安田理大

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愛称 ミチ
カタカナ ヤスダ ミチヒロ
ラテン文字 YASUDA Michihiro
国籍 日本の旗 日本
安田 理大
サッカー日本代表での安田理大(2008年)
名前
愛称 ミチ
カタカナ ヤスダ ミチヒロ
ラテン文字 YASUDA Michihiro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1987-12-20) 1987年12月20日(38歳)
出身地 大阪府吹田市
身長 173cm
体重 75kg
選手情報
ポジション DF(CB、SB)
MF(SH)
利き足 右足
ユース
1997-1999 日本の旗 ガンバ大阪ジュニア
2000-2002 日本の旗 ガンバ大阪ジュニアユース
2003-2005 日本の旗 ガンバ大阪ユース(大阪府立吹田東高等学校[1]
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2006-2010 日本の旗 ガンバ大阪 111 (1)
2011-2013 オランダの旗 SBVフィテッセ 45 (0)
2013 日本の旗 ジュビロ磐田 7 (0)
2014 日本の旗 サガン鳥栖 33 (1)
2015 日本の旗 ヴィッセル神戸 12 (0)
2016 日本の旗 名古屋グランパス 22 (0)
2017 大韓民国の旗 釜山アイパーク 21 (1)
2018 日本の旗 アルビレックス新潟 30 (6)
2019-2021 日本の旗 ジェフユナイテッド千葉 70 (1)
2022 日本の旗 松本山雅FC 5 (0)
通算 356 (9)
代表歴
2005-2007  日本 U-20 6 (3)
2008  日本 U-23 3 (0)
2008-2011 日本の旗 日本 7 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

安田 理大(やすだ みちひろ、1987年12月20日 - )は、大阪府吹田市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(サイドバック、センターバック)、ミッドフィールダー(サイドハーフ)。元日本代表

Kリーグ時代の登録名は安田ハングル: 야스다)[2]

元プロサッカー選手の安田晃大は実弟。

プロ入り前

幼少期に兵庫県神戸市北区に在住していたが[3]、5歳の時に大阪府吹田市に転居した。当時住んでいたマンションは万博記念競技場のすぐ近くにあり、ホームゲームには家族揃って毎試合のように通う熱心なガンバ大阪サポーターとなる[4]。小学4年生のときに兄弟とともにガンバ大阪のジュニアチームに入団し、その後ジュニアユース、ユースへと昇格する。ユース時は中盤がほぼフラットの4-4-2で左サイドハーフを務め、試合展開によってはフォワードに近い位置で起用されたこともある。年代別代表にも名を連ね、AFCユース選手権予選のU-18北朝鮮戦では、途中出場ながら決勝点を挙げて本大会出場を決めた。このチームでは左サイドバックでの起用が多かった。この頃から既にオランダサッカー贔屓で、海外でプレーするならエールディヴィジで、と決めていた。

ガンバ大阪時代

2006年にガンバ大阪ユースからトップチームに昇格。清水エスパルスからの獲得オファーもあったがトップチーム昇格内定選手が他チームへ移籍するという前例が当時なかった為、消滅した。この年に同時に昇格した6人組(安田、平井将生横谷繁植田龍仁朗伊藤博幹岡本英也)にはクラブによって「G6」という愛称がつけられていた[5][6]。2006年4月1日の清水エスパルス戦で公式戦デビューを飾るが、この年の出場は2試合にとどまった。

プロ入り当初は中盤でプレーしていたが、2年目の2007年に世代別代表で経験のあった左サイドバックとして当時監督の西野朗から抜擢され、ゼロックススーパーカップ浦和レッズ戦で初スタメンを飾り、G大阪の初優勝に貢献した。 その後のJリーグ開幕戦でもスタメンで出場し、左サイドバックのレギュラーに定着。同年のナビスコカップでは「ニューヒーロー賞」を受賞。決勝の川崎フロンターレ戦では決勝点となるプロ初得点を挙げ、大会MVPを受賞し、田中達也に次ぐ2人目となるニューヒーロー賞とナビスコカップMVPのダブル受賞を達成した[7]

2007年6月にはU-20日本代表に選出されFIFA U-20ワールドカップに出場。同年12月には岡田武史監督就任後初めてのA代表合宿に招集された。翌2008年2月の東アジア選手権メンバーに追加招集され、2月17日北朝鮮戦で途中出場して国際Aマッチ初出場を記録した。同年8月にはU-23日本代表に選出され北京オリンピックに出場した。2009年2月4日キリンチャレンジカップフィンランド戦で代表初得点を記録。

2009年より登録をMFからDFに変更。シーズン序盤は、加地亮の怪我もあり本来の左SBではなく右SBでの起用が多かった。しかし、自身が右SB出場中に左SBに定着していた後輩の下平匠にそのままレギュラーポジションを奪われる格好となり、加地の復帰以降は出場機会・時間ともに減ってしまった。しかし、翌2010年には再び左SBのレギュラーに返り咲き、9月18日セレッソ大阪との大阪ダービーで決勝点となる自身のリーグ戦初得点を記録した。

