文政10年(1827年)に9代目木村庄之助が幕府へ提出した先祖書によると、初代木村庄之助は以下のように記述されている。
「先祖は真田伊豆守の家来中立羽左衛門と申し、年月不明。御暇を願ひ浪人致し、寛永年間中、本院宮地造営の為、御屋敷様方より力士を相頼み、勧進寄相撲と申始め、右奉加を以て堂宮造営致候儀に有之……」
しかしながら、現在ではその実在を証明できない。木村家が文政(1818年 - 1830年)のころに系譜を編纂し、実質的な初代である4代庄之助に3人の先祖を加上した際に加えられた、架空の人物とみなされている[1]。
一方、宮城県白石市が発行する広報しろいしでは、以下のように記述されている[2]。
▶初代木村庄之助(1659-1739) 行司の最高位である立行司木村庄之助の初代は白石出身、延命寺に眠る。