3代伊之助の弟子で、初代式守勘太夫を名乗った。文政6年(1823年)2月に初めて番付に載った。ちなみに式守勘太夫の名跡は、現代では幕内格以上の行司が襲名するイメージが強いが、この初代式守勘太夫は番付掲載行司最下位の小さな文字として初めて番付に載った時から式守勘太夫を名乗っていた。天保6年(1835年)1月に次席に繰り上がった。天保10年(1839年)3月に5代伊之助を襲名した。伊之助在位は12年。23場所で嘉永3年(1850年)に現役のまま没した。墓所は東京都江東区の万徳院。年寄伊勢ヶ濱を兼任していた。