武井隆次
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國學院久我山高校時代は、2学年上に松本秀之([1] のち中大)、1学年上に大澤哲夫([2] のち中大)らがいた。
1989年の高校3年時、高知インターハイで同学年のライバル柳倫明(市立船橋3年、のち明大)や中村博幸(大牟田3年、のち日大)らに競り勝ち、1500m(3分53秒35)・5000m(大会新14分13秒73)で優勝し注目される。同年10月27日の浜松中日カーニバルでは、高校生として初めて5000mで14分台の壁を破る13分57秒90を記録する[3]。
同年11月、全国高校駅伝都予選では、共にインターハイに出場した植井孝秀(3年[4]、のち中大)、弟・武井康真(2年[5]、のち中大)、翠尾崇(3年[6]、のち東海大)らと共に東京高校記録を出し、例年のように全国優勝も射程に捉えていた[7]。しかし都大路では1区(10.0km)で区間賞(29分49秒)に輝きながらも本来の力を発揮できず、チームもメンバーの故障入れ替えもあり総合10位2°08:42に終わった[8]。
1990年、早稲田大学入学。同大学競走部では同期の花田勝彦、櫛部静二とともに早大三羽烏と呼ばれる。 第60回(1991年)日本インカレでは10000M(28分42秒94)と5000M(13分56秒03)の二冠を制す。また箱根駅伝では1年から3年連続区間新、4年連続区間賞と大活躍。3年時の第69回では渡辺康幸が入学し、早大は総合優勝を果たす。
- 第67回箱根駅伝 (1991年)1区 21.4km 1:03:26 区間賞、区間新
- 第68回箱根駅伝 (1992年)1区 21.4km 1:03:22 区間賞、区間新
- 第69回箱根駅伝 (1993年)7区 21.3km 1:02:53 区間賞、区間新[9]
- 第70回箱根駅伝 (1994年)4区 20.9km 1:03:28 区間賞
ちなみに箱根駅伝での3年連続区間新を記録したのは6人のみ(のちに第81-83回の今井正人や第82-84回の佐藤悠基らがいる)。
大学卒業後、エスビー食品に入社。長らく伸び悩んでいたが、2002年のびわ湖毎日マラソンを2時間8分35秒で優勝。釜山アジア大会代表に選出され、大会本番では銅メダル(3位)を獲得する活躍を見せた。しかしオリンピック出場は果たせず、怪我の影響もあって引退した。引退後、ヱスビー食品に残りコーチをしていたが、瀬古利彦の異動に伴い後継指名を受け監督に就任。2008年4月、早稲田実業学校コーチに就任。
極度の近視。度の強い丸メガネを愛用している。走るときはメガネをはずしているため、ほとんど何も見えなかったという。1学年下にあたる弟・康真も中央大学で4年連続で箱根駅伝に出場する活躍をみせ、兄と共にエスビー食品に進んだ。