杉戸宿
From Wikipedia, the free encyclopedia
沿革
近世以前
古くから利根川(現・古利根川)の渡し場があり、日本武尊が東征を行った際にこの付近に上陸し、そこが杉の木が茂る港(水門)であったことから杉門と名付けられたとする伝説がある。
近世
杉戸は「日本六十余州国々切絵図」によると幸手、栗橋、吉川を含み、下総国の国絵図にて描かれている[1]。この地域に残される区域の国郡名によると、寛永11年10月までは下総国猿島郡または葛飾郡と記されるが、同14年7月には武蔵国葛飾郡に編入されていた[2]。
宿場自体は五街道の整備に伴い、宿場は街道に沿って町並みを構成し、町中は新町、下町、中町、上町、河原組、横町に分かれ、それぞれに名主や問屋が置かれ、本陣・脇本陣はいずれも中町に置かれていた。1843年(天保14年)の改めによると、宿の往還は、長さ16町55間、道幅は5間、宿内家数365軒・人口1,663人、本陣1軒・脇本陣2軒、旅籠屋46軒(大4軒・中7軒)であった[3]。
物資流通・商業施設
災害
名所・旧跡等
現在の町並みは、都市化の影響をさほど受けていないためか旧家も比較的良く残り、旧宿場街の面影を感じさせる。