朴哉相
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SK時代
高校時代から優秀な打者で、2000年にSKワイバーンズの9位指名を受け契約金3000万ウォンの条件で入団した。
1年目と2年目は一軍出場がなく、兵役のため入隊。
2005年に除隊されチームに復帰した。この年もこれといって活躍することはなかった。
2006年には金江珉、趙東和の不振でチャンスを得て出場機会を増やしていった。このシーズンは斗山ベアーズ戦に強い姿を見せて「斗山キラー」という別称を得た。
2007年には123試合に出場し、出場機会が大幅に増えた。しかし、フル出場はできず途中で代走や守備固めと交換されている場合が多かったので規定打席に到達できなかった。結果的に21盗塁、10本塁打を記録して、次世代の好打駿足の可能性を示した。また同年の韓国シリーズで14打数3安打でチームの優勝に貢献した。
2008年には40試合連続出塁記録が4月23日〜6月17日まで続いた。同年はハンファイーグルス戦に強い姿を見せ、相手打率0.455を記録した。 6月10日には、生涯初のサヨナラ安打を記録した[1]。
2009年にはキャリアハイを記録した。打率19位、本塁打27位、打点12位、盗塁6位、安打数6位と大活躍しシーズン最多打席記録も塗り替えた。中でも、ハンファ(0.342 1本塁打14打点)とロッテ(0.314 5本塁打12打点)を相手にした時には非常に強かった。
その後も金江珉、趙東和、林勳、金宰炫、朴栽弘、安致溶などとともにSK王朝時代の象徴となる鉄壁外野陣の主力として活躍を続けた。
2017年は一軍に出場できず、9月9日、SKによって引退セレモニーが開かれ同年限りで現役を引退。
引退後
2018年より指導者に転身し2020年までSKのコーチ、2022年から2023年まではキウム・ヒーローズのコーチ、2024年からはハンファ・イーグルスのコーチとなる。