晩年様式集
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東日本大震災とそれに続く原発事故により精神的なダメージを受けた老作家、長江古義人は、書き進めてきた長編を仕上げる気力を失い、構想を放棄する。本を読む集中力も無くしてしまった古義人は、「徒然なるひまに、思い立つことを」地震で崩壊した書庫から拾い出してきた「丸善のダックノート」に書きつけ始めた。古義人はその書き物を、友人であった外国人批評家の遺作のタイトルをもじって「晩年様式集」と名づける。
古義人の妹・アサ、妻・千樫、娘・真木、彼女らは長年、古義人の作品に登場人物として取り上げられてきた。彼女たちは「三人の女たち」というグループを結成し、古義人の作品や古義人そのひとへの批評を文書でよこすようになった。古義人は自分の文章に彼女らの文書を挟み込み私家版の雑誌『「晩年様式集」+ α 』を作り始める。
古義人の過去作『懐かしい年への手紙』でその肖像が描かれた古義人の師匠であったギー兄さんの息子、アメリカ育ちのギー・ジュニアは大地震と原発事故という日本のカタストロフィーを取材すると同時に、晩年の仕事において、円熟を拒否し個人としてのカタストロフィーに向かう芸術家の研究として古義人へインタビューを開始する。
古義人の仕事は、まず、これらの近親者から厳しい吟味や批判を受けることになる。古義人には、核時代の危機に警鐘を鳴らしてきた自分の仕事は、現実に効力を及ぼさなかった、という苦い自己認識がある。それでも古義人は老骨に鞭をうって、「三・一一後」に新しく立ち上がった反原発の社会運動に旗頭として身を投じる。老いの衰えから、体調を崩しながらもデモ行進に参加する。
文芸誌『新潮』2007年1月号に掲載された『詩集『形見の歌』より二篇(初めての詩)』に収録された詩が引用されて終わる。「気がついててみると、/私はまさに老年の窮境にあり、/気難しく孤立している。/否定の感情こそが親しい。」「自分の想像力の仕事など、/なにほどのものだったか 、と/グラグラする地面にうずくまっている 。」「(晩年の様式の)否定性の確立とは 、/なまなかの希望に対してはもとより 、/いかなる絶望にも/同調せぬことだ … 」「小さなものらに 、老人は答えたい 、/私は生き直すことができない 。しかし/私らは生き直すことができる 。」