林希逸
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日本における受容
江戸時代には、三子口義、なかでも儒老合一的な『老子鬳齋口義』が盛んに読まれた[16]。そのきっかけは林羅山である[16]。元和4年(1618年)、羅山は『老子鬳齋口義』に訓点(道春点)と頭注、序を附して出版した[17]。さらに正保2年(1645年)、羅山は同書にもとづく和文注釈書『老子抄解』を執筆した[18]。
三子口義の前に主流だった注は、『老子』は河上公注、『荘子』は郭象注、『列子』は張湛注だった[16][19]。その中で、惟肖得巌ら五山文学僧が三子口義を先んじて受容していた[19][20]。羅山が三子口義と出会ったのも、14歳のとき建仁寺で英甫永雄のもと『荘子鬳齋口義』を講読したのがきっかけだった[21]。
三子口義が主流の注になると、佚斎樗山『田舎荘子』などにもその解釈が反映された[22]。一方、陳元贇[23]や貝原益軒[24]、太宰春台ら徂徠学派[25][26]、東条一堂ら折衷学派は[26]、三子口義の解釈を批判した。