田中孝司 (サッカー選手)
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|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| カタカナ | タナカ コウジ | |||||
| ラテン文字 | TANAKA Koji | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1955年11月2日(69歳)[1] | |||||
| 出身地 | 埼玉県浦和市(現:さいたま市) | |||||
| 身長 | 170cm[1] | |||||
| 体重 | 70kg[1] | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | MF、DF | |||||
| ユース | ||||||
| 1971-1973 |
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| 1974-1977 |
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| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1978-1988 |
| |||||
| 代表歴 | ||||||
| 1982-1984 |
| 20 | (3) | |||
| 監督歴 | ||||||
| 1993-1995 |
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| 1997-1999 |
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| 2001-2002 |
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| 2016-2019 |
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
田中 孝司(たなか こうじ、1955年11月2日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身[2] の元サッカー選手。元日本代表。サッカー指導者。サッカー解説者。ポジションはMF、DF。
明治大学を経て、1978年に日本サッカーリーグの日本鋼管サッカー部(のちのNKK)に入部。JSL1部で通算143試合出場を記録した。1982年1月16日のボカ・ジュニアーズ戦で日本代表として初出場した[1]。なお、国際Aマッチで通算20試合3得点を記録して日本代表の主将も務めた。なお、1982年1月に行われた日本代表vsボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)との3試合で、ディエゴ・マラドーナとマッチアップした。
1988年に引退後は1989年から1992年までNKKのコーチを務めた後、1993年にはU-18日本代表の監督を務め、1995年から名古屋グランパスエイトのコーチに就任した。この間、U-20日本代表の監督も兼務し、1995 FIFAワールドユース選手権でベスト8の記録を残した。1997年11月からは辞任したカルロス・ケイロスに代わり、監督に昇格した。1999年には呂比須ワグナー、山口素弘、楢﨑正剛の3選手が加わり優勝候補とされていたが、選手の起用法からチームの輪が乱れ、成績も低迷。そしてシーズン途中に解任された。
その後、2001年から2002年までは湘南ベルマーレの監督、2004年から2005年まではベガルタ仙台のゼネラルマネージャーを務めたが、いずれもそれぞれのチームの成績不振を理由にその職を解任されている。ちなみに解任したのがいずれも小長谷喜久男だった。
2016年より松江シティFC(現FC神楽しまね)の監督に就任した[2]。2018年に中国サッカーリーグ、第54回全国社会人サッカー選手権大会、全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2018の3つの大会でいずれも優勝して、チームを日本フットボールリーグ昇格へ導いた。2019年12月、監督を退任し[3]、翌年に同チームのゼネラルマネージャーに就任した[4]。2021年、ゼネラルマネージャーを退任し、アドバイザーに就任した。
所属クラブ
個人成績
代表歴
出場大会
- 1982年 アジア競技大会
- 1983年 ロサンゼルスオリンピック予選
試合数
- 国際Aマッチ 20試合 3得点(1982-1984)[2]
| 日本代表 | 国際Aマッチ | その他 | 期間通算 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
| 1982 | 6 | 0 | 11 | 0 | 17 | 0 |
| 1983 | 8 | 3 | 16 | 0 | 24 | 3 |
| 1984 | 6 | 0 | 6 | 0 | 12 | 0 |
| 通算 | 20 | 3 | 33 | 0 | 53 | 3 |
出場
| No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1. | 1982年07月15日 | ●0-4 | 森孝慈 | 国際親善試合 | |||
| 2. | 1982年07月18日 | ●1-3 | 国際親善試合 | ||||
| 3. | 1982年11月21日 | ○1-0 | アジア大会 | ||||
| 4. | 1982年11月23日 | ○3-1 | アジア大会 | ||||
| 5. | 1982年11月25日 | ○2-1 | アジア大会 | ||||
| 6. | 1982年11月28日 | ●0-1(延長) | アジア大会 | ||||
| 7. | 1983年02月12日 | △2-2 | 国際親善試合 | ||||
| 8. | 1983年02月25日 | ●0-1 | 国際親善試合 | ||||
| 9. | 1983年03月06日 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | △1-1 | 日韓定期戦 | |||
| 10. | 1983年06月07日 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ○1-0 | ジャパンカップ | |||
| 11. | 1983年09月04日 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ○7-0 | オリンピック予選 | |||
| 12. | 1983年09月07日 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ○10-1 | オリンピック予選 | |||
| 13. | 1983年09月15日 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ○2-0 | オリンピック予選 | |||
| 14. | 1983年10月07日 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ●0-1 | オリンピック予選 | |||
| 15. | 1984年03月06日 | ○7-1 | 国際親善試合 | ||||
| 16. | 1984年04月15日 | ●2-5 | オリンピック予選 | ||||
| 17. | 1984年04月18日 | ●1-2 | オリンピック予選 | ||||
| 18. | 1984年04月21日 | ●1-2 | オリンピック予選 | ||||
| 19. | 1984年04月26日 | ●1-2 | オリンピック予選 | ||||
| 20. | 1984年05月31日 | さいたま市大宮公園サッカー場 | ○1-0 | ジャパンカップ |
得点数
| # | 年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 1983年3月6日 | △ 1-1 | 日韓定期戦 | ||
| 2 | 1983年9月4日 | ○ 7-0 | ロサンゼルス五輪予選 | ||
| 3 | ○ 7-0 |