朴哲淳

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国籍 大韓民国の旗 大韓民国
生年月日 (1956-03-12) 1956年3月12日(69歳)
身長
体重
182 cm
72 kg
朴 哲淳(パク・チョルスン)
Park Cheol - soon
基本情報
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
出身地 釜山広域市[1]
生年月日 (1956-03-12) 1956年3月12日(69歳)
身長
体重
182 cm
72 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1982年
初出場 1982年
最終出場 1996年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
指導歴
  • OBベアーズ(1987, 1989, 1992, 1997 - 1998)

朴 哲淳(パク・チョルスン、: 박철순1956年3月12日 - )は、韓国出身の元プロ野球選手

プロ入りと美国時代

延世大学校在学中に韓国代表としてハーレムベースボールウィークなどに出場。

卒業後にミルウォーキー・ブリュワーズとマイナー契約を結ぶが3年間でメジャー昇格は1度もできなかった。

OB時代

1982年韓国プロ野球創設とともに結成されたOBベアーズ(現:斗山ベアーズ)に入団。

初年度は22連勝を含む24勝を挙げ最多勝・最優秀防御率・最高勝率の投手三冠を達成。さらにシーズンのMVPにも選ばれた。

しかし翌年から腰痛・アキレス腱痛など怪我の連続で一時は「再起不能」とまで呼ばれたが不屈の精神を持ってマウンドに上り、その姿から「不死鳥」の愛称が付けられた[2]

1996年シーズン後に引退した。

引退後

その後2年間はOBで投手コーチを務めたが、退団後は球界を離れ、実業家として活躍。

2002年、斗山ベアーズは朴の背番号「21」を永久欠番とすることを発表した。

詳細情報

関連項目

脚注

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