ、岩瀬与一太郎由来の神社(五社稲荷神社)などの史跡も残る。
仁治元年(1240年)に北条泰時が発給した文書によると、当時この地が山内新阿弥陀堂(現横浜市本郷、證菩提寺)の料所であった事がわかる。なおこの文書は「岩瀬」という地名が史料上で確認できる最古の文書である。
正平7年(1351年)、岩瀬は足利尊氏によって島津忠兼に与えられたが、その後後北条氏の台頭によって後北条氏の支配下となる。なお後北条氏支配下のころはほぼ全域が明月院の所領だった。
江戸時代になると鎌倉郡岩瀬村は江戸幕府の保護を受けた大長寺や複数の旗本など複数の領主の相給となっていた。
明治22年(1889年)に周辺6箇村と合併して小坂村となり、昭和8年(1933年)には町制施行・改称して大船町となった。
大正期に鎌倉食用蛙養殖場(現、岩瀬下関防災公園)が作られ、ウシガエルの養殖が大々的に行われた。これらのウシガエルは食用として欧米諸国に輸出され、周辺農民の貴重な現金収入となった。またその餌としてアメリカザリガニも飼育され、のちにこれらの生物は外来種として拡がった。
昭和23年(1948年)に鎌倉市へ編入され、現在に至る。
世帯数と人口
2023年(令和5年)9月1日現在(鎌倉市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
| 大字・丁目 | 世帯数 | 人口 |
|---|---|---|
| 岩瀬 | 2,060世帯 | 4,392人 |
| 岩瀬一丁目 | 2,212世帯 | 5,012人 |
| 計 | 4,272世帯 | 9,404人 |
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
| 年 | 人口 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[7] | 7,298 |
| 2000年(平成12年)[8] | 7,481 |
| 2005年(平成17年)[9] | 7,662 |
| 2010年(平成22年)[10] | 7,953 |
| 2015年(平成27年)[11] | 8,178 |
| 2020年(令和2年)[12] | 8,760 |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
| 年 | 世帯数 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[7] | 2,963 |
| 2000年(平成12年)[8] | 3,087 |
| 2005年(平成17年)[9] | 3,185 |
| 2010年(平成22年)[10] | 3,425 |
| 2015年(平成27年)[11] | 3,581 |
| 2020年(令和2年)[12] | 3,934 |
学区
事業所
交通
鉄道
- 地内に駅は無いが、最寄り駅として大船駅がある。
バス
道路
- この2県道は横浜市栄区内の公田で重複して西進し、岩瀬に入るとすぐに鎌倉女子大前交差点で分離する。このため、同交差点は神奈川県内の主要渋滞ポイントの1つとして知られる。
