岩瀬哲治
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高校時代
全国高校駅伝には3年連続で出場。2年時は7区を走り、2位でゴールテープを切った[2]。
大学時代
1年時の第50回箱根駅伝では、大会前に故障した影響で本調子ではないながらも1区に起用されたが、区間13位にとどまった[3]。しかし、2区・服部誠が史上最多(当時)の12人抜きでトップに立つと[4]、1年生を並べた3区~5区でも首位を守り、大学史上初めての往路優勝を果たした[5]。これは2025年現在、東京農業大学唯一の往路優勝である。
2年時の第51回箱根駅伝では7区を走ったが、区間9位にとどまった。3年時の第52回箱根駅伝では2年ぶりに1区を走り、区間2位で襷を繋いだ[6][7]。
4年時の第53回箱根駅伝では10区を担当。首位の日本体育大学とは9分00秒差の2位で襷を受けると、日体大を猛追。最終的には2分54秒届かなかったが区間新記録の快走で大学史上最高の総合2位に貢献した[8][9]。
大学卒業後
大学卒業後はリッカー陸上競技部に所属し[10]、1984年の第39回びわ湖毎日マラソンでは2時間14分24秒で優勝した[11]。同年7月に日産自動車陸上競技部に移籍した(リッカーが倒産したため、日産自動車が受け皿となっていた)。
1989年に東邦生命に入社し、陸上競技部の監督を務めた。1998年に小島プレス、2003年にJR東日本[12]、2014年に東京農業大学の陸上競技部監督に就任した[13]。
戦績・記録
大学駅伝戦績
| 学年 | 箱根駅伝 | 全日本大学駅伝 |
|---|---|---|
| 1年生 (1973年度) | 第50回 1区-区間13位 1時間08分33秒 | 第5回 ー - ー 出走なし |
| 2年生 (1974年度) | 第51回 7区-区間9位 1時間09分27秒 | 第6回 5区-区間5位 46分01秒 |
| 3年生 (1975年度) | 第52回 1区-区間2位 1時間06分04秒 | 第7回 5区-区間4位 44分39秒 |
| 4年生 (1976年度) | 第53回 10区-区間賞 1時間06分31秒 区間新記録 | 第8回 7区-区間3位 39分12秒 |
実業団駅伝戦績
| 年 | 大会 | 所属 | 区間 | 距離 | 区間順位 | 記録 | 総合順位 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1977年 | 第22回全日本実業団駅伝 | リッカー | 1区 | 16.3km | 区間11位 | 48分45秒 | 13位 |
| 1978年 | 第23回全日本実業団駅伝 | 1区 | 16.3km | 区間19位 | 49分38秒 | 11位 | |
| 1981年 | 第26回全日本実業団駅伝 | 1区 | 16.3km | 区間9位 | 48分20秒 | 3位 | |
| 1982年 | 第27回全日本実業団駅伝 | 1区 | 16.3km | 区間4位 | 48分28秒 | 6位 | |
| 1983年 | 第28回全日本実業団駅伝 | 1区 | 16.3km | 区間13位 | 48分41秒 | 4位 | |
| 1984年 | 第29回全日本実業団駅伝 | 日産自動車 | 7区 | 16.3km | 区間9位 | 50分07秒 | 3位 |