まことのぶどうの木
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わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。—ヨハネによる福音書 15:1-5(新共同訳)
旧約聖書
旧約聖書には、イスラエルの民をぶどうの木にたとえる箇所が多くある[1]。(以下引用は口語訳を基調とする)
…万軍の神よ、再び天から目を注ぎ、このぶどうの木を顧みてください。あなたの右の手の植えられた幹と、御自分のために強くされた枝とを。…
(詩篇80:8–16)私は歌おう、私の愛する者のために、そのぶどう畑の愛の歌を。わたしの愛する者は、肥沃な丘に、ぶどう畑を持っていた。よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。その真中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り、良いぶどうが実るのを待った。しかし、実ったのは酸いぶどうであった。さあ、エルサレムに住む者とユダの人々よ、私と私のぶどう畑の間を裁いてみよ。私がぶどう畑のためになすべきことで、何か、しなかったことがまだあるか。わたしは良いぶどうが実るのを待ったのに、なぜ、酸いぶどうが実ったのか。…
(イザヤ書5:1–7)わたしはあなたを、甘いぶどうを実らせる、確かな種として植えたのに、どうして、わたしに背いて、悪い野ぶどうに変わり果てたのか。
(エレミヤ書2:21)…人の子よ、ぶどうの木は森の木々の中で、枝のあるどの木よりもすぐれているであろうか。…完全なときでさえ何も作れないのに、まして火に焼かれて焦げてしまったら、もはや何の役にも立たないではないか。それゆえ、主なる神はこう言われる。わたしが薪として火に投げ込んだ、森の木の中のぶどうの木のように、わたしはエルサレムの住民を火に投げ入れる。…
(エゼキエル書15:1–8)- (同17:5–10、19:10–14)
- (ホセア書10:1)
キリスト教徒は、これらの「ぶどうの木」を、創世記に出てくるエデンの園中央の命の木、あるいはエッサイの木と結び付けている。
エッサイの株からひとつの芽が萌え出で、その根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる。知恵と悟りの霊、深慮と力の霊、主を知り畏れ敬う霊が。—イザヤ書11章1節
