平繁龍一

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愛称 リュウ
カタカナ ヒラシゲ リュウイチ
ラテン文字 HIRASHIGE Ryuichi
国籍 日本の旗 日本
平繁 龍一
名前
愛称 リュウ
カタカナ ヒラシゲ リュウイチ
ラテン文字 HIRASHIGE Ryuichi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1988-06-15) 1988年6月15日(37歳)
出身地 広島県東広島市
(旧賀茂郡黒瀬町
身長 175cm
体重 75kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
ユース
1997-???? 日本の旗 サンフレッチェ府中サッカースクール
日本の旗 サンフレッチェ広島ジュニアII
日本の旗 サンフレッチェ広島ジュニア
????-2003 日本の旗 サンフレッチェ広島ジュニアユース
黒瀬中学校
2003-2006 日本の旗 サンフレッチェ広島ユース
吉田中学校/吉田高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2007-2012 日本の旗 サンフレッチェ広島 49 (7)
2010 日本の旗 徳島ヴォルティス (loan) 26 (4)
2011 日本の旗 東京ヴェルディ (loan) 12 (4)
2013-2014 日本の旗 ザスパクサツ群馬 61 (20)
2015-2017 日本の旗 ロアッソ熊本 61 (8)
2017 日本の旗 カターレ富山 (loan) 13 (0)
2018 日本の旗 ザスパクサツ群馬 4 (0)
通算 226 (43)
代表歴
2007  日本U-20 1 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

平繁 龍一(ひらしげ りゅういち、1988年6月15日 - )は、広島県東広島市(旧賀茂郡黒瀬町)出身[1]の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW広島県立吉田高等学校卒業

サンフレッチェ広島初のジュニアから昇格したJリーガーである[1]

小学校3年生からサンフレッチェ府中サッカースクールに加入[1]横竹翔と共にFWとして活躍しすぐに才能を見出される。このころの同期に酒井貴政がいる。ジュニアIIからジュニアを経て、4年生の時にはすでにジュニアユースの練習に参加、2000年には全日本少年サッカー大会出場[2]全日本少年フットサル大会準優勝に貢献し大会優秀選手に選ばれる[3]2003年にはマンチェスター・ユナイテッド・プレミアカップ出場している[4]

2003年、中学3年次からユースの練習に参加[1]2004年、高校1年生でレギュラーをつかみ高円宮杯初制覇やクラブユース選手権制覇に貢献。2年生から10番を背負いエースとして活躍し、2006年Jユースカップ優勝[5] に貢献した。また、同年9月に2種登録選手となった[6] が出場は無い。

2007年、トップ昇格[7]。同期入団は、ユース時代の同級生である遊佐克美。すぐにミハイロ・ペトロヴィッチに主力として評価され、同年3月3日リーグ第1節で初ベンチ入りし途中出場、デビューを飾る。同年のナビスコカップで初得点しチーム初のGL突破に貢献[8]、同年末のJ1・J2入れ替え戦第1戦で得点を上げた[9]。また、同年にはFIFA U-20ワールドカップにMFとして1試合出場している。2008年は、佐藤寿人と2トップを組みレギュラーとしてシーズンを迎える[10]。リーグ戦第1節でリーグ戦初得点を挙げるものの、チームが佐藤の1トップに布陣を変えたことによりポジションを失い[11]、さらに7月椎間板ヘルニアの手術を受けて長期離脱[12]。同年12月の天皇杯で復帰したが、2009年怪我の影響もあり不調に陥り[11]、チームが李忠成を補強したことにより出場機会が減っていった。

2010年、出場機会を求めて美濃部直彦率いる徳島ヴォルティスへレンタル移籍する[7]。開幕当初は津田知宏とともに2トップのレギュラーの座にいた[13] が、佐藤晃大の成長[14] によりレギュラーを奪われ出場機会が減っていった。

2011年川勝良一率いる東京ヴェルディに引き続きレンタル移籍する[7]。当時東京Vは経営面に問題を抱えており、満足な補強ができない状況でのオファーだった。ここでも序盤は主力として活躍し、第12節対ギラヴァンツ北九州戦においてプロ入り後初のハットトリックを達成した[15]。その後、怪我[16]阿部拓馬の成長[17] や、マラニョン巻誠一郎などの前に出場機会が減っていった。

2012年、サンフレッチェ広島に復帰した[7]。序盤は主力としてベンチ入りしていたものの、中盤以降は森崎浩司石原直樹が切り札として重用され、何より佐藤寿人からレギュラーの座を奪うことが出来なかった[18]

2013年、ザスパクサツ群馬に完全移籍[19]。移籍1年目ながらキャプテンを任され、翌年も同様にキャプテンを務めた。

2015年、ロアッソ熊本に完全移籍した[20]。同シーズンは負傷で開幕に間に合わず、守備的なタスクを多く要求されることから満足な活躍ができず出番を失った。シーズン後半にチームにフィットし主力の座を奪い返したが、わずか1得点でシーズンを終えた。2016年シーズンはFWの主力に定着し8得点をあげた。

2017年7月カターレ富山へ期限付き移籍[21]

2018年ザスパクサツ群馬へ4年ぶりに復帰した[22][23]。シーズン終了後、契約満了により退団[24]

2019年2月、現役引退とサンフレッチェ広島のアカデミー普及部コーチ就任が発表された[25]


人物

所属クラブ

ユース経歴
  • サンフレッチェ府中サッカースクール
  • サンフレッチェ広島ジュニアII
  • サンフレッチェ広島ジュニア
  • - 2003年 サンフレッチェ広島ジュニアユース (東広島市立黒瀬中学校)
  • 2003年 - 2006年 サンフレッチェ広島ユース(吉田中/吉田高
プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2007広島18J12006241303
2008J2175-10185
2009J1904111142
2010徳島19J2264-10274
2011東京V9124-00124
2012広島18J132200052
2013群馬10J24113-004113
2014207-10217
2015熊本11231-20251
2016316-22338
20171071-0071
富山45J3130--130
2018群馬1040-0040
通算日本J1 32212352497
日本J2 17741-7218443
日本J3 170-00170
総通算 2264312312425050

その他の公式戦

国際大会個人成績 FIFA
年度クラブ背番号出場得点出場得点
AFCACLクラブW杯
2012広島18-00
通算AFC 0000

出場歴・タイトル

クラブチーム

アンダーカテゴリー

トップチーム

代表

アンダーカテゴリー

脚注

関連項目

外部リンク

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