東峰 (成田市)
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歴史
東峰は戦後開拓を中心とした地区であり、農家の次・三男が中心となった「駒の頭開拓組合」[注 1]、伊藤音次郎が飛行機製造工場の社員を率いて設立した「恵美開拓組合」、安田生命保険の社員らによる「松翁開拓組合」によって開墾された[6][7]。
竹林が生い茂っていたため、開拓地の中でも特に開墾が困難な場所であったという[6]。
開拓民の一部が空港建設時に発生した三里塚闘争(成田空港問題)に参加した。
昭和46年9月16日に行われた空港予定地の代執行では、北側を走る千葉県道の交差点[注 2]に配置された神奈川県警察機動隊が、竹林の中に潜んでいた反対派や過激派学生の集団に襲撃され、警察官3名が殉職した(東峰十字路事件)。なお、殉職した警察官は交差点の北側の天神峰方向へ退却する中で殺害されており、慰霊碑はいずれも天神峰にある。
日本国政府と三里塚芝山連合空港反対同盟の熱田派が話し合いを行った成田空港問題シンポジウムの後も、協議に加わらなかった北原派を中心に反対運動を継続する営農者らが存在し、反対運動の象徴となっている東峰神社も残っている。
また、成田空港予定地の代執行において、個人の家屋および敷地としては、唯一強制代執行の対象となった、小泉よねの墓も存在する。
