日置町 (愛西市)
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学区
歴史

「日置」の元々の読みは「ひき」であり[WEB 6]、「へき」と読むようになるのは2000年代になってからである[WEB 7]。
平安時代の938年頃に成立した『和名類聚抄』には、海部郡の郷として「日置郷」が掲載されている[WEB 8][WEB 9]。平安時代後期に海部郡が海東郡と海西郡に分割されると、二之枝川が郡境として設定されたため日置は海西郡となる[WEB 10]。この頃の日置に関して、藤原頼長による『台記』には1150年(久安6年)7月8日に頼長が日置荘を父・忠実から譲り受けたことが記されており、また別の史料では時期は不明ながらも一時期皇太后領であった記録も残されている[WEB 11]。
鎌倉時代の『吾妻鏡』には、1187年(文治3年)10月26日に源頼朝が若宮八幡宮社に寄進した所領に「尾張国日置領」が含まれている[WEB 11]。南北朝時代以降は三宝院領・代官領・春日社領などと変遷するが、1468年(応仁2年)10月4日の記録では若宮八幡宮社の荘の1つとして記されている[WEB 11]。
江戸時代になると海東郡と海西郡と郡境が佐屋川に変更されたため[WEB 10]、日置村は海東郡に移る。佐屋代官所の支配で、佐屋宿の寄付人馬役(助郷)を務めた[WEB 12]。
沿革
世帯数と人口
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
| 1961年(昭和36年) | 1133人[2] | ||
| 1975年(昭和50年) | 2112人[2] | ||
| 1995年(平成7年) | 2157人[WEB 13] | ||
| 2000年(平成12年) | 2011人[WEB 14] | ||
| 2005年(平成17年) | 2051人[WEB 15] | ||
| 2010年(平成22年) | 2131人[WEB 16] | ||
| 2015年(平成27年) | 2198人[WEB 17] |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
| 1961年(昭和36年) | 242世帯[2] | ||
| 1975年(昭和50年) | 549世帯[2] | ||
| 1995年(平成7年) | 632世帯[WEB 13] | ||
| 2000年(平成12年) | 622世帯[WEB 14] | ||
| 2005年(平成17年) | 646世帯[WEB 15] | ||
| 2010年(平成22年) | 747世帯[WEB 16] | ||
| 2015年(平成27年) | 794世帯[WEB 17] |
交通
施設
その他
日本郵便
- 郵便番号:496-0906[WEB 7]