武井隆次

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ラテン文字 Ryuji Takei
国籍 日本の旗 日本
武井 隆次
たけい りゅうじ
選手情報
ラテン文字 Ryuji Takei
国籍 日本の旗 日本
競技 陸上競技
種目 長距離走
大学 早稲田大学人間科学部
生年月日 (1971-05-18) 1971年5月18日(54歳)
出身地 東京都の旗東京都墨田区
身長 169cm
体重 57kg
自己ベスト
マラソン 2時間08分35秒(2002年)
獲得メダル
陸上競技
アジア競技大会
2002 釜山男子マラソン
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武井 隆次(たけい りゅうじ、1971年5月18日 - )は、日本の陸上競技選手。前エスビー食品陸上競技部監督。専門は長距離走。墨田区立鐘淵中学校、國學院久我山高等学校早稲田大学人間科学部スポーツ学科卒業。

國學院久我山高校時代は、2学年上に松本秀之([1] のち中大)、1学年上に大澤哲夫([2] のち中大)らがいた。
1989年の高校3年時、高知インターハイで同学年のライバル柳倫明(市立船橋3年、のち明大)や中村博幸(大牟田3年、のち日大)らに競り勝ち、1500m(3分53秒35)・5000m(大会新14分13秒73)で優勝し注目される。同年10月27日の浜松中日カーニバルでは、高校生として初めて5000mで14分台の壁を破る13分57秒90を記録する[3]

同年11月、全国高校駅伝都予選では、共にインターハイに出場した植井孝秀(3年[4]、のち中大)、弟・武井康真(2年[5]、のち中大)、翠尾崇(3年[6]、のち東海大)らと共に東京高校記録を出し、例年のように全国優勝も射程に捉えていた[7]。しかし都大路では1区(10.0km)で区間賞(29分49秒)に輝きながらも本来の力を発揮できず、チームもメンバーの故障入れ替えもあり総合10位2°08:42に終わった[8]

1990年早稲田大学入学。同大学競走部では同期の花田勝彦櫛部静二とともに早大三羽烏と呼ばれる。 第60回(1991年)日本インカレでは10000M(28分42秒94)と5000M(13分56秒03)の二冠を制す。また箱根駅伝では1年から3年連続区間新、4年連続区間賞と大活躍。3年時の第69回では渡辺康幸が入学し、早大は総合優勝を果たす。

ちなみに箱根駅伝での3年連続区間新を記録したのは6人のみ(のちに第81-83回の今井正人や第82-84回の佐藤悠基らがいる)。

大学卒業後、エスビー食品に入社。長らく伸び悩んでいたが、2002年のびわ湖毎日マラソンを2時間8分35秒で優勝。釜山アジア大会代表に選出され、大会本番では銅メダル(3位)を獲得する活躍を見せた。しかしオリンピック出場は果たせず、怪我の影響もあって引退した。引退後、ヱスビー食品に残りコーチをしていたが、瀬古利彦の異動に伴い後継指名を受け監督に就任。2008年4月、早稲田実業学校コーチに就任。

極度の近視。度の強い丸メガネを愛用している。走るときはメガネをはずしているため、ほとんど何も見えなかったという。1学年下にあたる弟・康真中央大学で4年連続で箱根駅伝に出場する活躍をみせ、兄と共にエスビー食品に進んだ。

マラソン全成績

脚注

外部リンク

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