7代目の庄之助の弟子。初名は木村七次郎、のち4代木村庄太郎を継いだ。寛政12年(1800年)4月に先代の引退によって8代目を襲名。以来、25年、49場所の長期間、庄之助をつとめた。文政7年(1824年)正月限りで隠居、木村喜左衛門となる。しかし、天保6年(1835年)に起こった庄之助名義争いで再び土俵に上がって庄之助を名乗り、翌年から木村松翁と改めた。
文政元年11月、鼓ヶ瀧調右衛門の年寄・小野川襲名に際し処置を誤ったとして吉田司家の逆鱗に触れ、行司免許剥奪が取りざたされたが、吉田司家は庄之助の権威を重んじてけん責のみにとどめている[注釈 1]。
11代庄之助は実子。