幼子のように

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キリストと子供たち(カール・ハインリッヒ・ブロッホ

幼子のように(おさなごのように、古希: ὡς παιδίον)または乳飲み子のように(ちのみごのように、古希: ὡς νήπιος)は、イエスが教えの中で用いた表現である。同様の表現が、新約聖書福音書のいくつかの箇所に見られる。

天の国で最も偉い者

一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」
マルコによる福音書9章33–37節(新共同訳)

主な並行箇所:マタイ18:1–5マルコ9:33–37ルカ9:46–48

子供たちを祝福する

イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。
マルコによる福音書10章13–16節(新共同訳)

主な並行箇所:マタイ19:13–15マルコ10:13–16ルカ18:15–17

喜びにあふれる

そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。…
ルカによる福音書10章21節(新共同訳)

主な並行箇所:マタイ11:25–26ルカ10:21

解説

純真さ、嘘偽りのなさ、素直な心、邪心のなさ、計算のなさ、親(神)への信頼、未熟さの肯定、飾り立てのなさ、慢心のなさ、謙虚さについての教えである。福音書では、「幼子のように」神の国を受け入れる者が最も偉大であり、天の国(神の国)に入るとされる。

天の国で最も偉い者

主な並行箇所:マタイ18:1–5マルコ9:33–37ルカ9:46–48

謙虚さと地位に関する「低くなること」の教えである。

子供たちを祝福する

主な並行箇所:マタイ19:13–15マルコ10:13–16ルカ18:15–17

神の国を受け入れる際の「素直な心」に関する教えである。

喜びにあふれる

主な並行箇所:マタイ11:25–26ルカ10:21

「真理」が人々に明らかになる様を見て、イエスが感興によって語った言葉である。

正教会の解説

正教会のアヴェルキー大主教(en)は、次のように解説している。

イエスは子供を呼び寄せ、弟子たちの間に立たせ、子供を指さしてこう言われた。「あなたがたは向きを変えてこの子供のようにならなければ、天の御国に入ることはできない。」つまり、キリストの王国についての誤った考えや、天の国で一番になろうという空しい希望を捨てなければ、そこに入ることはできないということである。子供は心が純粋で、出世や獲得といった先入観を持たず、臆病で謙遜であり、まだ嫉妬や虚栄心、一番になりたいという欲望を持っていない。天の国に入りたいと願う者は、こうした性質を模範とすべきである。「それゆえ、この子供のように自分を低くする者こそ、天の国で最も偉い者である」。自分を低くし、天の国にふさわしくないことを認め、自分を他人より劣っていると考える者だけが、真に偉大であると言えるのである。それゆえ、自らの思い描く偉大さを捨て、野心と傲慢から謙遜と柔和へと転じ、この幼子のように小さくなる者こそ、天の国において最も大きな意味を持つ者となるであろう。 同時に、「わたしの名によってこのような子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのです」と教えられた。つまり、キリストの名によって、すなわち、「弱く謙遜なすべての人を愛せ」というキリストの戒めを全うして、そのような幼い子供たち、あるいは一般的に子供のような柔和で謙遜な人々を愛をもって扱う者は、キリストに対してそうするのと同じようにするのです。
新約聖書(四福音書)の研究ガイド[1]

その他の聖書箇所

以下は、イエスが神殿から商人を追い出す「宮清め」の場面の直後のやり取りである。

境内では目の見えない人や足の不自由な人たちがそばに寄って来たので、イエスはこれらの人々をいやされた。他方、祭司長たちや、律法学者たちは、イエスがなさった不思議な業を見、境内で子供たちまで叫んで、「ダビデの子にホサナ」と言うのを聞いて腹を立て、イエスに言った。「子供たちが何と言っているか、聞こえるか。」イエスは言われた。「聞こえる。あなたたちこそ、『幼子や乳飲み子の口に、あなたは賛美を歌わせた』という言葉をまだ読んだことがないのか。」
マタイによる福音書21:14–16(強調は引用者による)

旧約聖書

  • 「幼子、乳飲み子の口によって、あなたは刃向かう者に向って砦を築き、報復する敵を絶ち滅ぼされる」(詩篇8:2)
  • 「いかに安らかに、私の魂を沈めたことか。母の胸にいる幼子のように。私の魂は幼子のように、私のうちにある」(詩篇131:2)
  • 「狼は子羊と共に宿り、…小さい子供がそれらを導く。…乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ、幼子は蝮の巣を手に入れる」(イザヤ書11:6–8)

使徒書簡

アッバ父よ

外典

脚注

関連項目

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