有楽町で逢いましょう
From Wikipedia, the free encyclopedia
大阪府大阪市が地盤の百貨店・そごうは、東京へ進出する際、出店地候補の一つとして有楽町を検討した。1950年代前半当時の有楽町は闇市の面影が徐々に消えて、人通りが増え始めている、新興の商業地だった。そごう社内での検討の結果、有楽町駅付近への出店が正式に決定。物件探しで手間取っていたところに読売新聞が自社物件・読売会館を提供[注釈 2]。工事などの準備を終え、有楽町そごうの開店予定は1957年5月と決まった。
そごうは開店後の客足の増加・定着を狙い、有楽町全体のさらなる活性化をはかり、宣伝部長・豊原英典以下宣伝部を挙げて「有楽町高級化キャンペーン」を企画した。豊原は企画段階でアメリカ合衆国の映画「ラスヴェガスで逢いましょう(en:Meet Me in Las Vegas)」からタイトルを拝借して「有楽町で逢いましょう」のキャッチフレーズを提案し、採用が決まった。並行して、後述する各種マスメディアとの提携(タイアップ)を通じ、「有楽町高級化キャンペーン」を展開した。
キャンペーンが功を奏し、「有楽町で逢いましょう」のフレーズは当時の流行語となり、そごう開店前に有楽町の認知度は上昇した。開店初日の天候は雨であったが、30万人以上の来店客でにぎわった。
1958年当時、「有楽町で逢いましょう」という言葉は、日常でも使われる言葉になった[1]。
テレビ番組
楽曲
| 「有楽町で逢いましょう」 | |||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
シングル盤 | |||||||
| フランク永井 の シングル | |||||||
| B面 | 夢みる乙女(藤本二三代) | ||||||
| リリース | |||||||
| ジャンル | 歌謡曲(流行歌) | ||||||
| レーベル | VICTOR/日本ビクター | ||||||
| 作詞・作曲 |
佐伯孝夫(作詞) 吉田正(作曲) | ||||||
| フランク永井 シングル 年表 | |||||||
| |||||||
| |||||||
「有楽町で逢いましょう」(ゆうらくちょうであいましょう)は、1957年7月に発表されたフランク永井歌唱の歌謡曲。上記のキャンペーンを受けて作成、および日本ビクター(音楽レコード事業部、現・ビクターエンタテインメント〈二代目〉)から発売された、いわゆるコマーシャルソング(キャンペーンソング)である。世に歌い継がれ、ヒットとなり[2]、永井の代表曲となった。佐伯孝夫作詞・吉田正作曲。
企画当初は三浦洸一が歌唱する予定であったが、作曲者・吉田正の強い推薦によってフランク永井がレコーディングすることとなった。
シングルレコード(モノラル録音)は発売から半年で約50万枚を売り上げた[3]。1968年時点での累計売上は95万枚[4]。1958年上半期のビクターレコードの歌謡曲(流行歌)レコード売上で1位を記録した[5]。
永井はNHK紅白歌合戦において、1973年の第24回と1982年の第33回(自身生涯最後の紅白出場)で、2度同曲を歌唱披露した。
オリジナルシングル盤収録曲
セルフカバー
1962年にEP盤向けにステレオで再録音された。前奏の編曲が異なる(オリジナルのモノラル・SP盤はギター、セルフカバーのステレオ・EP盤はトランペット)。フランク永井の各種ベスト盤に収録されているもののほとんどは、この1962年録音のステレオ・EP盤である。
タイトル曲としての再発
1970年に『ビクター・アンコール・シリーズ』の1枚として、B面曲を「ラブレター」に変更して再発(SV-3002-M)、1984年10月21日に『ベスト・カップリング・シリーズ』の1枚として、B面曲を「夜霧の第二国道」に変更して再発(SV-8501)されている。また1975年には「有楽町で逢いましょう」のタイトルで、本曲と「夜霧の第二国道」「俺は淋しいんだ」「夜霧に消えたチャコ」を収録したコンパクト盤として再発(SVC-1018)された。
