意味 (哲学)

言語哲学や形而上学における概念 From Wikipedia, the free encyclopedia

哲学における意味(いみ、: meaning)。「意味」は曖昧な言葉であり[1]、「言葉の意味」だけでなく「人生の意味」も哲学の題材になるが[2]、この記事では言葉の意味を扱う。

「言葉の意味とは何か?」という問題は西洋哲学ではギリシア哲学から問題になっているが[3]、特に現代分析哲学[1]現象学[4]において中心的な問題となっている。

意味の哲学を意味論[5]または意味の理論[5]哲学的意味論[6]という。哲学的意味論は言語哲学だけでなく存在論認識論[3]論理学意味論[6]言語学意味論[6]認知科学の諸領域とも関わる[7]

意味の指示説

「言葉の意味とは何か?」という問いに対し、単純ながらも説得力のある答えは「言葉は世界にあるものを指し示す」という答えである[8][9]。つまり例えば「富士山」という言葉は富士山というものを指し示している[10]。これを「意味の指示説[8]」(指示対象説とも[11][9])という。

意味の指示説は「富士山」「東京タワー」のような固有名の説明に適しており[11][9]、「猫」のような一般名の説明にもある程度適しているが[12]、名詞以外の品詞や[13]、「ペガサス」のような架空のもの[14]、「白」「三角形」のような性質抽象的対象には適していない。性質や抽象的対象に指示説を適用すると、概念実在論(普遍者実在論、プラトンイデア論)に近づく[15]

また固有名に関してもフレーゲのパズル英語版意義と指示対象の区別[16])などが問題になる。一般名に関してもタイプとトークンの区別(個別性と一般性のギャップ[17])などが問題になる。

意味のイメージ説

「意味の指示説」に対し、「言葉はの中にあるイメージを表す」とする「意味のイメージ説[18]」(心像説観念説とも[18])がある。つまり「富士山」という言葉は「心の中にある富士山のイメージ」を表している。

ジョン・ロック[19][20]オグデンリチャーズ意味の意味[21]はイメージ説に属するとされる。しかし「心の中にあるイメージ」とは何なのかが曖昧であることなどから、完璧な説ではない[22][23]。そのため、イメージ説は分析哲学や現象学において基本的に批判対象となっている(心理主義批判[24]反心理主義)。

意味の使用説

ウィトゲンシュタインは当初は「意味の指示説」に近い立場をとっていたが[25]言語の写像理論)、後期ウィトゲンシュタインは「意味の使用説[26]」(用法説とも[25])の立場をとったとされる。すなわち言葉の意味は何らかの対象物として存在するのではない[27]。「言葉の意味」とは「言葉の用法」である[28](語の意味とはその使用である)[27]。言葉とは、各言語の慣習的規則のなかで使われる道具、いわばボードゲームの駒のようなものである[29]言語ゲーム)とした。

ダメット[30]ブランダム[31]も使用説に属するとされる。

その他

グライスは「話し手の意味」[32]意図基盤意味論)、デイヴィドソンは「真理条件[33]真理条件的意味論)、パトナム意味論的外在主義を論じた。

以上とは別に、発話行為の意味[34][35]隠喩の意味[36]なども哲学の問題になる。

脚注

参考文献

外部リンク

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