浅見俊雄
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埼玉県浦和市(現さいたま市)出身。東京大学教育学部体育学科卒業。選手時代のポジションはハーフバック[1]。埼玉県立浦和高等学校2年次の1950年に国民体育大会準優勝、3年次の1951年に高校選手権、国体、関東大会の三冠に貢献した[2]。また同年には公式戦28試合、練習試合24試合の合計52試合無敗の記録を残した[3]。その後、東京大学に進学し運動会ア式蹴球部に所属。1952年度(1953年1月)第1回大学選手権にて優勝。4年次には主将を務めた。
23歳で審判資格を取得し審判員の道へ進む。東京大学教養学部教授を務める傍ら、日本サッカー協会1級審判員、FIFA国際審判員として数多くの試合の主審を務めた。また1964年東京オリンピックではグループリーグのイランvsメキシコ戦で副審を務めている[4][5]。
1994年に東京大学を定年退官後はJリーグ審判委員長、Jリーグ常勤理事、日本体育大学教授、国立スポーツ科学センター初代センター長(2001年から2004年)、文部科学省中央教育審議会委員(第1期、第2期)を歴任した。
2004年、秩父宮記念スポーツ医・科学賞受賞。
2008年には、国立霞ヶ丘競技場陸上競技場の将来を検討する文部科学省の「調査研究協力者会議」で代表を務めた[6]。
2010年8月17日、日本サッカー殿堂入りが発表された[7][8]。
選手歴
指導歴
- 埼玉県立浦和高等学校 コーチ
- 1964年 日本ユース代表 監督
- 1967年-1975年 東京大学 監督