カバー
- 1970年、藤圭子 渋谷公会堂に於ける「デビュー1周年記念リサイタル」にて歌唱。同年3rdアルバム『歌いつがれて25年 藤圭子演歌を歌う』に収録。
- 2008年、「有楽町で逢いましょう」リリース50周年を記念し、フランク永井版および、他の歌手がカバーした同曲を収録した記念コンピレーション・アルバムがビクターエンタテインメントより発売された。
- 第72回NHK紅白歌合戦がNHKホールの耐震化工事の都合により49年ぶりに東京国際フォーラムに会場を移したことから、記念として演歌歌手の山内恵介がこの楽曲をカバーした。[6]
小説
映画
| 有楽町で逢いましょう | |
|---|---|
| 監督 | 島耕二 |
| 脚本 | 笠原良三 |
| 原作 | 宮崎博史 |
| 製作 | 永田秀雅[7][8] |
| 出演者 | 京マチ子 |
| 音楽 | 大森盛太郎 |
| 主題歌 | 「有楽町で逢いましょう」[9] |
| 撮影 | 秋野友宏 |
| 製作会社 | 大映(東京撮影所)[7] |
| 公開 | 1958年1月15日[7] |
| 上映時間 | 97分[7] |
| 製作国 |
|
| 言語 | 日本語 |
『有楽町で逢いましょう』(ゆうらくちょうであいましょう)は、1958年1月15日に封切られた日本映画。製作・配給は大映。監督は島耕二。
上記の宮崎博史の小説『有楽町で逢いましょう』が原作。レコード会社、出版社、映画会社のタイアップによって制作され[10]、京マチ子、菅原謙二ら当時の大映オールスターがキャストに名を連ねた。そごうの店内でロケーション撮影が行われたほか、フランク永井が本人役で『有楽町で逢いましょう』を歌うシーンが存在する。
キャスト
- 京マチ子 - 小柳亜矢(ファッションデザイナー)
- 菅原謙二 - 篠原練太郎(建築技師)
- 川口浩 - 小柳武志(大学生、亜矢の弟)
- 野添ひとみ - 篠原加奈(短大生、練太郎の妹)
- 北林谷栄 - 小柳てつ(祖母)
- 叶順子 - 島崎房江
- 山茶花究 - 前田三郎
- 浪花千栄子 - よね
- 小野道子 - 新子
- フランク永井 - 本人(主題歌『有楽町で逢いましょう』 を歌う)
- 春本富士夫[8] - 丸山[7]
- 南左斗子[8] - 山中貞子[7]
スタッフ
- 監督:島耕二
- 製作:永田秀雅[7][8]
- 企画:川崎治雄
- 原作:宮崎博史(『平凡』連載)
- 脚本:笠原良三
- 撮影:秋野友宏
- 美術:仲美喜雄
- 音楽:大森盛太郎
- 録音:西井憲一[7][8]
- 照明:久保田行一[7][8]
- 衣装:そごう百貨店(デザイン木村ゆり、段中美恵子)
- 撮影協力:そごう大阪店、そごう東京店
外部リンク(映画)
エピソード
- 有楽町そごう最後の営業日となった2000年9月24日には、楽曲「有楽町で逢いましょう」を店内BGMで流して閉店セールを行った[要出典]。
- そごう閉店後の読売会館には、2001年よりビックカメラ有楽町店が入居した。新装開店当時に「有楽町ビックで逢いましょう」のキャッチフレーズを使用した[11]。
- 有楽町マリオン前には楽曲「有楽町で逢いましょう」の石碑が設置されている。同ビルに所在したオルタナティブシアター(2022年9月25日閉館)の跡地にI'M A SHOW(アイマショウ)が同年12月1日に開館した。I'M A SHOWの命名理由の一つにフランク永井の楽曲「有楽町で逢いましょう」の存在が挙げられている[12]。
- 漫画家のサトウサンペイは、大丸宣伝部のコピーライターだった1956年頃、「心斎橋で逢いましょう」というキャッチフレーズを考案したが、上司に「デパートは買い物をする所で、遊びに来たり、デートするところではないんだ」と却下されたという。そごう宣伝部が「有楽町で逢いましょう」をヒットさせる1年前のことだったという[13]。
- 1958年、中山太陽堂(現:クラブコスメチックス)は「有楽町で逢いま賞」というキャンペーンを展開した[14]。