大野山町
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字一覧
旧佐織町域北西部に位置する。集落は町域東端に偏り、旧日光川の右岸自然堤防上に形成されており、それ以外は水田が広がる。その境を名鉄尾西線が通過する形になっている。弥生時代から奈良時代の遺物が出土している[1]。東は稲沢市平和町、西は西川端町、南は草平町・稲沢市平和町、北は渕高町に接する。
(配列は五十音順・読みはYahoo!地図による[WEB 4])
- 尾中瀬(おなかせ)
- 御納戸(おなんど)
- 海東(かいとう)
- 狐穴(きつねあな)
- 郷西(ごうにし)
- 郷東(ごうひがし)
- 新阿原(しんあわら)
- 新九郎新田(しんくろうしんでん)
- 坪田(つぼた)
- 中之割(なかのわり)
- 西之割(にしのわり)
- 八兵衛山(はちべえやま)
- 弁才天(べんざいてん)
- 三日月(みかづき)
- 海用(みよう)
- 元余代(もとよしろ)
- 山中(やまなか)
- 余代(よしろ)
歴史
町名の由来
大野山の「山」は真菰山・葭山であり、ヨシなどの植物が生い茂っていたことに由来するという[1]。
沿革
- 1605年(慶長10年)4月 - 尾張国萱津より移住した石田市右衛門康岡[2]により開墾。1666年(寛文6年)の津島五ケ所新田年貢免状(『佐織町史資料編2』「祖父江家文書」による)に大野山新田村の名がみえる[1]。
- 1878年(明治11年) - 村の東に位置した新九郎新田村を吸収合併[1]。
- 1882年(明治15年) - 西川端学校分校として大野山学校が設置される[1]。
- 1889年(明治22年) - 川淵村大字大野山新田となる[1]。
- 1892年(明治25年) - 大野山学校が川淵尋常小学校に併合される[1]。
- 1906年(明治39年) - 佐織村大字大野山新田となる[1]。
- 1939年(昭和14年) - 佐織町大字大野山新田となる[1]。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 愛西市大野山町となる。
世帯数と人口
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[WEB 8]。
| 字 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|
| 御納戸、元余代、余代 | 愛西市立西川端小学校 | 愛西市立佐織西中学校 |
| 尾中瀬、河原縁、郷西 郷東、海東、狐穴 新阿原、新九郎新田、坪田 中之割、西之割、八兵衛山 弁才天、三日月、海用 山中 | 愛西市立草平小学校 |
交通
鉄道
- 町域を名鉄尾西線が南北に通過するが駅はない。
バス
停留所名 座標 ルート 92 愛西の里さおり 北緯35度12分28.5秒 東経136度43分23.3秒 佐織北 101 余代 北緯35度12分33.8秒 東経136度43分48.2秒 佐織北
道路
施設
- 愛西市障害者就労支援施設愛西の里さおり[北緯35度12分29.7秒 東経136度43分23.7秒]
宗教・信仰
- 須佐之男社[北緯35度12分19.4秒 東経136度43分42.1秒]
- 字狐穴3に鎮座。祭神は社名の通り須佐之男命。当地を開拓した石田市右衛門が1606年(慶長11年)、天王社を勧請したもの[2]。神職がなかったため海東郡津島村の山伏大蔵坊なる人物に依頼して神事を行っていたが、元禄年間の智昌院なる山伏が不正をしていた疑いにより追放されたため、以降津島村の服部左源太夫の弟治太夫別家が移住し祭祀を行ったという[2]。創建以来村の西方に所在したが、1757年(宝暦7年)の水害により現在地に遷ったという[1]。1872年(明治5年)村社に列せられる[2]。1879年(昭和12年)社殿を新築[2]。
- 鳳凰山一乗院