掃守駅

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所在地 兵庫県三原郡三原町榎列掃守
北緯34度19分21.9秒 東経134度46分23.7秒 / 北緯34.322750度 東経134.773250度 / 34.322750; 134.773250座標: 北緯34度19分21.9秒 東経134度46分23.7秒 / 北緯34.322750度 東経134.773250度 / 34.322750; 134.773250
所属路線 鉄道線
キロ程 13.0 km(洲本起点)
掃守駅
かもり
KAMORI
淡路長田 (2.6 km)
(1.3 km) 自凝島
所在地 兵庫県三原郡三原町榎列掃守
北緯34度19分21.9秒 東経134度46分23.7秒 / 北緯34.322750度 東経134.773250度 / 34.322750; 134.773250座標: 北緯34度19分21.9秒 東経134度46分23.7秒 / 北緯34.322750度 東経134.773250度 / 34.322750; 134.773250
所属事業者 淡路交通
所属路線 鉄道線
キロ程 13.0 km(洲本起点)
電報略号 カモ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
開業年月日 1922年大正11年)11月26日
廃止年月日 1966年昭和41年)10月1日
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掃守駅(かもりえき)は、かつて兵庫県三原郡三原町(現・南あわじ市)榎列掃守に存在した、淡路交通鉄道線廃駅)である。

  • 1922年大正11年)11月26日:淡路鉄道の開通に伴い開業[1]。当初のホームは曲線区間に設けられた1面のみであった[2]
  • 1923年(大正12年)11月20日:信号機が二本松駅(後の淡路二本松駅)より移設され、交換可能駅となる[2]。実際に列車交換が行われるようになるのは、2日後の11月22日からであった[2]
  • 1927年昭和2年)
  • 1929年(昭和4年)3月16日場内信号機が長田駅より移設される[2]
  • 1932年(昭和7年)9月30日転轍器転換装置を梃子集中装置へ変更[2]
  • 1934年(昭和9年)
    • 3月31日:貨物取扱量の増加に伴い、貨物ホームに建屋を増設[2]
    • 9月21日:貨物ホームの建屋が暴風により倒壊[2]。下り線乗降場に旅客待合所と物置を新設し、代用とする[2]
  • 1935年(昭和10年)9月30日:待合室兼物置を増設[2]
  • 1936年(昭和11年)11月20日:給水槽・自動車車庫・下り常置信号機の位置を変更[2]
  • 1937年(昭和12年)11月19日:この日付で倒壊していた貨物ホーム建屋を撤去[2]
  • 1939年(昭和14年)3月31日:建物増設[2]
  • 1941年(昭和16年)9月30日:貯炭場・灰坑を設置、貨物ホームに建屋を再設置[2]
  • 1942年(昭和17年)8月15日:直線上に旅客ホームと上り貨物ホームを新設し、旧下り旅客ホームを貨物積卸とする[2]
  • 1943年(昭和18年)7月:社名改称に伴い淡路交通鉄道線の駅となる。
  • 1954年(昭和29年)5月:発条転轍器を設置[2]
  • 1966年(昭和41年)10月1日:鉄道線の廃線に伴い廃止[3]

駅構造

相対式ホーム2面2線の線路の間に島式ホームが挟まれた、計3面2線の地上駅。島式ホームが旅客ホーム、相対式ホームが貨物ホームとして利用されていた。このほか貨物側線を有した[2]。上り方面ホーム側に駅舎が設けられ、島式ホームとは構内踏切で連絡していた。

最晩年は朝夕に行き違いが行われており、乗車券類の販売は近隣の商店に受託されていた[4]

駅周辺

駅跡

線路跡は県道となっているが、駅跡の北側で西へカーブしている。駅跡は空き地となっており、かつては「この土地についてご用の方は下記へご連絡ください」と、淡路交通総務部への連絡先が書かれた看板が立てられていた[4]

隣の駅

淡路交通
鉄道線
淡路長田駅 - 掃守駅 - 自凝島駅

脚注

参考文献

関連項目

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