朴哲淳
From Wikipedia, the free encyclopedia
プロ入りと美国時代
延世大学校在学中に韓国代表としてハーレムベースボールウィークなどに出場。
卒業後にミルウォーキー・ブリュワーズとマイナー契約を結ぶが3年間でメジャー昇格は1度もできなかった。
OB時代
1982年、韓国プロ野球創設とともに結成されたOBベアーズ(現:斗山ベアーズ)に入団。
初年度は22連勝を含む24勝を挙げ最多勝・最優秀防御率・最高勝率の投手三冠を達成。さらにシーズンのMVPにも選ばれた。
しかし翌年から腰痛・アキレス腱痛など怪我の連続で一時は「再起不能」とまで呼ばれたが不屈の精神を持ってマウンドに上り、その姿から「不死鳥」の愛称が付けられた[2]。
1996年シーズン後に引退した。
引退後
その後2年間はOBで投手コーチを務めたが、退団後は球界を離れ、実業家として活躍。