フィテッセ時代

2010年シーズンオフにオランダ1部エールディヴィジフィテッセからオファーを受け2011年1月8日に念願であった海外移籍を果たした[8][9]。ウインターブレイク明けの初戦である1月22日ヴィレムII戦でフル出場デビューを飾り、次節のホームローダJC戦で移籍後初アシストを記録。3月12日SCヘーレンフェーン戦では右SBとしてフル出場し先制点をアシストする活躍で、『マン・オブ・ザ・マッチ』に選ばれた。その後もアシストを記録し続けたことで、3月29日にフィテッセと2013年まで契約を延長したことが発表された[10]。6月、オランダでの活躍が評価され、2年4カ月ぶりに日本代表復帰を果たした。

2011-12シーズンもレギュラーとして起用されるも、翌2012-13シーズンは出場機会に恵まれずリーグ戦の出場はわずか7試合にとどまった。シーズン終了後、フィテッセからの退団が決定した。2013年6月16日、国立競技場で開催された東日本大震災復興支援 2013Jリーグスペシャルマッチにゲストプレイヤーとして出場した。

Jリーグ復帰(第1期)

2013年9月6日、J2降格圏からの脱出を狙うジュビロ磐田へ移籍[11]。Jリーグには約3年ぶりの復帰となった。加入後すぐ出場機会を得るもチームはJ2降格となってしまった。

2014シーズンにはサガン鳥栖へ完全移籍[12]。2014年4月3日、日本代表候補国内合宿のメンバーに選ばれた。この年、鳥栖の上位進出に貢献しJリーグ優秀選手賞を受賞したが、1年での退団となった。

2015シーズンにはヴィッセル神戸へ完全移籍するも、故障が多く、12試合の出場にとどまった。自身は後に神戸から戦力外通告を受けていたと語っている[13]

2016シーズン、名古屋グランパスへ完全移籍[14]。リーグ戦22試合に出場するも、チームは降格。シーズン終了後に契約満了によりチームを退団[15]

釜山アイパーク時代

2017年2月7日、韓国のKリーグチャレンジ (2部)釜山アイパークと契約。

Jリーグ復帰(第2期)

2018年、アルビレックス新潟へ完全移籍で加入した[16]。加入後はサイドバックながらPKのキッカーを任され、リーグ戦で自身最多となる6ゴールを挙げた。シーズン終了後に契約満了により退団した[17]

新潟退団後からしばらく無所属の状態が続いていたが、練習参加を経て2019年4月30日、ジェフユナイテッド千葉に加入した[18]。2021年シーズン終了後、千葉との契約を満了し退団することが発表された[19]。その後、Jリーグ合同トライアウトに参加[20]

2022年1月26日、松本山雅FCへの加入が発表された[21]。同年11月22日、松本山雅FCは契約満了と来季の契約を結ばないことを発表した[22]。その後2023年1月4日に、現役を引退することが発表された[23]

人物・エピソード

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2006G大阪33J120000020
2007132909130411
20082603040330
20092202040280
20103212050391
オランダ リーグ戦 リーグ杯KNVBカップ 期間通算
2010-11フィテッセ16エールディヴィジ150--150
2011-12230-40270
2012-1370-2090
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2013磐田37J170-0070
2014鳥栖133313130392
2015神戸311206020200
2016名古屋332204010270
韓国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2017釜山44Kチャレンジ211-40251
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2018新潟3J23060010316
2019千葉3340-1050
2020311--311
2021350-10360
2022松本11J350-1060
通算日本J1 18522922202364
日本J2 100700301037
日本J3 50-1060
オランダエールディヴィジ 450-60510
韓国Kチャレンジ 211-40251
総通算 3561029236042112

その他の公式戦

国際大会個人成績 FIFA
年度クラブ背番号出場得点出場得点
AFCACLクラブW杯
2006G大阪3300-
2008139230
200971-
201071-
通算AFC 23430

その他の国際公式戦

タイトル

クラブ

ガンバ大阪

松本山雅FC

代表

日本代表

個人

  • ナビスコカップ ニューヒーロー賞(2007年)
  • ナビスコカップ 最優秀選手賞:1回(2007年)
  • Jリーグ優秀選手賞:1回(2014年)

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 7試合 1得点 (2008年 - 2011年)
日本代表国際Aマッチ
出場得点
200850
200911
201000
201110
通算 71

出場

No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦国 結果 監督 大会
1. 2008年2月17日中華人民共和国の旗重慶重慶市奥林匹克体育中心朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮△1-1岡田武史東アジアサッカー選手権2008
2. 2008年2月20日中華人民共和国の旗 中国○1-0
3. 2008年2月23日大韓民国の旗 韓国△1-1
4. 2008年3月26日バーレーンの旗リーファバーレーン・ナショナル・スタジアムバーレーンの旗 バーレーン●0-12010 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
5. 2008年6月22日日本の旗さいたま埼玉スタジアム2002○1-0
6. 2009年2月4日日本の旗東京国立霞ヶ丘競技場フィンランドの旗 フィンランド○5-1キリンチャレンジカップ2009
7. 2011年6月1日日本の旗新潟東北電力ビッグスワンスタジアムペルーの旗 ペルー△0-0アルベルト・ザッケローニキリンカップサッカー2011

ゴール

#開催年月日開催地 スタジアム対戦国勝敗試合概要
1.2009年2月4日日本の旗東京 国立霞ヶ丘競技場フィンランドの旗 フィンランド○5-1キリンチャレンジカップ2009

CM出演

参考文献

関連項目

外部リンク

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