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岩谷俊夫

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カタカナ イワタニ トシオ
ラテン文字 IWATANI Toshio
国籍 日本の旗 日本
岩谷 俊夫
名前
カタカナ イワタニ トシオ
ラテン文字 IWATANI Toshio
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1925-10-24) 1925年10月24日
大日本帝国の旗 大日本帝国、兵庫県神戸市灘区
没年月日 (1970-03-01) 1970年3月1日(44歳没)[1]
日本の旗 日本、東京都中央区
選手情報
ポジション FW
ユース
1938-1942 日本の旗 第一神戸中学校
1943-1948 日本の旗 早稲田大学
クラブ1
年 クラブ 出場 (得点)
日本の旗 大阪サッカークラブ
代表歴2
1951-1956 日本の旗 日本 8 (4)
監督歴
1960  日本ユース
1. 国内リーグ戦に限る。
2. 2014年5月20日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

岩谷 俊夫(いわたに としお、1925年10月24日 - 1970年3月1日)は兵庫県神戸市灘区出身の新聞記者、サッカー選手、サッカー指導者。

御影師範学校附属小学校でサッカーを始める。

1938年に兵庫県立第一神戸中学校(現:兵庫県立神戸高等学校)へ進学、ア式蹴球部のエースとして1941年に明治神宮競技大会で優勝、翌1942年には主将として橿原神宮大会優勝と明治神宮競技大会連覇に貢献した。1943年に早稲田大学に進学しア式蹴球部へ入部。

1945年7月に兵役に就いたが、病気のために同年8月に除隊となった。戦後は早稲田大学に復学し、1946年と1947年に関東大学サッカーリーグ戦と東西大学1位対抗において2年連続二冠に貢献した。

大学卒業後の1948年に三共に入社するが、半年後に退社し共同通信社や毎日新聞社で運動部記者として活躍した。この傍ら1951年に川本泰三らと共に大阪サッカークラブを結成し、同年の第31回天皇杯全日本サッカー選手権大会で準優勝した。

日本代表としては1951年に代表デビューを飾り、同年3月の1951年アジア競技大会に出場。1954年の1954 FIFAワールドカップ・予選、同年5月の1954年アジア競技大会、1956年のメルボルンオリンピック予選などに出場し国際Aマッチ8試合出場4得点を記録した。

引退後は指導者の道へ進み、1960年に日本ユース代表監督、1965年から神戸少年サッカースクール、大阪スポーツマンクラブ少年サッカースクールの指導者として、また自身が勤務する毎日新聞紙上で「サッカー教室」を連載し、1967年には、それらをまとめた『サッカーの教え方、学び方』を出版した。

1968年、東京本社へ転勤。1969年、転校した長男がサッカー部に所属していた縁で浦和市立南高等学校(現さいたま市立浦和南高等学校)のアドバイザーを務め、1970年、高校サッカー史上初の総体、国体、選手権大会制覇の「単独三冠王」に貢献した。

1970年の同校の高校サッカー選手権大会優勝(三冠達成)を見届けたあと、容体が変化。1970年3月1日、国立がん研究センターにおいて脳腫瘍のため死去した[1]。

没後の2006年に日本サッカー殿堂に選出された。

所属クラブ

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 8試合 4得点(1951-1956)
日本代表国際Aマッチ その他期間通算
年出場得点 出場得点出場得点
1951326193
1952001010
1953003030
1954220021
1955203454
1956100010
通算 83145218

出場

No.開催日開催都市スタジアム対戦相手結果監督大会
1.1951年03月07日インドの旗ニューデリー イラン△0-0(延長)二宮洋一アジア大会
2.1951年03月08日インドの旗ニューデリー イラン●2-3アジア大会
3.1951年03月09日インドの旗ニューデリー アフガニスタン○2-0アジア大会
4.1954年03月14日日本の旗東京都明治神宮外苑競技場 韓国△2-2竹腰重丸ワールドカップ予選
5.1954年05月01日フィリピンの旗マニラ インドネシア●3-5アジア大会
6.1955年01月05日ミャンマーの旗ラングーン ビルマ●0-3国際親善試合
7.1955年10月09日日本の旗東京都後楽園競輪場 ビルマ△0-0国際親善試合
8.1956年06月10日日本の旗東京都後楽園競輪場 韓国●0-2(延長)オリンピック予選

得点数

#年月日開催地対戦国勝敗試合概要
11951年3月9日インド、ニューデリーアフガニスタン王国の旗 アフガニスタン2-01951年アジア競技大会
2
31954年3月14日香港大韓民国の旗 韓国2-21954 FIFAワールドカップ・予選
4

指導歴

著書

出典

外部リンク

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